32作目 右手に強欲を
アストラに感謝を伝え、そこからは心地よい沈黙の中を二人で歩いた。足は鋼のように重たかったが、不思議と心は軽やかだった。
「今日は帰ったらすぐ寝る、心配かけてすまなかった」
「ならみんなに伝えておくよ、ゆっくり休みな〜」
軽快に笑う彼の背中を追った。距離はまだまだ遠いけれど、いつか隣に立ちたい。
館に戻り、広間に寄らずそのまま部屋に直行して泥のように眠った。深い暗闇の中に意識を落とし、やがてそれは反転して真っ白い空間に出た。
「ようやく、だな」
俺の目の前には鎖に巻かれ、枷をつけたボロボロの黒い男がいた。嬉しそうに口角を上げ、俺をじっと見据えていた。
「都合よく力に目覚める、なんてことはねぇ。いつだって欲しいものは、必要なくなった頃に手に入る」
「そうだな…で、今日は何の用だ?まさか新しい力をくれるとかか?」
あのとき、錆び付いた錠前が心の中に現れる感覚がまだ残っている。力が手に入るなら願ったり叶ったりだ。それに黒い男はようやく、と言っていた。
「その通り、ようやく誰かのためにっていう衝動を自覚したしな」
「そうか?」
「てめぇは時折誰かのために暴れる。まぁ獣みたいなもんだ、一度目は姉のため、二度目はミキとかいう女のため、三度目は…あの女のためになるかな」
「三度目は心当たりがないんだが」
「まぁこれから分かるさ、んなこたぁいいんだ。お望みの力をくれてやる」
鎖の音が聞こえ、黒い男は俺の前に現れて首に手を当てる。左腕で俺の首を絞め上げ、愉快そうに口角を歪めた。
「ただし、条件がある」
そう言って黒い男は俺の腹を蹴り飛ばす。鈍い衝撃が腹に走り、肺の中の息が一気に溢れ出る。腹を抑え、なんとか呼吸を整えて立ち上がる。
「抜けよ、"沈黙"」
「ハァ…ハァ…当てたら…勝ちか…?」
「借り物の王の力で、傷をつけてみろ」
そう言って黒い男は挑発したような仕草をとる。左腕から銃を取り出し、何度か放つ。しかしそのどれもが当たらず、再び蹴りを食らう。
「俺様は四人の王を従えている。そのうち一人の王がお前に力を貸してやってる、ただまぁ…不満があるんだとよ」
「なんだ…それ、比喩表現か?」
「比喩でもなんでもねぇよ。ほら、トランペットの音が聞こえてこねぇか?」
黒い男がそう言って親指を自分の背後に刺す。歪な不協和音が白い空間の中に響いた。その後、黒い男の背後の空間にヒビが入った。
中から骨の指が出てきて、無理やりそのヒビを引き裂いた。中から王冠を被った骸骨姿が顔を出す。俺が慌てて銃を手に取り、照準を合わせて3発弾丸を放つ。
しかし骸骨は手を僅かに振り、そのどれもを弾き落とす。俺の方を向いたあと、人差し指を口元に当てたのち、黒い男に跪いた。
「呼び出して悪ぃな、"沈黙の王"。あいつが俺様の契約者だ、好きに暴れてくれ」
骸骨は頷いたあと、俺の方を向き凄まじい威圧感を放った。全身から吹き出すように汗が出て、俺は銃を握り直した。骸骨が手を振るうと、弾丸が四つ現れる。それはなんの音もなく、俺の元に発射された。
なんとか体を捻り、避けることに成功する。
「言っただろ?冠する名前だって、こいつがお前の使ってる力の正体だ。死なねぇように頑張んな」
そう言って黒い男はひらひらと手を振り、腰を下ろした。俺は骸骨と相対し、銃を握り締める。
何度も来る弾丸をすんでのところで回避し、何度も弾丸を放つがそのどれもは命中することなく撃ち落とされる。
手を振るう動作をすると弾丸が発射され、また手を振るえば弾丸は撃ち落とされる。仕掛けはなんだ?
この空間に使えるものは無い、あるとすればこの銃のみだ。しかしそれでは火力が足りず、撃ち落とされる。ならば距離を詰めるしかない、俺は骸骨まで一直線に駆け出した。放たれる弾丸は必要最低限の動作で避ける、やることは単純だ、確かに弾丸は速いがアストラの方がもっとずっと速い。
一気に距離を詰め、跳躍して骸骨の頭に零距離で引き金を引く。しかし零距離でもなお、骸骨に命中しない。弾丸は回転しながら骸骨の前で進まずに止まった。
「話にならねぇな」
零距離でもダメなら手の打ちようがない。幸い骸骨は微動だにせず、ただ床に転がった俺を見ていた。火力が、足りない。絶望感が心に満ちた。
「てめぇに見せた"沈黙"の力はそれだけか?忘れたわけじゃねぇよな!?それともなんだ?また床に這い蹲って奪われるだけか!?」
ドクン、と心臓が跳ね上がった。
また、奪われるのはなによりも許し難く耐え難い苦痛だ。火力が、力が、足りない。
「…もっと寄越せ!」
ほぼ無意識に、右腕を黒い男に伸ばした。
バルバトスはいつだって渇望していた、それは力であり、才能であり、守る術だ。
黒い男という外付けの本能は、飽くなき闘争を求めている。しかしバルバトスの心の奥底に秘めているものは安寧だった、ほんの僅かな幸福を大切な人と噛み締める時間を何より求めていた。それは夢に現れ、何度も反芻し噛み締めていた。
矛盾は身を滅ぼし、心身を焦がす。
けれどバルバトスはいつだって渇望していた。
それは強欲と言うに足る、無尽蔵の果てなき欲望。
「はっはっは!!てめぇやりやがったな」
右腕には手枷のような黒い刺青が入った。それは原初の罪であり、奪われたが故に植え付けられた強い感情の手枷。
相反する二つの欲望を、果てなく望む死神が生まれた。呼吸をするように、バルバトスは手を振るった。
骸骨が何度も見せた、音無き弾丸を放つ。けれど骸骨に命中する前に、黒い男がその前に立ちはだかる。
「下がってろ、もう満足だろ?」
そう言うと骸骨は頷き、空間の歪みの元に戻っていく。黒い男は振り返り、バルバトスの方を見た。
「もう…奪わせない、奪われたくない」
うわ言のように何度もつぶやくバルバトスの頬には涙が流れていた。黒い男は歩み寄り、その身に何度も弾丸を受ける。血は流れず、けれどその衝撃によって歩みは遅くなる。その度に歩み始め、やがてバルバトスの元に辿り着いた。頭に手を当て、乱暴に胸に押し当てた。
「合格だ」
「…合格?」
「てめぇのその力は、"肆王・是狩魔皇帝"。忌み嫌われし悪魔の…王の力だ」
「肆…王…」
「まぁまだ"沈黙の王"しか従えてねぇけどな、とにかく、これで晴れててめぇは俺様と同類になったわけだ。もう銃なんて補助輪は必要ねぇ、使い方はわかってんだろ?」
「あぁ」
バルバトスは新たな力を手にし、現実世界で再び目を覚ます。真っ白い精神世界で、黒い男はその場に座り込んだ。半透明の板を何枚も出し、名前を呼んだ。
「ラーマ、アラクネ、カトレア、カクエン」
1つずつ指を折り、その名を反芻する。噛み締めるように、何度も名前を呼んだ。そして最後に残った親指で自らの心臓を強く押した。
「エース」
縫い付けられた跡が、無数の生傷の中に隠れていた。目の前に現れたひとつの半透明の板には、金髪の少女が映っていた。
「…特異点のおかげで"肆王・是狩魔皇帝"にもう覚醒した。今回はいけるかもしれない」
真白の空間の中で、王がひとり。忌々しそうに鎖を鳴らす。




