1作目 死神
姉さんが死んだ。
もう怪我をしても心配して手当してくれる姉はいない、もう温かくて美味しい手料理を作ってくれる姉はいない。この斬り飛ばされた腕は止血されていた、痛みと姉を失ったショックで気絶していたがどうやら運良く炎で止血されていたみたいだった。
3日くらい動けなかった。姉だったものに蛆が湧き始め、のどかな青草の匂いは腐乱死体と硝煙の匂いに変わった。カラスが、俺をじっと見て鳴いている。太陽を背後にしてるせいで輪郭しか見えないが俺の死を待っている。
思考がグルグルと脳みその中を回った。
なぜ姉が殺されなければいけなかったのか、なぜ村のみんなが殺されなければいけなかったのか。姉さんたちは何も悪いことをしていなかった。生きるために生物の命を奪うことはあれど、己の愉悦のために命を奪ったことなどなかった。
どれほど考えても答えは出ず、地獄の沙汰に狂いそうになった。だが斬り飛ばされたはずの左腕が定期的に痛むせいで正気に戻された。
痛みと後悔、強い憎しみの中で記憶の蓋が空いたのか、俺の中に記憶が溢れた。前世の記憶、この世界で暮らすよりもさらに前に俺は1度死んでいる。
名を忘れ、かつての故郷の景色も忘れたが確かに俺は1度死んでいるはずだ。
不思議と、恨みや憎しみはユウトではなく俺に矛先が向いていった。俺が何もしなかったから、力がなかったから奪われたのだ。
カラスが目の前に何匹も現れた。俺が死にそうだからか、死肉を貪るために現れたその真っ黒な瞳孔に反射された俺は笑えるほど惨めだった。
「…はは、鳥にすら俺は奪われるのか…」
…ふざけるな。
記憶の中で何度も何度も反芻した、姉の殺される瞬間、胴体から溢れ出る臓物、最後に伝えようとした言葉。何度も何度も何度も何度も何度も。
気づけば足を踏み出していた。
久々に動かした体は想像よりも俊敏に動いた。獲物が急に動きだしたのを察知したカラスが羽を広げて飛んでいくが1匹の逃げ遅れたそれを慣れない右腕で捕らえ生のまま牙を突き立て肉を貪った。
吐き気がするほどの獣臭、邪魔な羽根は吐き出した。
骨を砕き、血肉を啜る音とカラスの断末魔が響いた。姉の泣き声が連想されて苦しくなったから抑えていない方の腕で殴ろうと思ったが虚しくその場で空回った。行き場のない力のせいでバランスは崩れその場に再び倒れ伏した。
「ァアアアアアア!!!!!!!!」
惨めだ、無様だ。だがそれでも生きなくてはならない。喉が壊れんばかりに叫び、本能のままに動け。
右手を使ってなんとか起き上がり、再びカラスを貪った。口の中に残った小骨を吐き出し、口元に着いてる血を拭った。
とりあえず街まで行くべきか、騎士団に駆け込んでも信じちゃくれないな…それに
「これは俺の復讐だ」
「だれの復讐だって?」
「!? だれだ!!」
村の入口の方を見るとかなり背丈が低く白髭を蓄えた老人が目に入った。
大樽を思わせるほどの体格に背丈を超えるほどの大斧を携えたその男は白髭を腕で撫でながら目を細めて俺に近づいてきた。
「だれだっていいじゃろ、で?誰の復讐だって?」
ユウトが追っ手を差し出したのか?だとしたらまずい、早く逃げなければ。
…いや逃げるな、立ち向かわなければならないんだ。もう奪われないためにも。
廃材を手に握り、背を低くして老人に向かって走った。自身が思うより数倍も早く、力強く振るった廃材は老人に確実に当たると確信した。
誰の復讐か?教えてやるさ
「…俺のだ!」
全力の横薙ぎは虚しく宙を舞い、俺は余った運動エネルギーを制御することが出来ずにその場に倒れる。
慌てて立ち上がろうと顔をあげようとしたが老人に足で上から踏みつけられる。
鈍い痛みが顔に走った、歯が何本か折れ鼻から血が流れる。まずい…トぶ…
次第に離れていく意識の中で老人が呟いた。
「全く…血気盛んなのはいいが向こう見ずなのは減点じゃなぁ…」
夢を見た。
両親が死んだ日の夢だ、両親は優秀な狩人だった。
母は弓を、父は剣を携えていつだって勇敢に戦う誇り高き狩人だった。酷い雨の日だった、いつまで経っても帰ってこない両親を心配してずっと姉さんと二人で起きて待っていた。
勢いよく扉が開き、帰りを待っていた俺たちは顔を上げて労おうと思った。それなのにそこに両親の姿はなく、憔悴した顔の村民がいるのみだった。腕に抱えていたのは両親だったものの一部だった。
この近辺に滅多に現れない強力な魔物に襲われて、あっけなく死んだそうだ。なんとか持ち運べたのは両親の指のみだった。
同行していた狩人曰く、返答が無くなったので振り返ると両親のほぼ全てが削り取られていたらしい。
残ったのは指のみで、それを発見することが出来なかったら死んだことすら確認できなかったそうだ。
あとから分かったことだが、その両親がいたところはなにかが通ったような、まるで空間が削り取られたような道が森の奥まで続いていたらしい。
あの日俺は情けなくも泣きわめき、姉さんに抱きついたまま離れなかった。姉さんはそんな俺を見て泣かずに励ましてくれたんだ。
「大丈夫、大丈夫だからね。私がついてるから、⬛︎⬛︎⬛︎には私がずっとついてるから…」
そう言って寝るまでついてくれた。
そんな優しい姉さんをあいつは殺した。俺には姉さんしかいなかったのに全てを持っているあいつを殺したんだ。やがて夢は終わり、現実に帰ってこなくてはならない。
穏やかな光が瞼の上から俺を照らし、目が覚める。
俺は見知らぬ建物の中で見知らぬベッドで眠っており、あの老人がそばにいた。
「ようやく起きたな、小僧」
「ここはどこだ!お前は誰なんだ…!!」
「そう慌てて起き上がるな、傷に響くぞ。せっかく治療してもらったんだ、無駄にするな」
慌てて自分の体をよく見てみると老人の言った通り治療されているようで包帯が巻いてあった。血は止まっていたし、歯も生えてる。回復魔法を使えるのは教会の一部の女だけなはずだ…この老人以外にもいるのか…?
「まぁ一度に言っても混乱するだけじゃろうがワシらはお前と同じじゃ」
「同じ?」
「あぁ、あのクソ勇者に人生を壊されてなお意地汚く生きてる死に損ないじゃ」
「…もう一度聞く。ここはどこでお前は…いやお前らは何者だ?」
「ここはワシらのアジトじゃ、そしてワシらは"英雄の墓標"」
「ハッ、墓標か」
「ワシらは勇者に殺されたものにとっての墓標で、勇者を殺す存在じゃ…いわば」
外ではカラスが鳴いている。
心臓と血潮が沸騰して爆ぜそうだ。
「死神じゃよ」