18作目 私の神様
私はずっと幸せでした。
お金はなかったけれど、両親はいなかったけれど血の繋がった大切な妹と弟がいたから。雨季に入ると3人で身を縮めて寄り添いあって温め合ったり、3人で川に行って魚を捕ったり、辛いことも沢山あったけど大切で幸せな日々を過ごしていました。
私の両親は冒険者でした、獣人である両親はすごく強くて温かい食事も、雨風を凌げる家も昔はありました。けれど幸せが崩壊するのはいつだって突然で、一瞬です。両親が帰ってこなくなったのは随分前な気がします。もう朧気だけど小さい妹と弟は絶対に守るって決心したのだけは覚えています。
悪いことなんてする度胸もありませんでしたし、神様が見てるから出来ませんでした。ただ3人で懸命に日々を生きているのがなにより幸せで楽しかった。
娼婦になろうかと何回も思いましたがこの街を治めてる偉い貴族様が敬虔なミストレア教徒で、娼館の建設を厳しく取り締まっていたから出来ませんでした。私とは違う神様を信じていましたけど、きっといい人です。
あの日のことを今でも夢に見ます、私のちっぽけで大切な日々が崩壊したときのことを。
その日は雨季が終わり、よく晴れていたので久しぶりに魚を捕りに行こうという話になりました。3人で川に飛び込んで、手で魚を掴んで食べたり、売ったりしていました。
良くしてくれている魚屋さんに売ったあと、ご飯を買って食べている時のことです。急に馬車が私たちの前に止まって中から貴族様が出てきたんです。
私たちの捕った魚はこの街のもので、違法だって。そんなこと知らなかったし、初めて聞きました。あとから知ったんですけど違法じゃなかったみたいです、川は国のものだから国民なら誰でも捕って良かったんです。
口実が欲しかったんでしょうね、違約金をはらえなければ奴隷にすると脅してきて、そんなお金なかったので何度も謝りました。
土が苦いのは知っていましたけどあの時は特別苦かった記憶があります、何度も頭を擦り付けて謝っても許してくれなくて3人とも連れ去られそうになりました。なんとか他の2人を突き飛ばして、逃がしましたが弟のミケは手に持っていた食べ終わった串で抵抗したせいで貴族様の側近に目と耳を斬られてしまいました。あのときの光景はずっと脳裏に焼き付いて離れません。
なんとか貴族様にお願いして、私だけ奴隷になることで許して貰えました。連れていかれたのは教会で、初めて見る綺麗なガラス細工や、神々しい石像に目を奪われたのも束の間、薄暗い地下室に閉じ込められました。
地下室では色んなことをさせられました、口にするのもおぞましいような、喉の奥から酸っぱいものが込み上げてくるようなことを。
どれくらい経ったか分からないですけど、私はずっと耐えました。違約金の分のお金を稼げば外に出られるって言われたから。それに上から聴こえる賛美歌がとても綺麗で、いつか領主である偉い貴族様がここを知ったら助けてもらえると思っていました。少し前にその偉い貴族様がお客様として来た時にその幻想もこわれてしまったんですけどね。
それでも時折教えてもらえるミクとミケの情報が私の心の支えでした、賛美歌も綺麗ですし、内側にずっと大事に持っている幸せな思い出もありましたから。
今日はお得意様のゾルダン様の相手でした、痛くて苦しいことばっかりするけどたまに2人のことを教えてもらえましたから。
いつも通り、何も考えないように、何も感じないように心を固く閉ざして耐えようと思いました。ベッドに行く前にあの言葉を言われなければ…
服を脱いで、私の前に立ったゾルダン様は気持ち悪い顔で耳元で囁いたのです。
「お前の妹、中々いいな」
その瞬間固く閉ざしていた心が割れる音がしました、私が守っていたと思っていた何よりも大切な妹が、この地獄を経験してると思ったからです。
絶望も束の間、ゾルダン様は私に手を伸ばした瞬間ここに来て初めて抵抗しました。久々に出した本心からの声はか細く、情けないものでした。
腕を前に出して肥えた体を突き飛ばそうとしましたがやっぱり毎日ちゃんとご飯を食べれている人は重たいんですね。全然動かなくて、ゾルダン様は怒った表情になりました。
これからされることを想像して、さらに絶望しました。けどその瞬間、扉を蹴飛ばす音が聞こえたんです。その人は初めて見た人でした、ここにいる人じゃないことはひと目で分かりました。
真っ暗な夜を切り取ったようなコートを着ていて、神様のような黒い髪と眼をしていました。ゾルダン様が男が何者か聞いた瞬間、私でも捉えれない速度で手に持っていたなにかで殴り始めたんです。何十回も聞こえた打撃音は獣人の耳のせいで鮮明に、次第に埋没していくゾルダン様の顔は獣人の目のせいではっきりと分かりました。
薄暗い桃色の灯りに照らされた部屋は鮮血と、黒い残像が徐々に塗りつぶしていきました。手に握っていた黒い何かは真っ赤に染まって、ただただ荒い呼吸をした男がゾルダン様を見下ろしていました。
やがて男は私を見てきて目が合いました、その暗い瞳孔は極度の興奮で開き、返り血に染まった姿は私を恐怖させました。しかし男はやがて血の気の引いたような顔になり、申し訳なさそうに、怯えるように口を開きました。
「ミキ…で合ってるか?」
彼から私の名前が出たことには驚きませんでした。この部屋に入ってきたということは私かゾルダン様、あるいはその両方に用があるはずだからです。震える声で返して、彼に聞こうとしましたが遮られ、次に出てくる言葉に私は驚きました。
「俺のことはいい、弟が貴女のことを探していた。とりあえず怯えないでくれ」
ミケが…?すごく驚いて、詳しく聞こうとしましたが彼は私に布を被せて部屋の外を見ました、部屋の外からは何人もの足音が聞こえていましたから。おそらく他のお客様が不審がって見に来るはずです。
彼は目を閉じて深呼吸しました、先程まで興奮していたのにすぐに落ち着きを取り戻して私の前から消えました。獣人である私の目を持ってしても、一瞬しか捉えることができなくて外から何度か呻き声が聞こえたあと、彼は私の元に戻ってくることはありませんでした。
部屋の外を覗いてみると一度は見たことある貴族様が倒れていました、他の部屋の子たちも一様に顔を覗かせて不思議な顔をしていました。初めて見る他の部屋の子たちはミケほどの年の子もいました。
出口の方を見ると不気味なほど口角を上げた彼が走っていくのをギリギリ捉える事ができました。その姿に既視感を覚えたんです。
昔一度だけ両親に見せて貰った刺青によく似ていたから、昔から獣人族を守ってくれた名前を失った狩人の神様に。




