第八話「初めての脚本披露」
ついに、初めて自分の書いたシーンを読んでもらう日が来た。
緊張で落ち着かず、志保が部室に来るまでの間、
左手の付け根を右手の親指でぐりぐりと揉みながら、何度も脚本に目を通す。
目の前では、碧が分厚い鈍器みたいな小説を読んでいた。
それ、インテリアじゃなかったんだ。
そんな考えが頭をよぎったタイミングで、部室のドアが勢いよく開く。
「ごめん、遅れちゃったー」
息を切らしながら入ってくる志保。
「「おつかれー」」
わたしと碧が、ほぼ同時に声をかける。
志保が椅子に座るや否や、待ってましたと言わんばかりに碧がニヤニヤし始めた。
「さあ、全員揃った。それでは、始めようか。
雫、ほら、手に持ってるものを見せてみなさい」
「……はいっ」
視線を落としながら、手に持った脚本をそっと机の上に置いた。
二人が横並びで脚本を覗き込む。
わたしは、ただ静かにその様子を見守る。
長い長い沈黙のあと——
「ねえ、雫」
最初に口を開いたのは志保だった。
「アイリちゃんって、高嶺の花、だよね?」
「……そうだね」
「この口調、ちょっと怖くない?」
「え、でも他人を寄せつけないって設定だから……」
「確かにそうなんだけど、たぶん『怖い』じゃなくて、もっと違う感じの『近づきにくさ』なんじゃないかな」
「違う、感じ?」
「うん、たとえば……女優さんみたいな?」
「女優?」
「そうそう。女優さんって、綺麗で素敵だけど、実際に隣にいたらなんか近寄れないじゃない?」
その言葉で、わたしはある女優のことを思い出す。
殺したことのある女優のことを。
あの人、まだ行方不明ってことになってるんだっけ。
「……確かに、そうかも」
「でしょ? だから、もうちょっとおしとやかな口調の方が合うと思うんだよね」
他人を寄せつけないにも、いろんな形があるんだな。
志保の指摘が一通り終わると、今度は碧が口を開いた。
「雫、すごくない?」
「……はい?」
「いや、雫、これ初めて書いたんだよね? ちゃんと文量書けてるし、普通に上手いし。もしかして、こっそり書いてた?」
「は?」
「ははーん、やっぱりそうなんだ!」
碧が急に誉めてくるもんだから、なんか調子が狂ってしまう。
思わず両手で口を覆いながら、冷静に返す。
「いやいや、書いたことなかったって」
「そうなの? すごいよ」
返答に困っていると、碧が急に真顔になり、少し声のトーンを落とした。
「じゃあ、ここからは初心者向けの指摘じゃなくて、上級者向けの話をするね」
碧はわたしの書いた脚本の『タイキ』と書かれた部分を指差した。
「この場面、タイキが『なんで泣いてるの?』ってアイリに聞くんだけどさ」
わたしは、黙って頷く。
「タイキって、もっとヘタレなんだよ。」
「えっ、勇敢な主人公って言ってたじゃん」
「最終的にはね。でも、本質的にはヘタレで、そこから成長する物語なんだ」
「……はあ」
——夏目雫、頭がパンクしそうです。
「だから、最初の方のタイキは、とにかくヘタレに見えなきゃいけない」
碧の指の少し先に指を置く。
「じゃあ……ここの台詞、もうちょっとナヨナヨさせた方がいい?」
「おっ! そう!」
碧が、急にテンションを上げる。
「なんだ、やっぱり雫わかってるじゃん! 他の部分は、このままでいいと思う。志保もそう思うよな?」
「うん、すごくいいよ」
思ったよりすんなり通りそうで、逆に怖い。
「え、本当に?」
「本当に本当に」
「……みんながそう言うなら、いいけど」
不安がぬぐえない。
これで、本当にいいのか?
そう思っていると、碧が机に広げた荷物をリュックにしまい始める。
「修正したら、グループに送っといて」
「あ、うん。え、もう終わり?」
「今日、新刊の発売日で忙しいし、もうお暇するよ。じゃ!」
そう言い残し、碧は部室を飛び出していった。
志保は、ぐぐぐっと伸びをする。
「ふぅー……良かったね、無事に脚本書けそうで」
「いや、これ書けてる?」
「書けてる書けてる。十分すぎるぐらいだよ。わたしも自信ないくらいだもん」
「……まあ、高嶺の花もよく分かってなかったんだけどね」
一瞬の間のあと、クスッと笑い合った。
「でもさ、楽しいね。こうやって、みんなで作るの」
「……うん、楽しい」
言ってから、気づいた。
——楽しんでるんだ、わたし。
自分の中では結構頑張ってて。
たぶん、脚本とか小説とか書くの得意じゃないんだけど、
それでも、二人には迷惑かけたくなくて頑張ってみた。
人生で初めて誰かのために頑張った気がする。
おかしな話だと思うかもしれないけど、
わたしの人生では常にそうで。
だから、こんなにも単純に。
誉めてられたことに舞い上がっている。
「え、今『楽しい』って言ったよね?」
志保が、メガネの奥の大きな目を輝かせながら詰め寄ってくる。
「……言ってない」
「言った! 絶対言った!」
「……うるっさいなあ」
「碧くんにも聞かせたかったなー」
志保の意地悪な顔を横目に見ながら、わたしは立ち上がった。