第七話「笑い声が響いた教室」
文芸部の話し合いを終え、わたしは家に帰っていた。
脚本の企画書を机の上に広げる。
「なんで、こんな日に限って仕事ないんだよー」
スマホのカレンダーを何度確認しても、今日の予定欄には何も書かれていない。
今日、書く必要はない。
だけど、『書けるかも』と思っておかないと、落ち着かない。
「……ちょっと、読んでみようかな」
帰り道、志保と並んで歩きながら、シーンを書くコツを教えてもらっていた。
「登場人物の設定資料を入念に読み込み、自分の一部にする」
志保はそう言っていたので、それを参考に設定資料を読み込んでみることにした。
企画書の最初のページには、登場人物の特徴や境遇、目的などが細かく記されている。
《主人公:タイキ》
・身長175cm、冴えない男子高校二年生
・髪型は無造作ヘアと呼ばれるが、実際はただの寝癖
・バスケ部に所属しているが、レギュラーではない
・同じバスケ部の友人たちとつるんでいることが多い
・クラスメイトのアイリに片想い中。そのことを友人たちにいじられがち
なるほど。
タイキはいじられキャラで、無造作ヘアで……って。
「ふふっ、碧にそっくりじゃん」
あの自信たっぷりな態度からして、自分を投影したつもりはないのだろうけど、意識しなくても滲み出てしまうものなのかもしれない。
「じゃあ、アイリは……」
わたしは、わずかに動揺しつつ読み始める。
《ヒロイン:アイリ》
・身長158cm、高校二年生
・髪型はボブ、吹奏楽部に所属
・男子から熱視線を浴びるものの、高嶺の花扱いされ近寄られない
・女子からは嫉妬の対象になり、変な噂を流されることもしばしば
わたしは目を瞑り、頭の中でアイリの姿を描いてみる。
「……なんか、可哀想なキャラ」
そこに、なぜか自分と重なる孤独を感じた。
わたしの日常は暗殺者だった。
だから、高校に入学したとき、すべての人を拒絶した。
それが、自分と他人との適切な距離感だと思っていた。
変わったのは、あの日。
はっきりと今でも覚えている——
入学して間もないある日の放課後。
わたしは、誰にも近寄られないようにと、金髪にし、わざと物言いをきつくしていた。
そのおかげで、先生に叱られることもなく、周囲とは適度な距離を保てていた。
そんなわたしに、何の前触れもなく、隣の席の碧は声をかけてきた。
「なあ、一緒に……」
わたしは、適当にあしらおうと威嚇するような目を向ける。
「……え、わたし? 何?」
「えっと……」
——関わるな。
口には出さなくても、その視線ひとつで大抵の人はわたしに関わらなくなる。
碧は、一瞬考え込むように目を伏せたかと思うと、すぐに席を立ち、わたしの机の前に回り込んだ。
そして、肘をつき、顔を近づけると、両手で自分の頬を潰して妙な変顔を作り始めた。
「……は?」
わたしが顔をしかめると、碧はさらに力をこめて変顔の精度を上げていく。
目の前で何が起こっているのか理解不能だったけど、なぜだかわたしは笑ってしまった。
「……ぷっ、ははっ」
「あっ、笑った!」
突然のことに、自分でもどうしようもなく笑いが止まらない。
「じゃあね。また、明日」
碧はそう言い残して教室を出ていく。
「なんなのよ、あいつ……」
そして翌日、碧が『文芸部を作ろうとしている』という噂を小耳に挟んだ。
——もっと知りたい。
「……ねえ」
「え、なに?」
「……文芸部、人が足りないんでしょ? わたしで良ければ、入ってもいい、けど」
碧は目を丸くして黙り込む。
「入らなくていいのね。じゃ」
「ちょ、ちょっと待って」
碧は慌てて手を伸ばす。
「文芸部……興味あるの?」
「興味は、ない」
「はあ……」
「でも、入ってもいいよ」
そんな流れで、わたしは文芸部に入ることになった。
この時の碧は、まさかわたしが文芸部にいかに不向きかなんて、知る由もなかった。
志保との距離が縮まったのは、それより少しあと。
最初の頃は、他の同級生と距離感は変わらなかった。
口数が少なく、ほとんど笑わない。
わたしをどこか遠ざけていた。
だけど、ある時、ふと思った。
——志保って、もしかしてわたしに似てるのかも。
そう気づいてから、わたしは碧みたいに接することにした。
身勝手で、わがままに、無理やり距離を詰めるように。
最初に志保が本気で怒ったのは、わたしがスマホを意味もなく取り上げたときだった。
あれは、今でも反省しているけど、そのおかげで仲良くなれたから後悔はしていない。
——『友達』って、言ってくれた。
「危ない危ない。今はアイリの話だ」
物思いに耽りすぎてしまったようだ。
わたしは、企画書の登場人物欄をめくり、他のキャラクターにも目を通す。
「キャラクターたちが思い浮かび、勝手に動き出す」
志保はそう言っていたけど、そんな感覚にはならない。
ただ、朧げではあるが、キャラクターの声や仕草が少しだけ見えてくる気がする。
「まあ、あとは自分の番が回ってきたときに考えれば、きっと……」
今日は、せっかく仕事がない日だ。
ゆっくりお風呂にでも浸かりたい。