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第四話「水中に沈む言葉」

 次の日の朝、わたしは瀬黒駅東口にいた。


 待ち合わせは9時。

 既に9時2分。


 志保はあと数分で到着するらしいが、碧からは連絡がない。

 

 近くの店のガラスに映る自分の姿を確認する。

 カーキ色のトップスに黒のサロペット。

 ファッション誌で見てマネキン買いしたコーデだ。


 ——これで合っているのか?


 左足の脛の痛みをこらえながら、電子書籍でラブコメ小説を読んでいた。

 紙媒体と違って、内容を悟られにくいのがいい。

 こんな姿を友達に見られたら、と思うとゾッとする。


「遅れちゃってごめん」


 わたしは、すぐさま電子書籍のアプリを閉じる。

 気配を消していた志保が、突然背後に現れたのだ。

 白茶色のチェック柄のワンピースが良く似合っている。


「いいっていいって。連絡してくれてたんだし。そんなことより、問題は、碧だよ」

「まだ、連絡ないね」

「じゃあ、碧くんが行かなそうな場所で待ち伏せしようよ」


 志保がいたずらっぽく笑う。


「賛成!」


 碧っぽくないもの……ロマンチック感?

 あっ、さっき、ラブコメで見たやつ!


「水族館、とか……?」

「あり!」


 志保は上機嫌に答えた。


「雰囲気いいとこ似合わなそうじゃん?」

「わたしは、そんなことは思ってないからね?」

「ええ……碧には言わないでね……」


 そんなわけで、わたしたちは、水族館で待ち合わせることにした。

 早速水族館へ向かい、入場ゲートをくぐると、別世界が広がっていた。

 初めての水族館に、わたしは目を輝かせる。


「初めてだ、水族館」


 それは志保にとっては一大事だったらしく、メガネのフレームをはみ出しちゃうほど大きく目を見開いている。

 目の玉がこぼれ落ちそうで怖い。


「これは、案内のしがいがありますね」


 志保と知り合って一年半。

 これまでで一番生き生きしたその表情に恐怖を覚えた。


 その後、わたしたちは、魚コーナーをじっくりと見て回った。

 次々とわたしたちを追い越していく人たちに構わずに、志保は魚の生態について饒舌にトークを展開させていた。


 しばらく歩くと、クラゲコーナーが見えてきた。

 壁一面に水槽が弧を描き、その中にクラゲがゆらゆらと浮遊している。


「……綺麗」

「でしょ?」

「なんだか、時間がゆっくり進んでいるような、変な気持ち」


 互いが影響を及ぼしあうこともなく、一匹一匹がゆっくりと上まで浮上し、そのあと下降することを繰り返す。

 時間の流れがここだけ違うように。


 クラゲを見つめていると、首から下げたスマホのバイブレーションが鳴った。


『すみませんでした!』


 うるさい。

 今のでさらに減点だ。


 ビデオ通話に切り替えると、疲れた顔の碧が映った。

 わたしは画面を志保に向ける。

 志保は、頬を膨らませ、碧を睨みつけた。


「水族館だよ。早く来てね」


 電話をブチっと切ると、すぐに詳細な場所をメッセージで送った。


 三十分後——白のTシャツにジーパン、黒の大きなリュックを背負った水族館に一番似合わない格好の男が目の前に現れた。


「大変、申し訳、ありませんでした……」


 碧は、深々と頭を下げる。

 わたしたち二人は、腕組みをして対面している。


「全く、何してたのよ」

「調査だから色々持って行かなきゃと持って準備してたら夢中になってて……。すみません、言い訳は大丈夫です」

「だってさ、志保。許してやる?」

「碧くん、一緒に水族館を回って。それで許す」と志保。

「え、そんなんでいいの?」


 考えていた時には口走っていた。


「うん。こんな大荷物で水族館回るの、十分罰ゲームだよ」

「……そういうことだからね、碧。ちゃんと水族館を回るように!」

「は、はい!」


 安堵した碧は、わたしたちと一緒に水族館を回り始めた。


 その後、水族館にテンションが上がっている志保を碧に任せ、二人の後ろ姿を追う。


「すごっ、ガチのペンギンじゃん!」


 ペンギンの羽は思ったよりも硬そうだ。

 うちのポメラのようなふさっふさを想像していたから、なんかがっかりした。

 犬と比較しているのもどうなのかとも思うけど。


 歩くたびに倒れそうなほど不安定だ。

 まどろっこしい事抜きに言うと、可愛い。


 ペンギンの餌やりが始まり、あたりは一気に人だかりになった。


「あれ、どこ行った?」


 人混みに押され、二人の姿を見失ってしまった。

 飼育員の声がスピーカーから響く。


「餌やりは今から二十分間行いますので……」

「まあ、いっか」


 わたしは二人にメッセージを送る。


『逸れました。先にどこかで待ってて』


 すぐにカメラを起動し背伸びをした。




 ペンギンのコーナーを抜け、志保と碧はアザラシのコーナーへと足を運んだ。

 目の前ではアザラシが驚くほどの速さで水中を駆け抜け、その動きに思わず目を奪われる。

 

 その時、志保のスマートフォンが震えた。


「雫から『どこかで待ってて』って」


 碧は腕を組み、少し考え込んだような素振りを見せた。

 志保は館内マップを開く。


「雫、初めて来てるし、分かりやすい場所に戻る? 一旦、クラゲのところに行かない? エレベーターを使えばすぐ戻れそうだし、碧くん、クラゲちゃんと見れてないでしょ?」

「クラゲ見たい。でも、志保はいいの? 二回目でしょ、クラゲ」

「クラゲは、何回見ても飽きないよ」

「それなら、行こっか」


 二人はエレベーターに乗り込み、クラゲコーナーへと向かった。

 到着すると、先ほどより人は少なくなっていた。

 おそらく、雫が巻き込まれたペンギンの餌やりコーナーに人が流れたのだろう。


 青白い光に包まれた空間。壁一面に浮かぶクラゲたちが、静かに揺れ動く。

 その幻想的な揺れが、志保に優しく語りかけている。


 志保は、ふと足を止めた。


「碧くん」


 志保はクラゲに目を向けたまま、わざとらしく問いかける。


「碧くんは、クラゲ、好き?」

「うん、やっぱいいよな」

「うん……わたしも、好き」


 言葉は声にならぬまま、水槽の中へと溶けていく。


「……なんか、ぼーっと眺めてると、勝手にいろんなこと思い出しちゃった。文芸部に入った時のこととか」


 志保は毛先を気にするふりをする。


「図書室で誘った時のこと?」


 思い出すと何度だって笑ってしまう。

 今回もそうだった。


「そうそう」

「悪かったなって思ってるよ」

「本当に反省してる?」

「してるよ、してる」


 志保は向きを戻し、碧を見上げるようにして言う。


「入学して一ヶ月も経ってないのに、顔も名前も一致してない相手に向かって、『暇そうじゃん、文芸部入ってよ』って」

「そんな感じで言ってた? 本当に?」

「一言一句違わず本当です」


 碧は一歩下がる。


「覚えてたのよりひどいな。本当悪い」

「でもね、嬉しかったんだよね」


 隣の親子連れがクラゲコーナーを後にする。


「わたし、部活入る勇気がなくて、もし碧くんが誘ってくれなかったら、三年間ずっと放課後を図書室で過ごしてたと思う。それが悪いっていうんじゃなくて……本当は、誰かと一緒に何かをしたいって、中学の時から思ってたのに、どうしても、何もできない自分が馬鹿にされたり、馴染めなかったり、いじめられたりするのが怖くて」


 碧は、じっと志保の言葉を待っている。


 ——胸が、痛い。


「でも、そんなわたしを碧くんは誘ってくれた」


 碧は一度息を吸い、ゆっくりと口を開いた。


「俺は、ただ人数集めをしてただけで……」

「ううん。そうだったとしても、誘ってくれた事実は変わらないでしょ? それに、今こうして、三人で遊びに来てる。ずっと一人だったわたしには、それが信じられないくらい輝いてるんだよ。そんな毎日を過ごしてたら、なんだかそれが日常になってきて。……また、非日常を求め出してきて。全く、とんだ欲張りだよね、わたし……」


 志保は一歩前に出る。


 言葉が、やがて声になる。



「わたしは、碧くんが好きです」



 言ってしまった言葉は元には戻らない。


 志保の声は静かな空間に溶けていく。


「……ごめん、びっくりしちゃった。そんな風に思っててくれたなんて知らなかったから。ありがとう。でも……」


 碧の瞳に、青い光が綺麗に反射している。


「ごめんなさい」


 ——こんなにも、あっさりと終わっちゃうんだ。

 もっと心がぐちゃぐちゃになって、取り乱して、死にたくなるんだとばかり思ってた。


「……うん、分かった。ううん、ちゃんと聞いてくれてありがとね」


 志保は、精一杯の笑顔を取り繕った。 


「それで、好きな人でもいるんですか? 碧くん」


 嫌われるのは嫌だから。


「……なんだよ、急に」


 日常を取り戻すために。


「だって、まだ断る理由を聞いてないなあって」


 なんとか、繋ぎ止めておこうと思った。


「……好きな人か」


 だから、聞きたくもない話も自分で聞いた。


「誰ー? わたしが知ってる人?」


 ——耳を塞ぎたかった。 


「し……」

「わっ!!」


 突然の声と共に、雫が二人の間に割り込んできた。


「逸れちゃって、ごめん!」

「いいのいいの。わたしたちこそ気づかなくてごめんね」


 また志保は嘘を吐く。

 雫は逸れてなどいなかった。


 雫は、わたしたちに録画したペンギンが魚を食べる動画を見せる。


「ほら、見て! この順番待ちしてる子! この子がわたしのお気に入りのミカンちゃん!」 


 太陽のような子。


「隣の集団動き遅くない?」

「お、碧、鋭いね。この子たちは年長組だからスローペースなんだよね」


 自然と近づきたくなるような存在で。


「志保はどの子がお気に入り?」


 大好きな友達。


「この割り込みして飼育員さんの腕に入ってる子かな」


 ——ああ、わたしは、勝てない。

 

 志保は、真っ暗な空間の中で一人だけ、澄みきった青空を見上げているような。

 そんな気分に浸っていた。

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