第四十一話「炎」
わたしは、自宅の前へと来ていた。
時間が止まっていた間にしたことが、
現実として残っているのかを確かめるために。
しかし、そこに家はなかった。
あったのは、真っ黒な灰の山だけ。
建物だけでなく、庭の芝生まで綺麗に焼き尽くされていた。
驚きはしなかった。
きっと、パパは自分が死んだ時に、家が燃えるように仕組んでいたのだろう。
それが合理的だし、パパならそうするはずだったから。
消火活動はすでに終わっていたものの、消防や警察が現場検証を続けていた。
わたしは名乗り出ることもせず、ただその場を離れた。
次に向かったのは、真島ビル。
もし、わたしがやったことが現実になっているなら、
すでに警察が動いているはずだった。
真島ビルへ向かう途中、
交差点にある巨大ディスプレイが、ニュースを映し出していた。
『速報です。本日午後二時頃、冴央区にある真島ビルにて、真島グループの代表を含む経営陣十五名が行方不明となっています。警視庁によりますと、会議中は外部との連絡を遮断するため、発見が遅れたとのことです。また、会議が行われていた最上階の窓ガラスが破られており、そこから何者かに拉致された可能性があるとみられています。
しかし、今回の事件では、警備システムが一切作動していなかったことが判明。また、監視カメラには、事件途中からの映像しか記録されておらず、不自然な形で途切れていました。現在、警察は——』
わたしは、ニュースを背に、電車を乗り継いで澪浜駅へ向かった。
夜景が綺麗だと聞いていたから。
ただ、それだけだった。
澪浜駅に着く頃には、すでに日が暮れていた。
海面に映る観覧車の光が、ゆらゆらと揺れている。
わたしは夜景を背に、パパの手紙を眺めていた。
「終わったみたいだよ、パパ。頼まれていたことは、全部ちゃんとやったよ。本当なら、他の場所も確認しなきゃいけないんだけど、もう疲れちゃった……。でも、これでいいんだよね?」
夜の乾いた風が、わたしの髪を揺らす。
「そうそう。パパが言ってた通り、わたし、死なずに時間を戻せたんだよ。戻せたっていうより、戻ったって感じだけどね。正直、どうして戻ったのかはよく分かってない。なんでだと思う?って、わたしが分からないんだから、パパにも分からないよね」
苦笑しながら、視線を手紙に落とす。
「わたしね、やっと、言えたの。好きな人に、ちゃんと、言えた。そしたらね……碧のことが好きだってことがよく分かって、好きだってことは大切だってことが分かって、大切だってことは生きてほしいって思って、それで……」
視界が滲む前に、わたしは手紙にライターの火を点けた。
赤く染まった炎は、一瞬の輝きだけを残し、夜風へと溶けていった。
*
文化祭二日目の朝のホームルーム。
キャンプファイヤーの話、売上の話、ミスコンの話——
浮かれた話題が飛び交う教室を、担任の声が制した。
「みなさん、今日はとても悲しいお知らせがあります」
教室の喧騒が、途端に静まる。
「クラスメイトの夏目雫さんが、昨晩の火事でお亡くなりになりました。突然の出来事に、言葉が見つかりません。今はまだ信じられない気持ちもあるかもしれませ——」
それからも担任は何かを話していた気がするが、
碧の耳にはもう何も届いていなかった。
夏目雫が亡くなった。
文芸部の同級生が亡くなった。
友達が亡くなった。
雫が死んだ。
言葉を変えてみても、どれも頭にうまく入って来ない。
ホームルームが終わる。
教室にはまだ静寂が満ちていた。
だが、その静けさも次第に薄れ、どこかへ消えていく。
碧は、教室を出ようとする担任を呼び止めた。
「先生……その、雫は、あの、どうなって……ごめんなさい……」
何が分からないのかも分からなかった。
何を聞きたいのかも理解していなかった。
表情の取り繕い方も忘れて、碧は泣いていた。
「白石くんは文芸部で一緒だったよね……夏目さんは、火事で亡くなられたんだ。ご家族も——」
また、担任の声が遠のいていく。
ひとしきり心配した担任は、やがて教室を出ていった。
廊下の雑音が大きくなる。
碧は自分の席に戻っていた。
「碧くん」
声の主は志保だった。
その瞳は、すでに真っ赤に腫れていた。
「……聞いたか?」
「うん。聞いた、雫のこと」
碧は、言葉が出ない。
息をするのがやっとだった。
「火事、だってね」
「……ああ」
「なんで……なんだろうね。なんで、雫、なんだろうね……」
志保の目から、大粒の涙がこぼれた。
それでも、志保は言葉を続けた。
「理由なんてない、けど、それでも、なんか、悔しいね」
不慮の事故。
ただ、それだけの事実。
それでも、頭の中にはたくさんの『もしも』が浮かんでしまう。
もしも、昨日、三人で無理やりにでも打ち上げに連れ出していたら。
もしも、昨日、雫にちゃんと返事をしていたら。
もしも、もっと前に、気持ちを伝えていたら。
雫はもう戻らない。
後悔は所詮、受け入れられない事実を現実にする力しか持たない。
「……今日、どうする?」
志保が問いかけた。
「ちゃんといるよ、文化祭。雫、実は楽しみにしてたんだよ」
——ああ、今、笑えていないな。
「本当に? 全然興味なさそうだったのに」
志保も、ぎこちない表情をしていた。
「俺も全然知らなくてさ。でも、雫、ちゃんと回るコースも考えてたぐらい楽しみにしてたんだよ」
「えー、なんか抜け駆けされた気分だ。今日、そのコース教えてよ」
碧は小さく首を振る。
「……悪い」
「……そっか。じゃあ、今日はわたしが主導で回りますか」
「任せるよ」
二人は教室を後にした。




