第四十話「部室」
わたしたちが体育館に戻ると、すでに演劇は終わっていた。
ステージでは軽音楽部が演奏をしている。
ボーカルの声が大きすぎて、スピーカーがハウリングを起こしている。
お客さんの数は、まばらだった。
演劇の時よりも明らかに少なくなっている。
みんな、最後まで見てくれていたんだろうか。
ここで起こったすべての出来事が、遠い昔の記憶のように感じられた。
わたしと碧は体育館の後方で並んで立ち、ステージを眺めている。
すると、視界の端に動く影が映る。
長い髪がバッサバッサと靡いている。
壁沿いギリギリを小走りで、こちらへ向かってくる人影。
志保だった。
「もう二人とも! どこ行ってたの!!」
息を切らした志保が目の前で立ち止まり、険しい顔をする。
志保が、動いている。
その事実だけで、泣きそうになる。
時間が戻っても、志保の体に異変はなかったようだ。
体育館がパニックになっていないところを見ると、
ここでの時間は正常に流れていたのだろう。
わたしは息が上がったままの志保の背中を軽く撫でた。
「志保、聞いてよ。碧がわたしを誘拐したんだよ。ほら、ここの傷がその証拠」
「碧くん……?」
志保の目が鋭くなる。
斜め下から碧を睨みつけるように見上げている。
軽音部の演奏で周囲がうるさすぎるせいか、言葉だけでは伝わらない部分を表情で補っているんだろう。いや、志保は怒る時、いつもこうだったような気もする。
「だから、何回違うって言えばいいんだよ」
碧が眉を寄せ、わずかに肩をすくめる。
「でも、理由は教えてくれないじゃん。あんな人気の無いところに連れ込んでおいて」
「連れ込んだってえ?」
志保の眉間の皺がさらに深くなる。
「ただの公園だって」
「『ただの』が怪しすぎます」
「普通の」
「『普通の』はもっと怪しいですね」
「……」
「何も言わないのは——」
わたしは二人の間に手を差し込むようにして、大声で遮る。
「はい、ストップ! とりあえず、ここうるさいし、部室行かない?」
「「賛成!」」
二人の声が綺麗にハモる。
すぐに、三人で体育館を後にした。
碧が部室の鍵を開ける。
ドアが軋む音とともに、慣れ親しんだ空間が広がった。
わたしたちは、いつもの定位置に腰を下ろす。
「志保、それで演劇はどうだったの?」
「いやー、最高だったよ、最後まで。っていうか、どこら辺までいたの?」
「暗転まで」
志保が大きなため息をつく。
「なんで、あとちょっと粘れないかなー」
「本当にそう」
碧は黙って頷く。
まるで他人事のように。
「暗転の前のシーンでさ、涙腺崩壊してるお客さんが何人もいたよ。で、その後、暗転が明けて、後日談が来て。あれが本当に効いてて、後味のいい作品になってた。うん、最高だった。『また来年もやりたいね』って真壁さんとも話したよ」
碧が机に身を乗り出す。
「マジ!? 真壁さん、怒ってなかった?」
「ううん、むしろノリノリだったよ。って、思い出した!」
志保がバンと机を叩く。
「演劇が終わった後、わたしがどんな目にあったか、今から話すから、最後まで聞きなさい! 二人とも!」
「「はい」」
わたしと碧は、思わず背筋を伸ばした。
「まずね、暗転が終わって周りを見たの。そしたら、隣にいたはずの二人がいなくなってた。トイレに行ったのかなって思って、終わるまでは演劇に集中してたんだよ。でも、二人が帰ってくることはなく、演劇が終わっちゃった」
これは相槌を入れないとマズい。
そう思ったわたしは、適度に相槌を打つことにした。
「……まあ、そうなるよね」
「そうなるよね、じゃないの!」
志保の睨みに、わたしと碧は思わず縮こまる。
「でもさ、教頭先生は舞台裏に縛りつけたままでしょ? だから、すぐに舞台裏に駆けていって、教頭先生のロープを解いたの。そしたらね、同級生との世間話さえ苦手なこのわたしが、教頭先生と、世間話するハメになったわけ」
——いつまで続くんだろう。
「でも、最終的に、教頭先生、『来年も楽しみにしてるよ。今度は正面から見たいけど』って、にっこり笑って言ってくれて」
「良かったね」
「終わった雰囲気、出さないの!」
志保が勢いよく指を突きつける。
「その後よ。わたしは、もうそろそろ二人が戻ってきたかなって思ったのに、まだ戻ってきてない。だから、わたし一人で、演劇部のところに行って、真壁さんにお礼を言ったわけ」
さすがに疲れてきたのか、志保は一度呼吸を整える。
「そしたらね、真壁さんが『いやいや、最高の脚本をありがとう。お客さんが泣いてる舞台を、舞台上から見るの初めてだったよ。卒業前に一生残る思い出ができて良かった』って言ってくれて。わたし、思わず泣いちゃって。そしたらさ、周りの演劇部員が勘違いして、『真壁さんが後輩女子を泣かせた!?』ってなって、真壁さん大慌て」
——ずっと続けてもいいんだよ?
「で、最終的にわたし、走って逃げた。それで、部室に帰ってきて、ずっと待ってたの。でも、二人とも戻ってこない。さすがにこれはおかしいと思って、体育館に戻った。そして、今」
長い長い話を終えて、志保は長い長いため息をついた。
「以上!」
うっ、怒涛だった。
だけど、演劇は高評価っぽくて嬉しい。
「……すみませんでした」
「俺も、ごめんなさい」
「分かったなら、もういいよ。明日の片付けは、絶対に来るように」
わたしと碧はコクコクと頷く。
わたしは椅子を引いて立ち上がった。
「今日ってもう終わりでしょ? わたし、用事あるから帰るね」
「え、そうなの? せっかくだし、打ち上げしようって話してたんだけど……なあ、志保」
「うん。久しぶりにどう?」
「……ごめん、今日の用事は外せなくて。明日ならいいけど」
碧が口を尖らせる。
「分かった。じゃあ、明日打ち上げな!」
「了解。じゃあね」
わたしはバッグを肩に掛け、ドアの取っ手に手を掛ける。
そして、振り向かずに、ぽつりと呟いた。
「碧、志保」
「ん? どうした?」
「何?」
二人に出会って、わたしの人生は変わってしまった。
わたしの人生は、暗殺者として、たくさんの人を殺し続けて、戦略的に結婚をして、子供にクロノスタシスを継承して、子供を管理をして。その頃のわたしは、自分の子供にでもそれを厭わないはずで。そして、日常を繰り返して、パタっと自室で死ぬの。その後、愛のない形式的な葬式がされて、この世を去る。
これが想像しうる中で、最も希望的なわたしの人生だったのに。
碧と志保に出会ってから、そんな人生が嫌だと思うようになってしまった。
最初は、やっぱり他人って邪魔くさいと思っていたんだよ。でも、そんな煩わしさが、そんな邪魔くささが、あまりにも愛おしくて、本当に、大好きだった。
わたしと関わるということがどういうことなのか、わたしが一番知っていたはずなのに、大切だったら一緒にいてはいけなかったのに、どうしても離れることができなかった。
でも、もう大丈夫だ。
生まれ変われるなら、もう一度、碧と志保に出会いたい。
「……ありがと」
わたしは、そっとドアを開けた。




