第三十九話「夢」
校門を出て、十分も経たずに目的地に着いた。
「……ここ、前に来た公園じゃん」
「そう。最初の秘密基地」
わたしたちが来たのは、
かつて文芸部の三人でよく訪れた公園だった。
特に、まだ一年で碧も志保もバイトをしていなかった頃。部室での活動後、話し足りなくて、自然と足を向ける場所だった。二人がバイトを始めてからは忙しくなり、集まるとしてもファミレスが多くなったけど。
この公園は、学校からさほど離れていないのに、路地裏を何本か抜けないと辿り着けない。周囲の街灯も少なく、住宅街の中にぽつんとあるせいか、他の生徒が来ることはほとんどない。だからこそ、わたしたちはここを秘密基地のように使っていた。
小さな公園で、
ブランコが二台、ベンチが二つ、広場、時計があるだけの、
なんの変哲もない場所だ。
わたしはブランコに腰を下ろし、指を差す。
「碧は、いつもこっちだったでしょ?」
「そうだっけ? そこまで覚えてない……だいぶ前だろ、ここに来てたの」
「一年ぐらい前が一番よく来てたかな。放課後、三人で」
「何してたっけ? こんなとこで」
「今と変わらないよ。ただ、話してただけ。テストがやばかった話とか、先生の裏話とか……本当に、くだらないことばっかり」
思い出されるのは、本当に、どうしようもなくくだらないことばかり。
『他愛もない』なんて言葉ですら、少し大げさに感じるくらいに。
「そういえば、碧はこのブランコの席、絶対渡さなかったんだよ」
「いやいや、そんなことないだろ」
「いや、譲ってないね。わたしが立ち上がって志保に『変わろ』って言って、しばらくして、志保が立ち上がってわたしに『変わろ』って言って変わる。その繰り返しだった」
「お前らが我慢弱かっただけじゃない?」
「普通、次は自分の番かなーとか思わない?」
「思わないな」
「えー。わたしじゃなきゃ嫌われちゃうよ、そんなこと言ったら」
これは、憶測に過ぎないのだけど。わたしも志保も、相手が碧の隣に座っていたいんじゃないのかと思ってて、素早く交代してたんじゃないかな。今頃になって、そういう感情の理由が分かってくる。
わたしは小さくブランコを揺らす。
碧の横顔を盗み見る。
——ああ、かっこいいなあ。
あと、何分こうしていられるのだろう。
これで碧を見るのも最後だ。
今しなければいけないことは分かっていた。
でも、わたしは弱いから、声が出せずにいる。
でも、わたしは弱いから、体が動かせないでいる。
——「また明日」は、わたしにはないのに。
碧もブランコを揺らしながら、ふとわたしの方を見る。
「雫」
「ん?」
「……本当の文化祭二日目が終わったら、また二人で、ここに来ないか?」
二人でって言った?
嬉しい。とっても嬉しい。
理由なんて、何でもいい。
「……うーん、それは無理かな」
「どうして?」
「実際は、片付けもしなきゃいけないでしょ?」
「その後でもいいから」
「わたしも忙しいし……すぐに帰らないと」
また、嘘をついた。
碧が近くにいるほど、優しくされるほど、怖くなってしまう。
この二時間だけは、嘘をつかないって決めていたのに。
気がつくと、わたしはブランコを降りていた。
碧の正面にしゃがみ込む。
「碧……わたしね……」
言葉が、出てこない。
「ずっとひとりぼっちで、それがいいと思ってたの。わたしは、きっと、碧が思ってるよりも、ずっとずっと悪い子だから。でもね……」
言葉は、出てこない。
わたしの両手が、碧の頬に触れる。
わたしの唇が、碧の唇に重なる。
「碧のことが、ずっと、好き」
叶わない願いに、意味なんてない。
「優しくて、かっこよくて。話しかけてくれた時から、ずっと……」
意味なんてないのかもしれないけど、わたしはそれを願わずにはいられない。
とっても惨めで、
とっても無様で、
とっても素敵な、
最大限のわたしで。
「だから、わたしの隣にずっと……ずっと、いてください」
なんで碧も泣いているんだろう。
そう思った瞬間。わたしの涙が、地面に落ちた。
車の走行音。
鳥の囀り。
木が揺れる音。
全てが、一気に耳へと流れ込んできた。
——時間が、戻った。
わたしが死んでいないのに時間が戻り、碧は消えていない。
時間が完全に戻ったのか、
それとも止まった時間の出来事までもが消えたのか。分からない。
碧は涙を腕で拭きながら、戸惑った表情でわたしを見つめていた。
「どうなってる? 時間が戻った?」
どうやら、碧は止まった時間の中にいた記憶を持ち続けているらしい。
わたしのさっきの言葉も——。
「ごめん、雫。あの返事なんだけど——」
碧が何かを言おうとした瞬間、わたしはそれを遮るように口を開いた。
「っていうか、なんで公園にいるんだっけ?」
碧の表情が、一瞬固まる。
「……え?」
「演劇を見てて、暗転して……ラストシーンを見ようとしてたんだよね? そこから、記憶がなくて、気づいたらここにいるんだけど……。まさか、碧、わたしに睡眠薬でも飲ませた?」
わたしは冗談めかして笑ってみせた。
碧の顔色がさっと変わる。
「何言ってるんだ? ここに連れてきたのは雫だろ? もしかして、覚えてないのか?」
「どうしたの碧。なんか変だよ?」
「変なのは——いや、なんでもない、ちょっと頭冷やして後で話す」
碧はわずかに視線をそらしながら言う。
「……体育館に戻ろうか」
碧がそう言うのを聞いて、わたしはスマホを取り出した。
通知が、三十件。志保からのメッセージが、ずらりと並んでいる。
「志保は体育館いるんだよね? 早くしないと、心配させちゃう。まだ演劇見てる途中かもしれないけど、一応連絡しとくね」
碧はブランコから立ち上がると、
しゃがんでいるわたしに手を差し出した。
わたしはその手を取らずに、
両手を地面について自力で立ち上がる。
「……よし、行こうか」
わたしは碧よりも一足先に公園を出た。
そして、公園の入り口で足を止めて、静かに振り返る。
久しぶりに見る砂の舞う光景は、どこか儚げで、美しかった。




