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第三十五話「文化祭二日目」

 碧は、目が覚めた時、体育館の床で倒れていた。


 こうして、考えることができることが奇跡だと思うぐらい、

 全身が潰されるように刃物で切られたように痛い。

 

 口の中に広がる鉄錆のような味が、現実感を歪ませる。

 生暖かい血の味がした。


 ああだめだ、意識が朦朧とする。

 何も分からない。


 なんとか教頭を止めて、演劇の終盤を見ていて、暗転して。


 誰か、誰か。

 あれ、雫、いない?


 きっと、担架とか持ってきてくれてるんじゃないかな。


 ああ見えて、雫は優しいから。



   *



 わたしは体育館前にいた。

 乗ってきた自転車を放り投げる。


 遊園地からここまで二時間弱と言ったところだろうか。


 本当にギリギリの距離を碧は来たんだな。

 だから、体がどうなっていてもおかしくない。


 全部、全部、全部、わたしのせいだ。

 これで最後、本当にちゃんと死ぬから。


 ——どうか、神様、碧を生かしてあげてください。


 体育館の入り口で靴を脱ぎ捨てて、

 メインコートのドアを開けた。


「雫ー! これってどうなってるんだ?って雫……?」


 わたしがするのはお門違いだ。

 そんなことはわたしが一番分かっているはずなのに、

 どうしても涙が止まらなかった。


 わたしは碧に背を向ける。


「なんでもない! 碧、こっち来て!」

「え? いや、説明してくれよ。俺、パニックだよ」


 涙が止まると振り返り、碧の元へ駆け寄る。


「おい、その傷大丈夫か?」

「ほら! 行くよ!」


 わたしは、碧の手を引いて体育館を後にした。




 碧がわたしの手を振り解いた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。説明が欲しい」

「たぶん、碧が見たままが答えだよ? 起きたら時間が止まってた。違う?」

「……いや、違わないんだけど。本当にあり得るのか?」

「わたしの言葉、信用できない?」

「……信じるよ」

「よし、そうと決まれば行こっか」

「行くって、どこに?」

「何言ってんの? 今日は文化祭だよ? 行くところいっぱいあるじゃん」

「いや、にわかには信じ難いけど、時間が止まってるんだろ? そんな中で文化祭って……」

「それも、ワクワクしない?」

「……する」


 碧は不安そうに笑いながらも、わたしの隣に並んだ。

 



 二人は靴を履き替えて外に出る。

 わたしは出店の列を指差した。


「まずは腹ごしらえだね」

「なんか食いたいものでもあんの? いや、ちょっと待って、当てる!」


 碧はわたしの目の前に手を広げ、出店エリアを見渡す。


「分かった! クレープ!」

「……本当にその回答でよろしいでしょうか?」

「……はい」


 無駄な沈黙の後、わたしは口を開く。


「……正解です! そんな碧選手には、わたしのクレープを分けてあげる権利を差し上げます!」

「え、そんなことあるんだ……雫が、クレープを……」

「どんなイメージ持ってるのよ」

「だって、雫から『ちょっとちょうだい』で分けてもらったこと、たぶん一度もない気がする」

「たぶん、でしょ?」

「うん、たぶんだけど」

「なら、碧の勘違いだよ。こうやって幸せを分け与えることができるいい人だから」

「……まだ貰ってないけどな」

「焦らないの、碧選手」


 あ、チュロスもありかも。


 主食系からスイーツ系まで充実した出店の間を二人で歩く。

 クレープの屋台に到着し、わたしは横から屋台内へと入る。


「おい、なんでそっち!」

「だって、いくら待ってもクレープは出てこないでしょ?」

「……そっか」

「わっ、チョコバナナだ! 美味しそう!」


 焼き終えたクレープを調理担当の手から、さっと没収する。

 そして、再び屋台の外へ。


 律儀に屋台の前で待っていた碧の隣に並び、

 勝ち誇ったようにクレープを見せつけた。


「どう? いいでしょう?」

「でも、分けてくれるんだよね?」

「え、あげないよ?」

「約束って……」

「いただきます!」


 わたしはチョコバナナクレープに小さめの一口でかぶりついた。


「時間が止まってても普通に食べられるんだな」

「ほべられるほ」

「なんて?」


 口の中にまだクレープ入ってるでしょ、どう見ても。


「……食べられるよ。仕組みはよく分かってないんだけどね」

「ふーん、詳しいんだな」

「……はいっ、あーん」


 次の言葉をかき消すように、

 わたしは食べかけのクレープを碧の口元に突き出した。

 碧はあたふたしながらも、大きく開けた口でクレープを頬張る。


「……ありがと、うまい」

「でしょ、でしょ。碧もこれで甘党の仲間入りだね!」

「いや、元々甘党だって俺」

「そだっけ?」

「お前らが超甘党なだけだよ」

「そんな甘党な君は、次に何を選ぶのかな?」


 わたしは、握り拳を碧の口元へと近づける。


「たこ焼き」

「おい」

「すぐそこだし、行こ」

「いいけどさー」


 わたしは残りのクレープを口の中に詰め込み、

 クレープの包みを屋台前のゴミ箱に放り投げた。


 クレープ屋の斜め前に位置するたこ焼き屋に到着。

 碧を先頭に屋台の横から調理場へと入る。

 作り置きはなく、調理中のたこ焼きはまだ半焼け。

 とても食べられる状態ではなかった。


 しかし、碧の視線の先には、

 すでに完成したたこ焼きのパックがある。


 ただし、それは明らかに誰かの購入済みの商品だった。


「それってもう、会計済みだよね?」

「な、なんのこと?」

「いや、それだよ」


 わたしは、お客さんが手に持っている買ったばかりのたこ焼きを指差す。


「これ食べても時間が戻ったら食べてないことになるとかないかな?」

「……さあ?」


 碧は無言でお客さんの手からたこ焼きのパックを取り上げた。

 熱かったのか、一度手の中でパックが宙に浮く。


 わたしは碧の腹を人差し指でツンツンとつつく。


「碧も、悪だねえ……」


 わたしには目もくれず、

 碧はパックを開け、中に入っている爪楊枝を手に取る。


 そして、出来立てのたこ焼きを、わたしの口に押し込んできた。

 冷ますことなく、ストレートで。


「はい、これで雫も共犯」

「ほえ、はふんばはふんは」

「美味しい?」


 口の中の状況を整えつつ、なんとか熱さをしのぐ。

 空気の通り道を作り、舌を少しずつ当てながら、

 ようやく落ち着いた。


 わたしはパック内のもう一つの爪楊枝をつまみ、

 フェンシングさながらの動きで目の前の碧の口に向けて突き刺す。


「ちょっ、まじで、ほら!」

「まっ」


 碧の口の中に、無事たこ焼きが投入された。


「ほらほらー、熱いでしょー」


 碧はなぜか、体を回転させながらジャンプしていた。


 おかしすぎて、お腹を抱えて笑う。


「何なの、その動きっ! なになに、なんかのモノマネ?」

「……はあ、絶対火傷した。上の方、確実に」

「一緒だね」

「嬉しくねえよ」

「反省は?」

「……したした。っていうか、雫もやり返してるから同じだろ?」

「まあねー」


 その後、わたしたちは残りのたこ焼きを全部食べた。


 もちろん、無謀な食べ方はせず、一個一個丁寧に割り、フーフーしながら。

 時々たこがパック内に落ちて、奪い合うシーンもあった気がする。


 でも、八個入りのたこ焼きの中で、一番美味しかったのは最初の一個だった。


 きっと、出来立てだったからだ。

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