第三十話「パパへ」
「まだ、残っては、いるか」
そう、パパを殺さなければならない。
やらなければ、パパの願いが台無しになってしまう。
もうとっくに乗り越えたはずの思いが、わたしの行動の邪魔をする。
わたしは自転車で家を目指して漕ぎ始める。
車のボンネットに反射した日光が視界を遮る。
「碧、無事かな……」
今から随分と前。
わたしは、関東から出る前に一度、体育館に寄っていた。
碧が心配で仕方がなかったからだ。
碧が口から血を流した要因が、もしリセットの合計回数だったらと思うと、
居ても立っても居られなくて。
体育館に着くとわたしは、
ゆっくりと体育館のドアをほんの少しだけ開けた。
隙間から中を覗くと、碧が志保の前で手帳を広げて読んでいるところだった。
碧の口周りには血の跡もなく、体には異常があるようには見えなかった。
ほっとしたわたしは、すぐにドアを閉めて自転車のところまで歩いた。
早く学校を出ないと、碧に会いたくなっていただろうから。
そんな碧の姿を思い出していると、いつの間にか家に着いていた。
部屋のドアを開けると、出て行った時と変わらない体勢でパパが立っていた。
散らばった本を避けながら、パパの目の前まで近づく。
「パパ、ただいま。
全部終わらせてきたよ。
もー、このリスト、地図ぐらいちゃんと書いてよね。
住所書かれてもネット使えないんだから。
でも、ちゃんと本屋さん行って地図で探したんだよ。
偉いでしょ。
それからね、ここに載ってる住所にいない人がいて大変だったんだよ?
そこの人たちの物から特定して何とかいる場所に辿り着いて、
あれはもう無理だなーって思ったけど、できた。
やればできる子だからね、わたしは」
一度呼吸を整えて話を続ける。
「えっと、それと。
それとね……わたし、好きな人が、できたんだ。
こんなの付き合ってから言うようなものだと思うけど、
言えそうに、ないから。
でも、パパにもどんな人か知ってもらいたくて。
名前は、白石碧って言うんだ。
碧はね、わたしのもう一つの世界を見せてくれた人なんだ。
世界っていうと大袈裟かもしれないけど、
わたしにとって、その表現がしっくりくる。
わたしって人を寄せ付けないところがあるじゃない?
そもそもわたしには誰も関わらない方がいいと思っているからね。
だって、暗殺者だよ?
だから、わたしは人を遠ざけてた。
でも、そんなわたしを碧は笑わせてきた。
もちろん碧はわたしが暗殺者なんて知らない。
でも、それでも、嬉しかったの。
そして、わたしは碧のことがもっと知りたくて文芸部に入った。
文芸部っていうのは、小説を書くところで。
わたしほとんど小説なんて読んだこともなかったからさ。
まあ、碧は驚いてたよね。
それでもいいっていうから結局文芸部に入ることになった。
それから、
小説読んだり、書かされたり、どこかへ連れて行かれたり、
そんな慌ただしい日々に巻き込まれて……
楽しかったんだ。本当に。
やること全部が、面倒くさくて、鬱陶しくて……愛に溢れていた。
いつなんだろうね、わたしが好きって思ったのは。
正直、分かんないや。
まあ、そんな人が、わたしの好きな人。
えっと、それからね。
それから、もっと話したいことがあって。
もっと、あるんだよ。
だから……」
パパの手に触れた。
分厚く温かい掌。
右手の中指には、ペンだこができている。
パパの背中に触れた。
硬い背筋は押してもびくともしない。
パパの頬に触れた。
ふっくらとした弾力に、ざらついた感触が混じる。
パパの瞳を見つめた。
淡く茶色がかった瞳。
澄んでいて、優しくて、わたしを映している。
わたしは、忘れないように何度も繰り返した。
全部全部、知らなかった。
なぜ、もっと早く愛を教えてくれなかったのだろうか。
もっと、もっと、もっと、触れていたい。
触れていたかったのに。
——違うよね。
愛を教えないことで、誰よりも愛してくれた。
わたしは、最初から愛されていた。
その時、
小さな娘を寝かしつけようとするパパの声が、
はっきりと聞こえた。
「パパ、大好き」
わたしは、拳銃を取り出し、こめかみに照準を合わせる。
目を瞑り、震える指に力を込めた。




