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第二十八話「真島ビル」

 わたしは、大型ショッピングセンター内の書店に来ていた。


「旅行コーナー……旅行コーナー……」


 地図を買いに来ることは、

 きっと人生で最初で最後の経験だと思う。


 書店内を彷徨いながらようやく地図コーナーに到着。

 リストを広げて住所に目を通すと、関東圏が八割を占めていた。


 関東圏がまとめられた旅行用の地図帳を手に取り中身を確認すると、三百ページに渡り関東圏内の道路や建物の情報が掲載されていた。これだけ詳細に載っていればしばらくはこれだけでいけそうだ。


 本を片手に書店を後にする。

 通路に設置されているソファ椅子に腰をかけ、リストを広げる。


「ここから一番近いのは真島ビル。歩いてだと二時間ぐらいか」


 真島ビルの場所は知っている。

 誰もが知る名所となるような巨大なビルだ。


 まず、記憶で向かうことができるここから行くことにした。


 リストの上から三番目、

 『真島グループ』の左横に『1』とボールペンで書き込む。


 真島グループは、日本有数の財閥グループの一つ。

 

 そして、リスト内に真島グループ所属の人物が十五人存在する。代表取締役などの役職も同時に書いてあるけど、何をしている人か分からない役職も多かった。同業者ではないことを考えると、仕事の依頼をした側の人たちなんだろう。


 だから、わたしに殺されなければいけない、というのがパパの理論のようだ。


 グループのトップだけを選んだわけではないことから分かるのは、今後関わってくる可能性のある人たちは抹殺しようという意思だ。


 これを優しさと取るのか、残虐さと取るのかは人それぞれだと思う。


 リストの確認を終え、西口を目指して歩く。

 しばらくすると気になる店舗が目に入った。


「自転車、使える、よね!?」


 時間が止まった世界で自転車を使ったことはないけど、

 使える可能性は高い。


 わたしは、整然と二列に並んだ自転車の前を歩き、

 そのフォルムを食い入るように眺める。


 家には小さい時に乗せられた子供用の自転車しかなかった。そもそも、山の上に家があるので自転車を使って家を出たことは一度もない。わたしは自分の庭での運転経験だけしかなく、そこから現在まで約十年が経っている。


 そんなわたしが選んだのは、スタイリッシュなグレーの自転車だ。


「よっと。さあ、しゅっぱーつ」


 一漕ぎ、二漕ぎする。


 倒れるんじゃないかとヒヤヒヤしたものの、

 その後は自然と回転するペダルに足を預けながら、

 自動回転で回っているような足の感覚に従う。


 子供の頃にした経験の影響力は恐ろしいほど大きかったようだ。


「自転車も、悪くないね」


 わたしは、客が開けたままにした西口の自動ドアの隙間をすり抜けていった。




 自転車を漕ぐこと一時間。

 真島ビルに到着した。


 巨大なガラス張りのビルは、

 三階以上がマジックミラーになっている。

 外からは内部が見えない。


 ビルの周りには、植えられた木々が陽光を浴びて輝いていた。


 エントランスは広く、

 吹き抜けの天井が圧倒的な開放感を生んでいる。

 まるでホテルのロビーのようだ。


 静止したサラリーマンたちの間をすり抜け、

 受付のカウンターにリストを広げる。


「ターゲットは最上階の可能性が高い……さ、さいじょう、かい……」


 四十階。


 溜息とともに肩がガクッと落ちる。


 わたしは広げたリストを雑に片付け、非常階段へと向かった。


 酸欠寸前の肺が悲鳴を上げる。

 息を切らしながらも、なんとか最上階へ到着した。


 最上階は異質な雰囲気を醸し出していた。

 これまで通ってきたフロアは、どこも同じレイアウトだった。


 だが、ここは違う。


 通路はひとつ。

 奥には、たったひとつの大部屋。

 通路には誰もいなかった。


 緊張感が疲れの感覚を鈍らせる。


 目的の部屋のドアは、取っ手のない、

 一枚の金属板のようだった。


 電子キーが必要なタイプだ。

 これを突破するには電子キーを入手するのが定石だ。

 しかし、時間が止まっている以上、

 この部屋の中の誰かが持っているはずの電子キーは、永遠に手に入らない。


「うわああ、どうしよう!」


 思わず叫んでしまう。

 焦りが鼓動を早める。


 非常階段へ戻ろうとした瞬間、廊下の奥に窓があるのが目に入る。


「開けられれば……外から回り込める、かも!」


 テンションが上がったわたしは走り出し、

 勢いよく窓へ駆け寄り、開けようとする。


 しかし、その願いも虚しく、わずか二十度ほどしか開かなかった。


 だが、これは不幸中の幸いだった。

 実は、このちょい開き窓はわたしの十八番だ。


 カバンから工具を取り出し、窓枠のネジをひとつずつ外していく。

 金属同士が擦れる音だけが、廊下に響く。

 幼い頃、精密機械を分解するのが好きだった人は得意だと思う。

 ちなみにわたしもそうだった。


 数分後、窓は完全に開いた。


 わたしはカバンからハンマーを取り出す。

 窓の外へと上半身を突き出し、部屋の外壁を確認。

 ここもマジックミラーに覆われていた。


 わたしは上半身を窓から飛び出した状態で、

 ためらいなくハンマーを振り下ろす。

 

 音はない。

 なのに、記憶が勝手にガラスの割れる音を脳内で再生する。


 ガラスは飛び散らないように加工されていて、ひびが広がるだけだった。

 しかし、何度か叩くうちに、ついに貫通した。


「うう、メリメリって感触が……嫌すぎる……」


 呟きながら、割れた部分を広げていく。

 やがて、人ひとりが通れるサイズになった。

 窓枠を片手で掴み、慎重に足を穴へと滑り込ませる。

 もう片方の手で部屋の窓枠を掴み、一気に全身を引き入れた。


「いっててて。死ぬかと思った」


 腕に全力で力を入れたせいか、筋が切れそうな痛みが走る。

 室内は、円卓がひとつあるだけのシンプルな構造だった。

 その周りには、スーツ姿の男たちが座っている。


 ターゲットだ。


 カバンからリストを取り出し、一人ひとり顔写真と照合する。


「おじさん1、おじさん2……おじさん15。おっ、全員いるじゃん。ラッキー。確か、リストの注意事項に……あったあった。『ターゲットの場所の近くに処理施設を事前に設けてある。掃除屋はそこに常駐しているので、死体を所定の場所に置いて処理してもらえ』か……あ、本当だ、すぐ近くだ。じゃあ、全員をここまで運ばないといけないと。そこから落とそうかな」


 おじさん1を椅子から下ろし、お姫様抱っこの形で抱える。

 窓の穴まで運び、空中へ晒して、手を離した。


 しかし、おじさん1は、腰を曲げたまま、宙に浮いたまま動かない。


「うわー、ダメじゃん、普通に。何やってんの、わたし」


 わたしは時間の影響を受けるけど、他人は受けない。

 その事実をいつも忘れてしまう。


 一旦、おじさん1を室内へ戻し、休憩することに。


 床に座り込み、窓の外に足を出した。

 視線の先には、同じぐらいの高さのビル。

 その下には、大きめの歩道と四車線の車道。

 どこまでも続く、無機質な街並み。


 高いところは嫌いじゃない。

 ジェットコースターに乗ったときの死を目前にした興奮。

 観覧車の上から眺める世界を美しいと思わせてくれる景色。

 どれも好きだ。


「……パパのお姉さんも、こんな景色を見てたのかな」


 ——最後に何を想ったのだろう。


 短い休憩を挟んだ後、作戦を変更した。


 全員を通路側へ移動させ、四十階を十五往復し、

 処理施設へと運んだ。


 青色のシートの上に並べられた、十五人の男性。


 ナイフを握る手が震える。

 心臓が、喉までせり上がってくるような感覚。


「……怖い」


 声に出した瞬間、それが現実であることを見せつけられる。


 ——あれ、おかしいな。


 こんなに迷うはずじゃなかった。

 わたしは、こんなんじゃなかった。


 十五人。

 ただの数字だ。数字じゃないか。


 脳裏に蘇るのは、あの日の記憶。

 ナイフを突き立てた瞬間に、半月型の瞳が歪んだこと。

 笑顔が消えていく様が、脳内でフラッシュバックする。


「……これは碧を救うため」


 ——違う。違う。違う。違うでしょ?


 刃が胸へ沈む。

 一回、一回と重く刺さっていく。


 考えるな。


 一、二、三。

 十五まで数える。


 ただそれだけを、ただそれだけを。


 全員の胸にナイフを突き刺した。

 終わったあとも、手に焼き付いた感触は消えなかった。


 近くの川へ向かい、手を水に沈めた。

 流れのない川では、どれだけ洗っても血の匂いが消えることはなかった。


 それでも、わずかに心は静まっていた。


 わたしは、リストに記載されていた真島ビルのセキュリティセンターへ向かう。

 リストには防犯機器の種類ごとに、最適な破壊手段まで記載されている。


 わたしがすぐに銃を使うことまで計算済み、ってわけか。

 まあ、正解だけど。


 監視カメラの処理には慣れている。

 三時間とかからず、すべて片付けた。


 全ての任務を終え、ようやく真島ビルを後にする。


 自転車の前でリストを広げた。


「次に近いのは……西門銀行、か」


 澄み渡る空の下、わたしは自転車のペダルを踏み込んだ。

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