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第二十六話「冷たい感触」

「つ、いた」


 寒さのせいだろうか。

 耳がズキズキと痛む。


 コンビニの駐車場から走り出し、さらに坂を登り続け、

 降ったり登ったりを繰り返しながら、やっと山奥にある家の前まで辿り着いた。


「門が、門が、邪魔、すぎる。うっ、重いっ……」


 手動の鍵と生体認証で開く4mの門。


 正確には、手動で鍵を開け、

 ドア自体を生体認証で自動開閉する仕組みになっている。


 そこで、持参している鍵で開けた後、

 生体認証を試みるが失敗に終わり、このような醜態を晒しているところだ。


 巨大な門を押し切り、庭への侵入に成功する。


 庭にある犬小屋の前に到着すると、その場でしゃがみ込んだ。


「ポメラは……ぐっすりさんですねー」


 愛犬ポメラの頭をわしゃわしゃ撫でる。

 ポメラを飼っていたのはパパだったはずだけど、あまりにも世話をしないので小さい時からわたしの愛犬ということにしている。


「ポメラは実はお腹の触り心地が一番いいんですよ。皆さん。このぽよぽよ感。たまりませんねー」


 ポメラのお腹を一通り堪能し終わると、わたしは家の中に入った。


 ちなみに家の鍵は普通に鍵だ。

 このあたりのセキュリティ感覚には、いまだに納得がいかない。


 玄関を開けても、特に違和感はなかった。

 この家は、時間が進んでいても止まっているような場所だから。


 ——「おかえり」の一言さえ、返ってこないのだから。


 薄暗い廊下を進み、階段を登る。

 パパの部屋の前に到着した。


「うわー、呼ばれてないのに入るの、初めてだ……」


 震える手を片方で押さえながら、ゆっくりとドアを開ける。


 すると、正面にはパソコンの画面を立ったまま眺めているパパの姿があった。

 片目が閉じかけたような歪んだ顔で、怒っている表情にも辛い表情にも見えた。


「もー、電気ぐらいつけなよ」と言いながら、壁の電気のボタンを入れたが、カチッという音だけが虚しくどこかへと消える。


 パパと並んでパソコンを覗き込む。


「さあ、何をしているのでしょうかー? 『今後の契約の更新はなしとさせていただきます』と。宛先はQWERTYU? パスワードみたいな相手」


 謎の暗号のような取引先に契約破棄のお知らせ。

 内情は分からないけど、ちょっとは暇になるのかもしれない。


 やったね。


 それから、キャビネットの中、棚の中を調査したけど目新しいものは見つからなかった。


「本棚か……い、いや、だ……」


 部屋は4m級の本棚に一面囲まれている。


 ここを隈なく探すということは、

 この本一冊一冊の中身を確かめるということだ。


 資料が見つかるかもしれないと予想してここにやってきたんだ。

 覚悟を決めるほかない。


 気合を入れるためにその場で何回かジャンプをする。


 ——さあ、戦いの始まりだ。


 本棚は、上段、中段、下段に分かれている。

 巨人でもない限り上段には届かない。

 脚立はどこかにあったかもしれないけど、中段までに探している資料がある可能性を考慮し、先に下段から調べ始めた。


 パパとわたしは正反対だな。

 海外文学、純文学などの小説好きかと思えば、次の本は進化心理学、昆虫の生態、電磁気学といった科学系の書籍も所狭しと置いてある。


 博識な姿を知れば知るほど、

 わたしに勉強の強制をしていないのが不思議に思えた。

 

 まあ、パパのことだ。

 わたしには向いていないと早々に判断したのかもしれない。


 本棚を探し始めてから途方もない時間が過ぎたように感じる。

 やっと下段が終わる頃だ。


「この栞は何なんだろう? 雲?」


 本棚のいくつかの本には柄の入った栞が挟まっていた。

 コレクション気質でもないし、ファッションや家具にもこだわりを見せないパパがこういう柄ものを使っているのが意外だった。

 一個ぐらいパクってもバレないだろうと、一番可愛いかった犬柄の栞を本から取り出してポケットに入れる。


「下段終わった……」


 本棚の下段の調査が終わった。

 下段には結局何もなかった。

 パパの趣味嗜好に詳しくなった以外に新しい情報は得られていない。


 それから体感で六時間ぐらい経っただろうか。

 中段、上段、全ての本をひっくり返した。

 上段の何冊かの本が床や空中に散らばっている。


 そこには、無限の時間についても、暗殺についても、

 家族についても、何一つ書かれてはいなかった。


 散らばった本たちを退けた空間に座り込む。


 ——何もなかったな。


 別に最初から分かっていたはずで。


 ここに答えがあるというのは、

 わたしのないに等しい脳みそが作り出した妄想で、あって。


 心から信じてはいなかったはず。


 なのに、どうして、こんなにも、怖いんだろうか。

 何も見つからないまま時間が過ぎたら、きっと、碧は。


 ——わたしはどうやって生きていくのだろう。


 水や食料を摂る必要はこの空間であるのだろうか。

 この体の中の時間はどうなっているのだろうか。

 もしも進んでいるならわたしはどんどん年老くのだろうか。

 パパの若い顔を見ながら死んでいくのだろうか。


 ——わたしがこんな世界で、生きる意味はあるのだろうか。


 体をふらつかせながら、パパの目の前に立つ。


「ねえ、パパ。どうしたらいい? また一人になるのかな、わたし。パパが急に話を聞いてくれなくなって、寂しかったんだよ? 悲しかった。なんで、そんな風になったの。昔は、何でもないことでも褒めてくれたのに、悪いことをしたら叱ってくれたのに。ねえ、叱ってよ。そんなことも分からないのかって。ねえ、褒めてよ。ここまでよく耐えてきたなって」

 

 パパを力一杯に抱きしめた。


「ねえ、昔みたいに、ヨシヨシしてよ……」


 パパの胸に頬をつけると、ジャケットから何かの冷たい感触が顔に伝わる。

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