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第二十三話「覚悟」

 それから、何度、繰り返しただろうか。


 体育館に戻り、碧に嘘をついて、

 わたしが見てきた場所の説明をする。

 そして、また学校中を歩き回る。


 この単純作業を何度も。


 本館一階の職員室。

 先生たちの机の引き出し、書類棚、ロッカーの中まで開け、さらには胸ポケットの中まで確認した。


 本館二階の展示教室。

 文化祭用のポスターや案内パンフレットに目もくれず、動かない生徒たちの様子を観察した。


 本館三階の茶道部。

 着物姿の生徒たちがお茶を点てる動作のまま固まっている。テーブルの上に置かれたお菓子の袋の中まで、すべてを確認した。


 旧校舎の空き教室。

 文化祭で使われていない三十以上の教室を、一つ残らず回った。そのどこにも、何の手がかりもなかった。


 もう、全部、全部回った。


 何度も、何度も、何度も、何度も。


 ——おかしくなりそうだ。


 頭が朦朧とする。

 眠いのか、痛いのか、もう何もわからない。


 時間は、どれくらい経った?

 碧は、何回、体育館へ消えた?


 一日なんて、とうに過ぎているかもしれない。

 いや、もっと経っているはずだ。


 ——もう嫌だ。早く抜け出したい。


 自分の力のせいだって、わかってる。


 ショッピングモールで二人に会ったあの時も、本当は気づいてた。

 他の誰でもない、わたしの力のせいで起きたんだって。


 ——でも、本当にわたしは使ってない。


 そんなにコントロールできるなら、さっさと時間を戻すよ。


 なのに、それができない。




 気分転換に、初めて校門を出た。

 特に目的もなく、ただ歩く。

 どうせまた消えるのだから、これも無意味だ。


 ——もうすぐ、またリセットの時間だ。


 交差点で静止したままの人々を見つめる碧を、横目で見る。


 ごめんね、碧。

 こんなことに巻き込んじゃって。


 ——ああ、消えた。


 空気を揺らすこともなく、ただ、横断歩道の白線に足跡だけを残して。

 わたしはしゃがみ込み、その足跡をそっと撫でた。




「迎えに行かなきゃ」


 また、体育館へ。

 碧は、ステージに立っていた。


 見飽きた光景に、うんざりする。


 ——あれ、わたしの名前を呼ばないの?


 碧はこれまで一度も欠かさず、

 わたしが入ってきた瞬間に大声で名前を叫んでいた。


 でも、今の碧は、ただ大きく手を振るだけ。


 ステージに上がると、碧の様子にさらに異変を感じた。

 碧の口元には、濁った赤が滲んでいた。


「あ、碧……それ……」

「ん? ああ、これ?」


 碧は、自分の口元を拭いながら、指についた血を見せる。


「起きたら、口から出てたんだよ。でも、痛くはないし、もう止まってる。そんなことより、雫、どこ行ってたんだよ。起きたらみんな固まってるし、雫はいないし、大変だったんだぞ」


 起きたら?


「……碧、『起きたら』って言った?」

「え? うん、そうだけど」

「……演劇を見ながら、寝てたの?」

「いやー、あんまり覚えてないんだけど、暗転して暗くなった瞬間に寝ちゃったっぽい。部長として何やってんだって話だけどな」

 

 おかしい。


 さっきまでの碧と、身体的反応があまりにも違う。


 時間が止まるとき、体には何の違和感もない。

 止まっていることに気づくのは、いつも、周りが動かないことを認識してからだ。


 碧は、消えて、再び現れている。

 その移動する感覚に耐えきれず、身体に影響が出ているのかもしれない。


 時間が止まった世界に、碧は耐えられない。


 それでも、繰り返し、何度も何度も、碧は戻ってきた。

 この時間に耐えられるのは、わたしが生み出した時間だからかもしれない。


 ——最悪だ、わたし。


 わたしが耐えきれなくなっているのはただ繰り返される出来事への飽きだ。

 碧の苦しみに比べれば無いに等しい苦しみなのに、

 何度も同じ行動を繰り返す碧にあからさまに態度を悪くしていた。


 碧の身体は、もう長くないのかもしれない。


 わたしは、何人もの血を見てきた。

 どのくらいの出血なら大丈夫で、どれほどで命を落とすのか、見てきた。


 これは、悲観的な推測じゃない。


 碧の身体の異変が、戻った回数なのか、

 それとも移動する距離と関係しているのかはわからない。


 でも、もし学校の外に時間が動いている場所があったとしたら。

 もし、もっと遠くに、時間を進めるためのヒントがあったとしたら。

 そこに行くのは、わたししかいないだろう。


「もー、せっかくわたしたちで作ったのに。ありえないんだけど」

「ごめんごめん」


 碧が苦笑いしながら、そっと両手を合わせる。

 わたしも同じように、苦笑いで応えた。


「それで、この状況のこと、どう思ってるの?」

「フラッシュモブかとも考えたけど……全員、息してないしな。時間が止まったんじゃないかと思ってる。なんか、フィクションみたいな発想なんだけどな。でも、それしか考えられない」

「わたしも、そう思うよ」


 最後の会話かもしれない。


「本当か? どうやったら元に戻るのか考えないとな」


 戻ってきた時、碧は、待っててくれるのだろうか。


「……あのさっ」


 わたしは、ハンカチを取り出して碧に渡す。


「はい、これ。他人にそんなに血を見せちゃダメだよ」

「血がついちゃったら、取れないし、悪いよ。トイレ行ってティッシュで——」

「ほら、じっとして」


 わたしはハンカチ越しに、碧の頬を撫でる。


「ちょっ、勝手に拭くなって」

「はいこれ。碧の血がついたのなんて、もういらない!」


 ハンカチを押し付けると、碧は困ったようにそれを握る。


「……なんだよ、一体……」

「それじゃあ、わたし、旧校舎に何か解決策がないか見てくるね」

「え、一緒に行かないのか?」


 碧の目を覗き込む。


「あれー? 一人じゃ怖いのかな?」

「……もう、勝手に行ってこいよ。俺は本館の方を見てみるから。一通り見たら、体育館集合な」

「了解。気をつけてね」

「雫もな」


 わたしは、体育館の席に座る志保のところへと向かう。

 これまでのことを手帳に書いて、志保の手にそれをそっと置く。


「志保、碧のこと、よろしくね」


 志保の頭を、わしゃわしゃと撫でてから、わたしは体育館を後にした。

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