第二十二話「罪悪感を知る時」
放心状態のまま歩いていると、いつの間にか体育館前に戻っていた。
「本館、探してみるかな……」
靴を脱ごうとした時、体育館内から声がした。
「おーい! 誰か、いませんかー!」
低めの声を無理して高くしたような、少し間の抜けた中音域の声。
——碧が、碧が。
わたしは靴を慌てて脱ぎ捨て、体育館のドアを開ける。
ステージの上で、碧が両手をメガホンのようにして叫んでいた。
わたしも同じように両手を口元に当てる。
「碧ー!」
大きく手を振ると、碧がこちらを見つけ、顔をパッと明るくした。
「雫ー! どこ行ってた?」
「ちょっと待ってー! これ、疲れるから、やめない?」
「やめよー!」
このまま続けていたら喉が焼け死ぬところだった。
碧はステージから軽々と飛び降り、スタスタと走ってくる。
「で、雫、どこ行ってたんだ?」
「どこって、出店の方だよ」
「出店? ちょっと待て、この状況分かってるか?」
「は? 時間が止まっちゃったこと?」
「そうそう。なんだ、知ってるのか」
その言葉に、わたしは違和感を覚える。
わたしの姿を見て驚くのはなぜ?
碧は出店付近で消えた。
体育館に飛ばされたと仮定すれば、わたしを探しに来るはずだった。
それなのに、今の碧は、
まるで一緒にいた記憶がないかのように振る舞っている。
つまり、碧の記憶が欠落しているみたいだ。
——正直に伝えるか?
でも、それで何かが解決するだろうか?
むしろ、余計に混乱を招くだけじゃないか?
それに、二人の立場の違いを知られたくない。
わたしは一瞬の迷いを振り払い、無難な答えを選ぶ。
「タイミングが違っただけじゃないかな」
「それなら、他の人も待ってたら動き出すかもな」
わたしは、ゆるく首を縦に振る。
「雫は出店の方で何してたんだ?」
「何って、時間を戻す手がかりを探してたの」
「なんかあった?」
「いや、何にも。時間を動かす装置も、それを動かす人も発見してない」
「装置か……その線もあるのか」
おそらく、装置など存在しない。
でも、碧の中に装置という考えが残っているなら、
それを早めに思い出させた方がいい。
同じ話を繰り返すのは正直しんどい。
「というわけで、出店の方は見たから、本館を見に行かない?」
「おう、見に行こうか」
体育館を見渡すが、時間が止まった時と何も変わっていなかった。
わたしたちは体育館を後にし、本館へと足を踏み入れた。
目的地も決めずに、わたしは碧と並んで静かに廊下を歩いていた。
「本館のどこ回ろうか」
わたしが問いかけると、碧は少し考え込んでから口を開く。
「……時間が止まってるのって、この学校だけなのかな?」
そういえば、碧はまだ校門の外の景色を見ていなかったんだった。
「校門近くまで行った時に外も見たけど、止まってたよ。車も信号も動いてないし、電柱に止まるカラスも、それに向かって飛ぶカラスも、みんな空中で止まってた」
「はあ……やっぱりそうだよなー。じゃないと、この状況もおかしいもんな」
碧は大きくため息をつく。
そして、少し考えた後、ぽつりとつぶやいた。
「三階に行ってみよう」
「三階?」
「もし、何か装置があって時間を止めてるなら、その影響範囲があるんじゃないかって思ったんだ。だから、高さがあればそこだけ時間が止まってない……なんてこともあるのかもなって。でも、雫の話を聞く限りじゃ、どうせ止まってるのがオチなんでしょうけどね」
碧があからさまに機嫌を損ねている。
「ま、まあ、行ってみないとわからないし……行ってみよう!」
なんかごめん、という気持ちを胸に抱えながら、
わたしを先頭に三階へと階段を登る。
真昼の陽射しに照らされた小さな埃が、いつも以上に不快に感じられる。
きっと、それが宙を舞うことなく静止しているせいだ。
三階に到着すると、わたしたちはお化け屋敷の教室へ向かった。
黒いビニールシートで覆われた教室は、外から中の様子がまったく見えない。
ドアを開けると、赤く不気味な光が差し込んできた。
「こわっ!」
碧が異様に大きな声を上げる。
「わっ、脅かさないでよ!」
「俺は驚いてんだよ!」
「それが一番怖かったって!」
一旦、深呼吸。
碧が教室内を仕切る黒いビニールシートの隙間を覗き込む。
「やっぱり止まってるよな、ここも」
「わたしにも見せて」
ビニールシートの隙間から覗くと、お化け役の生徒たちがワラワラといた。
中腰で待機しているお化け。
勢いよく飛び出そうとしているお化け。
体育座りのまま、次の出番を待っているお化け。
どのお化けも、誰一人として動いてはいなかった。
わたしはそっと目を外す。
「……高さ制限はなさそうだね」
「そうだな。切り替えて装置探しをしよう」
碧はビニールシートの下から匍匐前進で潜り込んだ。
わたしもそれに続く。
お化け役の待機エリアに顔を出す。
「碧はさ、なんでそんなに必死なの?」
「なんでって、このまま時間が止まっちゃ困るだろ。死んじゃいそうだし」
「死んじゃわないとしたら?」
「死んじゃわないとしたら……困らないかもしれないけど……寂しいかな」
「寂しい?」
「演劇、最後まで見れてないし」
演劇がそんなに大事なのか。
わたしがしばらく黙っていると、碧が続けて話し始める。
「物語の最後は、気になっちゃうんだよ」
碧はふっと小さく笑った。
そして、ぽつりと呟く。
「雫には言ってなかったけど……俺の母さん、三年前に死んじゃってさ。病気で。学校に行ってたら、いつの間にか、いなくなってた」
わたしは息をのんだ。
「俺が駆けつけた時、母さんは、もう母さんじゃなかったように感じた。どんな時にも笑ってくれる母さんしか、知らなかったから。でも、周りの人は『何言ってんだ』って。それが、俺には、どうしても分からなかった」
碧の声は、かすかに震えていた。
「急に、今までの母さんが、フィクションのような存在に思えてきてさ。でも、そんなわけないって、頭では分かってる。でも、心は分かってくれなくて。もしも……母さんの側にいてやれたら、こんな思いにならなくて済んだんじゃないかって」
——わたしのしてきたことは。
「だって嫌だろ? 息子に、偽物の母親だって思われてるの。その……なんだ、怖いんだよ。終わるところを見ないと。今までの全部、雫たちとの思い出とかも、全部、実は幻だったんじゃないかって、思って、しまって」
その瞬間、碧の頬を伝った涙が、宙に浮かぶ。
わたしは手を伸ばし、指先でその涙に触れる。
すると、ふわりと浮いた涙が、わたしの手を伝って流れ落ちていった。
——こんなにも。
目を擦り、顔を上げると、
碧の姿はなかった。




