第十二話「動揺はわたしを狂わせる」
碧と志保がここにいること自体は、不自然ではない。
このショッピングモールは、学校からそれほど遠くないのだから。
でも、なんで二人きり?
文芸部と演劇部の会議の後に、ここへ来た?
わたしは、志保のことを知らない。
わたしは、碧のことを知らない。
水族館。
三人で行ったあの日、わたしは二人とはぐれた。
そして、合流したとき、志保の様子が明らかにおかしかった。
何かがあったのだろうとは思ったけど、直接聞くことはなかった。
だから、二人だけでカフェに行ってみた。
でも、志保は何も言わなかった。
ただ、わたしに謝っただけだった。
あれはもしかして、碧と付き合ったことを隠していたの?
もしそうだったとしても、志保がわたしに謝る理由はない。
それなのに。
それなのに、わたしは怖かった。
知りたくなかった。
見たくなかった。
何が怖いんだろう。
志保に知られるのが怖い。
碧に知られるのが怖い。
二人を失うのが怖い。
どうすればいい?
このまま、真っ直ぐ歩けば、二人と鉢合わせる。
でも、今のわたしの姿を見られて、どうなる?
見られたところで、何も起きない。
きっと、二人の目には、ただの買い物客のわたしが映るだけ。
なのに、どうしようもなく、怖い。
引き返す?
不自然すぎる。
横道に逸れる?
わたしはどうすればいい?
わたしの中で何かがぐちゃぐちゃになっていた。
——その瞬間、時間が止まった。
志保と碧は向かい合ったまま、笑顔で固まっている。
「え?」
わたしは、クロノスタシスを使っていない。
なのに、どうして時間が止まった?
そんなことは後だ。
今はこの場から離れる方法を考えろ。
わたしは、二人の横を駆け抜け、ターゲットの近くへと走る。
十分な距離を稼ぎ、二人からの視界に入らない位置へ移動する。
——うるさい、うるさいうるさい。
呼吸を整えながら、ゆっくりと歩く。
「……この位置なら、大丈夫」
誰に言うでもなく、ただ、自分に言い聞かせるように呟く。
怖くて、そう呟かずにはいられなかった。
次の瞬間、周囲の音が一斉に耳に流れ込む。
わたしは、ターゲットから目を逸らさないように集中する。
そして、さっきまでの感情を仕事の中に沈めた。
その後も尾行は続けたがチャンスには恵まれず、最終的にはホテルに潜入していた。
ターゲットの男が電話で話をしている。
「明日の朝一番の便で帰るよ……エリカの友達が来たって? ああ、そうか。うん、ありがとう。お土産、たくさん買ったからね。……ああ、愛してるよ」
このチャンスを逃すわけにはいかなかった。
パンツドレスの右足に隠したナイフを手に持ち、
音を立てずに大きなストライドで一気に距離を詰める。
するともうターゲットの顔は目の前にあった。
手が震える。
鼓動が早まる。
男の温かい吐息が、わたしの顔にかかる。
怖い。何が怖い?
この人を殺すのが怖い?
それとも……
瞳が半月型に弧を描いている。
無邪気な笑顔が、脳裏に焼き付く。
ナイフが男の胸に深く沈み込む。
生暖かい感触が、手を通して伝わってきた。
鉄錆の匂いが、部屋中に広がる。
男の笑顔が、歪んでいく。
ターゲットを刺殺した後も電話越しの女性の声はしばらく続いた。
「……もしもし? あなた? ……もしもし?」
わたしはそれを止めなかった。
カーペットに広がる赤い染みを見つめながら、わたしの手は震え続けていた。
脈を確認した後、パパに電話をかける。
「……パパ、今、終わった」
『確認は』
「済んだ」
『分かった。ご苦労様』
パパに電話を入れると、ホテルの部屋を後にし、伊藤さんにメッセージを送る。
ホテルを出て、裏道に入ると、伊藤さんの車がちょうどのタイミングで停まった。後部座席に乗り込む。
「お疲れ様でした。お嬢様」
「……疲れたよ。伊藤さん」
伊藤さんは、車を発進させる。
車内には、重苦しい沈黙が流れていた。
わたしは、先ほどの出来事を頭の中で何度も再生していた。
「……伊藤さん」
「はい、お嬢様」
「……わたし……怖い」
「何が、ですか?」
「……わたし……人……殺すの……怖い……」
伊藤さんは、一拍呼吸を置いて応えた。
「お嬢様……あなたは、一人じゃないですよ」
「……わたしの本当の姿知られたら……きっと、わたし」
「そんなことはありませんよ、お嬢様」
「……わたし……このままで……いいのかな?」
「お嬢様……」
伊藤さんは、ルームミラー越しにわたしの目を見つめた。
頭が痛い。
ぐちゃぐちゃだ。
ショッピングモールで碧と志保を見かけた。
楽しそうに笑っている二人を見て、胸が締め付けられるように痛かった。
見られたくない。
そう思った瞬間、世界が静止した。
——まるで、神様がわたしの願いを叶えてくれたかのように。
幼少期以来の、制御不能なクロノスタシス。
使う頻度と何か関係があるのだろうか。
体は平気だから、余計に分からなくなる。
この力に、わたしは支配されているのだろうか。
窓の外で、街の灯りが、ぼんやりと流れていく。




