他人の空似
「あの、あなたもソルテに?」
少女の可愛らしい鈴の転がるような声ではっと我に返る。
「私ですか?」
「ええ、あなたです」
「そうですよ。あなたも?」
「ええ。お兄さまと遠くへ行くんです」
少女はリーシャの隣にやってくるとそのまま腰を下ろす。
「私はメアリー。でもみんなからはマリーって呼ばれています。あなたは?」
「私はリーシャです。こちらは護衛のオスカー」
横に座っているオスカーの顔をマリーはチラッとのぞき込むと小さな声でリーシャに耳打ちした。
「リーシャさんは良家のお生まれ? 護衛をつけている人なんて初めて見ましたわ」
「え?」
「髪の毛も珍しい色をしていますね。もしかして、どこかのお姫様?」
「マリー、よさないか。お嬢さんが困っているだろう」
リーシャに絡むマリーを青年が慌てて引き離した。マリーは不服そうに頬を膨らませて抗議する。
「困ってなんていません! ね?」
「妹がすみません。同い年の子が珍しいみたいで……」
「いえ、大丈夫ですよ。えっと、お兄様ですか?」
「はい。オットーと言います」
「私はリーシャ、隣にいるのが護衛のオスカーです」
「宜しく」
「宜しくお願いします」
オットーはオスカーに軽く会釈をするとマリーの隣に腰を下ろした。
「お兄さま、リーシャはきっとどこかのお姫様なのです。だってお人形さんみたいに可愛らしいし、護衛の騎士様まで連れているんですよ!」
隣に座ったオットーにマリーは興奮気味に囁いた。オットーは呆れ顔でマリーの頭をぽんと叩く。
「絵物語の読みすぎだ」
「でも、昨日読んだ本の女の子にリーシャさんはそっくりなんです!」
「それってもしかして『東の花の乙女』のことですか?」
「ご存じなの?」
マリーはリーシャの手を取ると目を輝かせた。
「私、あの本が大好きなんです!」
「私も好きですよ。流行ってますよね」
「そう! 本屋のおじさまにおすすめして頂いて! 翡翠の指輪のお話が本当に素敵で、何度も読み返してしまいましたわ!」
顔を紅潮させて大きな声で語るマリーの姿を見てオスカーはふっと笑った。
「君を見ていると妹を思い出すよ」
「妹さん?」
「そうだ。年齢は君よりも少し下だが、君と同じマリーという名でな。妹も『東の花の乙女』の大ファンなんだ」
「まぁ! そうだったんですね」
「ああ。今頃故郷でどうしているのやら」
オスカーの末の妹、マリーも「東の花の乙女」が好きだった。いつも姉のシルヴィアと一緒に「東の花の乙女」について熱く語り合っていた。
国を出てからは宝石修復師組合を通して手紙のやりとりをしているが、定期的に送られてくる実家からの仕送りのついでなのでじっくりと話す機会がない。
年の離れた妹がどうしているのか、メアリー――マリーの顔を見て気になったようだ。
「きっと元気に過ごされていますよ!」
「そうだと良いが」
「お二人はどちらからいらっしゃったんですか?」
懐かしそうに微笑むオスカーにマリーが尋ねる。
「ここよりももっと東にあるイオニアだよ」
「イオニア……。聞いたことありませんわ」
「ははは、小さな国だからな。砂漠とまではいかないが乾燥した地域でな、穀倉地帯の豊かな実りを見ていると羨ましくなるよ」
「マリーはどこから来たんですか?」
「私は……」
そこまで言い掛けたところでオットーが「北の方ですよ」と口を挟んだ。
「最近仕事を失いまして、新天地を目指して旅をしているんです」
「そうだったんですね。ちなみに、お仕事は何を?」
「義眼職人です!」
「マリー」
「良いではありませんか! お兄さまの腕は凄いんです。お父様に負けないくらい評判がいいんですよ」
「義眼とは珍しいですね」
「大したことはありませんよ。父の仕事をなし崩しに引き継いだようなものですから」
そう言ってオットーはトランクの中から小さなガラス瓶を取り出した。ガラス瓶の中には布に包まれた物体が入っている。コルク製の蓋を外して中からそれを取り出すと、丸められた布を開いて見せた。
「おお、これは凄い」
中から出てきたのは一対の義眼だった。深い緑色の虹彩は限りなく本物に近い見た目をしている。実際に目にはめてしまえばぱっと見て義眼だとは分からないだろう。
「手にとって見ても宜しいでしょうか」
「もちろん」
リーシャは義眼を手に取りなめ回すように観察した。ひんやりとした質感につるつるとした手触り。どうやらガラスで作られているようだ。
(これを手作りで作るなんて、マリーの言うとおり腕がいいんだな)
義眼には詳しくないが、今まで何度か義眼を着けていると思わしき人に会ったことがある。中には様々な義眼を集めている蒐集家も居た。それらのどの義眼よりも精巧で自然な作りをしている。
(微量ながらも魔力を感じる。何か修復でもしたのかな)
つい、いつもの癖で宝石の損傷個所を探すように魔力の残滓を探ってしまった。基本的に手作りの物に魔力は宿らない。魔法を使って作った物――例えば魔工宝石や魔道具の核などには作り手の魔法の痕跡が残るが、魔法を介さないで作った手作り品にはそのような痕跡が残らないのが一般的だ。
しかし、オットーの義眼からは微かな魔力の痕跡を感じた。手作り品でも破損した際に修復魔法を使う事がある。故に、珍しい事ではないとリーシャは特段気にも留めなかった。
「素人でも分かる出来の良さと言えば良いのでしょうか。ここまでくると最早芸術品ですね」
「ありがとうございます」
義眼をオットーに返すとき、義眼をとても大切そうに見つめるオットーの表情にリーシャは既視感を覚えた。
(あれ? この顔、以前どこかで見たような……)
だが、そんなはずはない。リーシャ自身初めてオットーの顔を見たときには何も感じなかったし、オットーもリーシャに初めて会ったような反応だった。
しかし、一瞬だけどこかで見たことがあるような、そんな気がしたのだ。
オットーの顔をじっと見つめているリーシャにオスカーが「どうした?」と声をかける。
「いえ、なんだか以前オットーさんに会ったことがあるような気がして。でも、そんなはずありませんよね」
そうリーシャが言うとオットーは目を見開いた。
「他人のそら似でしょう。私はこの旅をするまで地元から出たことがありませんから」
「そうですよね。変なことを言ってすみません」
リーシャの記憶力は抜群だ。宝石修復師という職業柄、物を覚えたり人の顔を覚えるのは得意なのだ。だからこそオットーの反応に引っかかる物を覚えた。
(何故驚いたんだろう)
一瞬のことだったが、オットーは驚いたような反応を見せた。目を大きく見開いただけではない。「他人のそら似でしょう」と言った声が微かに震えていた。
(何か不都合なことだったのだろうか。一体どこで彼の顔を見たのか思い出せればいいんだけど)
何せ旅を始めてから数十年が過ぎている。依頼を受けた人間だけでも数え切れないほどだというのに、道すがら話をした人や宴席を共にした人などを含めるとリーシャが今まで関わってきた人の数は膨大な数に及ぶ。
その中からたった一人の顔と名前をぱっと思い出すのはさすがのリーシャにも難しかった。何かきっかけがあれば思い出せるはずなのだが……。
「世の中には三人、良く似た顔の方がいると言いますわ。きっとお兄さまと良く似た方だったのでしょう!」
「そうかもしれませんね」
(マリーの顔には覚えがないな)
オットーの顔に既視感を覚えた反面、マリーの顔は記憶に引っかからない。これだけ仲の良い兄妹なのだ。会えば名前の一つでも聞いているはずだ。