桜酒と林檎酒
「そこの酒場、どうですか?」
「悪くは無さそうだな。そこにするか」
大通りをしばらくウロウロした後、人が多く出入りしていて悪くは無さそうな酒場に入ることにした。外の屋台は落ち着かないし、町のはずれにある寂れた酒場に入る勇気は無い。
こういう時は適度に繁盛していそうな大通り沿いの酒場を選ぶのが無難だ。
店内は既に酒が回っている酔っ払いで一杯だ。より多くの客を収容するため、普段使っているテーブルと椅子は撤去され、立ち飲み用の背の高い机がそこら中に置かれていた。
空いている机を探して席を取り、カウンターまで注文しに行く仕組みのようだ。
二人は空いている机に陣取るとカウンターの上に掲示されているメニューを眺めた。酒は麦酒一種類のみ、つまみも数種類しかない。大量の客を捌く為に感謝祭の期間中は特別メニューになっているようだ。
「とりあえず麦酒とつまみを2つずつ頼んできますね」
リーシャはオスカーに荷物番を任せると軽い足取りでカウンターへ向かった。
* * *
「麦種、おいしいですね」
リーシャは運ばれてきた麦酒を一気にぐいっと飲み干す。麦の町で醸造している地酒で、品評会で何度も優秀賞を取ったことがある逸品なんだそうだ。
「うむ。酒好きにはたまらんだろうな」
「実際、麦酒が好きな人は一生に一度は足を運びたい場所らしいですよ。私が麦の町について聞いたのも、ずっと離れた東方の国でしたし」
「そうだったのか。有名なんだな」
昔、立ち寄った酒場で酔っぱらいが話しているのを聞いたことがある。ここからずっと離れた場末の酒場だ。そんな僻地にまでその名が轟いているのだから本物なのだろう。
「イオニアで飲んだお酒もおいしかったですね」
「確か林檎酒だったか。イオニアは乾燥地帯だからな。果実の水分を利用した酒造りが盛んなのだ」
「なるほど。水が貴重な土地ならではですね」
「ああ。林檎は乾燥に強いからな」
地酒はその土地の気候や風土を色濃く反映している。そのため地酒巡りを趣味とする旅人も多い。リーシャもその一人で、依頼で寄った町や村の酒場で酒を嗜むのを密かに楽しみにしていた。
「リーシャの故郷には地酒はあったのか?」
「桜酒というお酒がありましたね」
「桜酒? 桜というのは確か花の名前だったか」
「ええ。桜の花を漬けてお酒に風味を移すんです。見た目も華やかですし味も上品で人気があるんですよ。酒瓶も趣向を凝らした物が多くてお土産にもピッタリなんです」
そう言うとリーシャは背負っていた収納鞄から細長い酒瓶を取り出した。ピンク色の透き通ったガラスで出来たラッパ型の酒瓶で、細かな切子細工が施してある。下部には丸い窓が作られており、底に沈んだ桜の花が見えるようになっていた。
「ガラスの細工も桜の模様になっているのか。凝っているな」
側面に施されている切子細工は桜を模したものだ。酒としてだけではなく工芸品としても価値があるものだということは一目瞭然だった。
「良いでしょう? この瓶、お気に入りなんです。勿論相応の値段はしましたが、飲み終わっても飾って楽しめるのが良いかなと思いまして。それこそ桜の枝を飾ったりしたら素敵だと思いませんか?」
「うむ。これはリーシャの国に行かないと買えないのか? 母上や姉上に贈ると喜びそうだ」
「同じ物で宜しければ手配しますよ。店の名前は覚えているので手紙を送っておきます」
「ありがとう。では、二本頼むよ」
「分かりました」
(切子細工が施された酒瓶とは、なかなか風流だな)
勿論、イオニアにもガラス製の酒瓶はある。だが、せいぜい普通の酒瓶に凝ったラベルを貼り付ける位で酒瓶そのものを愛でたり趣向を凝らしたりといった文化は無かった。
(もしかしたら我が国の林檎酒にも使えるかもしれない)
彫刻を入れるのではただの真似になってしまう。例えば、林檎の形をした容器を作るとかどうだろう。林檎酒はイオニアの特産品ではあるが、土産物としての知名度は低い。どちらかと言えば地元で消費される地酒だ。
もしもそれに付加価値を付ける事が出来れば……
(そうだ! あの星導刺繍の指輪のように)
果実酒自体はどこにでもあるありふれた文化である。何か他の酒と差別化できる特徴を付与出来れば、イオニアの林檎酒をもっと売り込むことが出来るかもしれない。
「考え事ですか?」
酒瓶を片手に険しい顔をしているオスカーにリーシャが声を掛けた。
「あ、ああ。いや、イオニアの酒もこうして一工夫すればもっと売れるようになるかもしれないと思ってな」
「林檎酒ですか?」
「うむ。例えば林檎の形をした容器とか……。駄目だろうか?」
「良いと思いますよ」
(林檎の形をした容器か……)
オスカーの提案を聞いたリーシャは考える。確かに可愛らしいし女性にも人気が出るだろう。林檎くらいの大きさならばそんなに重くもならないし土産物としても売れそうだ。
だが、それだけではなくもうひと捻り欲しい。
「折角林檎の形にするのですから、梱包も一工夫してみては如何ですか?」
「梱包? 包み紙のことか?」
「いえ、もっとしっかりした……それだけでも人の目を引くような物にするんです。木箱とか」
「木箱……林檎を入れているあの木箱か!」
林檎を保管するために使っている木箱のミニチュアを作り、その中に林檎模した形の酒瓶を収納する。それがリーシャの思いついた「一工夫」だった。
「ガラスって割れやすいから収納鞄を持っていない人は買いにくいと思うんですよ。だから木箱に入れて緩衝材を敷けば『持ち運びしやすいアピール』になるかなと」
「なるほど。確かに旅の道中に壊れ物を買うのは気が引けるからな」
「しっかり梱包しているので安心ですよ! というのは結構強味になると思うんですよね。木箱にも焼き印で可愛い模様とか入れればお酒を飲み終わった後も小物入れとして使えるでしょう?」
「確かに」
人は「得」をするのが好きな生き物だ。使い終わったら捨てるだけのものよりも、その後別の事に使える方がお得に感じる者も多い。桜酒も工芸品という付加価値を付ける事によって「飲む前も飲み終わった後も飾れる」と評判を呼んだのだ。
「木箱は選択制にしても良いかもしれませんね」
「持ち帰りの客にのみ付けるということか?」
「いえ、木箱付きの物とそのままの物、二種類用意するんです。余計な物は要らないという方には箱が無い分少し安く販売する。まぁ、お土産用なのでほとんどの方が木箱付きを選ぶとは思いますが……」
「地元の人間は買い辛いだろうか」
「買いにくいというよりも、常飲するには量が足りないでしょう」
「あっ」
林檎の容器ということはその大きさもまた林檎と同じ位の大きさということだ。土産物としては良いかもしれないが、日常生活で飲むには物足りない量だろう。
「……容量のことをすっかり失念していたよ。持ち運びしやすいということはそれだけ量が少ないという事だ。酒飲みには物足りないな」
「ええ。なので、容器を変えるにしても土産物屋に置く分のみという形になるでしょうね」
酒屋では普段通り大きな酒瓶に入れて売り、土産物屋には趣向を凝らした土産物用の酒瓶で売る。それがよい落としどころなのではないだろうか。
「そうだな、それがいい。桜酒を贈る時に提案してみよう」
もしも土産物として採用されなくても、王宮で用意する土産物には使えるかもしれない。アイデアはあればあるだけ良い。案を出すのを恐れてはいけない。