麦の町と良い報せ
「収穫感謝祭なだけあって賑やかですね」
「確かこの町の周辺は穀物の一大産地だったか」
「はい。この町だけでなくこの国全体が麦の一大産地だそうです。麦を使った加工品も有名で……ほら、あそこ」
リーシャが指さす先にはなにやら長い行列が出来ている。行列の先には屋台があり、透明なガラス製のジョッキに黄金色の液体をなみなみ注いだものを客に手渡していた。
「麦酒か!」
「麦の町の麦酒。有名みたいですよ」
「是非飲んでみたいものだな」
「どこか良い酒場を探しましょうか」
麦の町。ここら一帯に広がる穀倉地帯の中でも特に賑わう観光名所だ。麦酒やパンを売りにしており、中でも収穫時期に併せて開催される「収穫感謝祭」は遠く離れた土地からも見物客が訪れるほどの知名度を誇る。
町中に屋台や露天が並び、期間中は連日飲めや歌えやのお祭り騒ぎだ。
リーシャとオスカーが麦の町を訪れたのはほんの数日前のことだった。この近辺に住む地主から指名の依頼を受けた帰りに「少し行った所にある『麦の町』で収穫感謝祭をやっているので立ち寄ってみてはどうか」と勧められたのだ。
組合への報告やオスカーの実家とのやりとりに時間を取られた上に、ここ数日は祭りの屋台に使う魔道具の修理依頼や酒場の調理道具の緊急修理などに駆り出されていたのでバタバタしていた。
依頼も落ち着きようやく心置きなく祭りを楽しめるようになったので、二人は意気揚々と町へ繰り出したのだった。
「それにしても、あの二人が無事でよかったですね」
「ああ。リーシャのお陰だな」
「私は飛行船に少し細工をしただけですよ。細工に気づいて貰えるかは賭けでしたし」
『リーシャ様、お手紙が届いております』
依頼の完了報告をしに組合の窓口に立ち寄った際、職員から一通の手紙を手渡された。差出人はイオニアの王妃だ。フロリア公国で受けた扱いについてクレームの手紙を出したので、その返事だろう。
立派な封筒にイオニア王家の紋章が押された封蝋が良く目立つ。ペーパーナイフで封を切ると、謝罪から始まる三枚の便箋が出て来た。
【リーシャ様。この度は姉のカメリアがご迷惑をおかけして本当に申し訳ございません。姉には『オスカーとそのご友人が挨拶をしたいようです』と伝えたのですが、まさかそんなことになっているなんて。本当にごめんなさい。私からもきつく言っておくのでお許しください……】
つまり、フロリア公国での「婚約発表会」は大公妃カメリアの独断専行であったと、そう言いたいようだ。
『私はてっきり王妃様が先走って大公妃様に”婚約した”と伝えたのだと思っていたのですが』
『正直、俺もそう思っていた。俺がリーシャを連れ帰った時の母上の浮かれっぷりは尋常では無かったからな』
『この手紙、本当なのでしょうか』
『母上が嘘を吐いていると?』
『嘘と言うか、話の流れでついポロっと匂わすようなことを言ったとか。“息子が婚約した”と直接的な表現をしなくとも“指輪をして帰って来た”とか“女性を伴って帰って来た”とか、そういう事を口にしている可能性はあるでしょう』
『……なるほど』
「生涯独身もやむなし」と諦めていた息子が女性を連れて帰って来た。しかも一緒に旅に出たとなれば自慢の一つでもしたくなるのが母親だろう。「言っていない」とは言うものの、それに近いことは漏らしているのではないかというのがリーシャの見立てだった。
『というか、大公妃もオスカーが未だに独身であることを知っていたのでしょう? そんな状態でオスカーが女性を伴ってやってくるなんて聞いたら、一体相手の女性とはどういう関係なのか気になりませんか?』
『……』
『そういう話が出るのは自然な流れでしょう。大分誇張されていたようですが』
身内の話だ。勝手にしてもいない婚約発表をされたのは気に食わないが、王妃や大公妃の気持ちも分からないでもない。
【そういえば、先日一隻の飛行船が我が国に来航しました。冠の国から来たというお二人で、リーシャさんやオスカーと知り合いだというのだから大変驚きました。
冠の国に偉大なる帝国が侵攻してくる直前に飛行船で退避しようとしたところ、リーシャさんが作った魔道具が起動して導かれるままに船を走らせたらここへたどり着いたと……。
この内容は事実ですか? 事実であれば、お二人を我が国で保護をしようと思っています。我が国は飛行船を持っていないので、是非技術者として迎えられたら……】
謝罪から始まった手紙の続きにはもう一つ、別件の用事が綴られていた。帝国侵攻の報せがあった翌日、一隻の飛行船がイオニアに降り立ったそうだ。
飛行船には老人と若い娘が乗っており、自分達は冠の国から来た飛行船職人だと名乗った。念の為拘束して話を聞いてみると、なんと二人の口からリーシャとオスカーの名前が出たではないか。
驚いた王妃はその話が事実かどうか確認をする為にリーシャに手紙を寄越したそうだ。
『よかった。オリバーさんとモニカさん、無事にイオニアに着いたみたいです』
『それが例の仕掛けか?』
『はい。風見鶏を使って国外へ出ようとした時にイオニアの方角へ誘導する風魔法が発動するよう細工をして貰ったんです』
風見鶏は飛行船レースの切り札としてリーシャが特急料金で作らせた特注魔道具である。本来の役割は風魔法の補助だが、いつかこういう日が来た時の為にもう一つ機能を追加して貰っていた。
それが風魔法による自動誘導である。偉大なる帝国が冠の国に何をしようとしているのかは何となく分かっていた。その際にもしもオリバーとモニカが国外へ逃げるとしたら、使うのは風見鶏が搭載された高速航行の出来るレース用の飛行船だ。
国を出た後に風見鶏を使えば自動的に魔法が発動し、イオニアの方へ誘導する。イオニアに到着すればリーシャやオスカーとの関係上酷い扱いは受けないし、イオニアが持たない飛行船の建造技術を売りにして食い扶持を稼げるだろうと考えたのだ。
「ですが、細工が発動するかは賭けでした。もしも二人が最後まで逃げずに冠の国に留まったら、逃げる際に違う飛行船を使ったら、風見鶏を発動させなかったらイオニアには辿り着けなかったでしょう。
他国の戦争に関わりたくないので手紙ではっきりと伝える事も出来ませんでしたし、本当に運が良かったとしか言いようがありません」
「母上にはなんと?」
「二人は私達の親友で信頼のおける人物だとお伝えします。飛行船に関する知識や技能も申し分なく、きっとイオニアの為に働いてくれる方々だと推薦しておきますよ」
「それが良い。恐らく父上や兄上も興味を示されるだろう。二人の処遇も悪くはならないはずだ」
オスカーの父である現国王は排他的な先代や先々代とは違い新しい物を積極的に取り入れようという意思がある。跡継ぎである兄、ジルベールもそんな父の影響を受けてか新しい文化や考え方には寛容だ。
イオニアは山が少なく平原ばかりなので今まで飛行船を導入することが無かった。馬車や馬での移動で十分事足りていたからだ。だが、折角腕の良い技師が来たのだ。それを無駄にするほど父や兄は馬鹿ではない。
「俺からも一言添えておこう」
「ええ。是非お願いします」
開戦の報せを新聞で知った時には二人が無事に逃げ切れたか心配でたまらなかった。冠の国が争うことなく降伏したと聞いて酷い事にはなっていなさそうだとは思っていたが、イオニアという何よりも安全な場所に避難したと聞いてオスカーは安堵した。