天体観測
食事を堪能した後、リーシャとオスカーはロッジに戻った。途中、リチアに聞いた天文台に立ち寄り望遠鏡を借り、ロッジのデッキに設置する。
夜も更けた頃、コミュニティの建物からは明かりが消え、辺りは暗闇に包まれた。都会から離れた山の中にぽっかりと開いた平原は静寂に包まれ、天上には満天の星空が広がる。
リーシャはデッキに設置された机にランタンを置き、椅子に腰を掛けて星空を眺めた。
(期待していた以上だな)
少し星が見えれば良い。そう思っていたが、新月と重なった事もあり頭上には溢れんばかりの星空が広がっていた。
「寒くは無いか?」
オスカーが暖かいお茶を淹れて持ってきた。
「この香り、オレンジですか?」
「ああ。以前立ち寄った町で売っていてな。寝る前に飲むと寝つきが良くなるらしい。リーシャの好みかと思い買ってみたのだが……」
「ありがとうございます」
安眠効果のあるハーブティーらしい。カップに口を付けるとふわりとオレンジの爽やかな香りが広がる。癖も無く飲みやすい。
「隣、良いか?」
「ええ」
オスカーはリーシャの隣に座ると天に煌めく星空を見上げた。
「綺麗だな。前にリーシャと一緒に見た時のことを思い出す」
「そういえば、そんなこともありましたね」
リーシャとオスカーが出会ってすぐの頃、イオニアに着く直前の国境の町で二人並んで星を見た事があった。あの頃はまさか一緒に旅を続けているとは思わず、別れが迫っている事に寂しさを覚えた物だ。
「あの頃はまさかオスカーと旅を続けることになるなんて思ってもいませんでした」
「はは、俺も同じだ。イオニアに着いたら旅は終わり。そう思っていた」
オスカーは思いを馳せるように目を閉じる。星空の下で言葉を交わした時にはもう、リーシャに心惹かれていた。年端も行かない少女に心を惹かれる事に罪悪感を覚えもしたが、後に年上だと分かり少しほっとしたのだった。
(色事には縁がないと思っていたが、この歳になって恋人が出来るとは……。人生とは分からんものだな)
オスカーの両親は一度たりともオスカーに「結婚をしろ」と言った事はない。それとなく「縁談が来ている」と伝える事はあったが、オスカーにその意思がないと分かればそれ以上話を進める事はなかった。
ジルベールという立派な兄が居て、その兄が早い頃に結婚したので王家の跡継ぎについての心配は要らない。姉のシルヴィアも婿を取って王家に残っているし、無理に嫁をとる必要は無いとオスカーは考えていたのだ。
(それに、俺にはいまいち女の機微が分からなかった。姉上やマリーが夢中になっている乙女小説だとか、男連中が話題にしている美しい踊り子だとか、そんなものよりも剣を振っていた方がよほど楽しいと……そう、思っていたのだが)
まさか、そんな自分が恋に落ちるとは、他の男にやきもちを妬くだなんて意外だった。
オスカーはそっとリーシャの手の上に自分の手を重ねる。
「……」
手を繋いでおいて恥ずかしくなったオスカーはリーシャの何か言いたげな視線を避けるようにわざとらしく天を仰いだ。
「嬉しかったですよ。あの時、オスカーが言ってくれたこと」
「……ん?」
「イオニアに帰ってくればいいって言ってくれたでしょう? 旅が終わるまで待つって」
「……ああ!」
「もしかして、忘れてました?」
疑いの目を向けるリーシャにオスカーは慌てて首を横に振る。
「そ、そんなことは無いぞ!」
「……まぁ、良いですけど。実はオスカーに出会うまで旅を終えたらどうするか考えていなかったんです。元々終わるか分からない旅でしたし、終える頃には親戚が生きているか、故郷に家があるかも分からないですし。
もしも誰か生きていたとしても、いきなり知らない人が尋ねて行っても困るでしょう? だから戻るに戻れないなと思いまして」
「実家と連絡を取ったりはしていないのか?」
「昔は取っていましたが、まぁ、連絡するような用件も無いので……」
「そうか」
「恐らく今は妹が家業を継いでいるはずです。確かオスカーの少し下だったと思うのですが、本当は私が継ぐべき所を放り出して来てしまったので申し訳なくて」
「……なるほど。リーシャの実家は宝石修復師の家系だったか」
「宝石修復と魔工宝石の生産、二足の草鞋ですね。祖父が代々宝石修復を行っている家系で、祖母は魔工宝石の製作に長けた人だったので」
リーシャの祖父は宝石修復を生業とする家の出だった。祖父が若い頃はまだ今ほど資源が枯渇してはいなかったので、宝石修復と言ってもアンティーク品や故障品の修理が主だ。
兄弟の中でも特に勉強熱心だった彼は、修復魔法を研究するために海を渡り、魔法を学ぶことが出来る学校へ入学した。そこで出会ったのが後の妻となる女性、リーシャの祖母だった。
「あまり詳しくは知らないのですが、祖母は魔工宝石で有名な名家の生まれだったそうです。祖父と意気投合した祖母は祖父が帰国する際に一緒に渡航し、そのまま祖父と結婚して家業を継いだと聞いています」
「そうなのか。だが、詳しく知らないとは……?」
「家出のような形で家を出てしまったらしく、実家から勘当されたとか。祖母自身もあまり語りたがらなかったので、良く知らないんです」
「異国の男についていくと言えば家族の反対に合うに違いない」と考えた祖母は学校を卒業すると同時に家族に黙って渡航した。それを知った祖母の両親は激怒し、祖母に絶縁を言いつけた。
その為、祖母の娘であるリーシャの母も祖母の生家については良く知らないのだそうだ。
「その話を聞くと、私も祖母の血を引いた孫なんだなと思いますよ。この髪色も祖母の家の物のようですし」
「リーシャの髪の色は東方の人間にしては珍しい色をしていると思っていたが、そういうことだったのか」
「はい。両親や妹はもっと濃い藍色の髪なので、目立つんですよね、この色」
少し暗い銀色をした美しい髪は祖母の家系から来ているものだ。家族の中で一人だけ色が違うので少々居心地が悪かったが、リーシャ自身はこの髪色を気に入っていた。
髪色だけでなく魔法の技量も祖母譲りで、自身の特徴を良く引き継いだリーシャを祖母は特に可愛がった。リーシャを店の跡取りにするべく幼い頃から知識を惜しみなく分け与え、厳しい教育を施したのだ。
「妹は良く羨ましがっていましたよ。『私も姉さんみたいな髪の色に生まれたかった』って。私からしたら妹の濃い藍色の髪も銀細工が良く映えて美しいと思うのですが。隣の芝生は青く見えるといったところでしょうか」
ランタンの灯りに照らされて銀色の髪がキラキラと光る。その煌めきがあまりにも美しくて、リーシャの妹が欲しがるのも仕方ないとオスカーは思った。
「妹は魔法が得意な方ではありませんでしたから、正直申し訳ない事をしたと思っています」
「リーシャ……」
「魔法よりも乙女趣味を愛する子でしたから。魔法の修練から逃げ回って、いつもフリルのついたような可愛らしい服を着て。祖母が私に入れ込んだ半面、両親は妹を甘やかしていました。
家を継ぐのは私だと決まっていたような物だったので、妹は自由な生活を送っていたんです。だから、急に家を継がなければならなくなって大変だったと思います」
「……まぁ、何と言うか……確かに突然兄上から出奔するから王になれと言われたら確かに困るな」
「そうでしょう? 私が消えた叔父と盗まれた蒐集物を追って家を出ると言った時、大分罵られましたから」
「罵られた?」
「はい。『姉さんが居なくなったらこの家がどうなるか分かっているのか!』 って」
両親も同じような反応だったらしい。リーシャの両親は祖父母から店を継いでいたが、祖母やリーシャのような才能を持ち合わせては居なかった。
リーシャが独り立ちして店を継ぐまでの繋ぎだと両親も客も考えていた節があり、祖母が亡くなった後は祖母の仕事をリーシャに継がせる気でいたのだ。
ところが突然リーシャが旅に出ると言う物だから、大慌てだ。妹は魔法をロクに使えないし自分達もリーシャに店を任せて隠居する気満々だったからだ。
「それで、どうしたんだ?」
「どうもしません。そのまま振り切って出てきちゃいました」
「……そうだろうな」
「正直、私には家業なんてどうでも良かったんです。仕事という面では今のようにフリーで依頼を受けている方が向いていますし、こっちの方がずっと稼ぎが良い。
祖母が居なくなったら、あそこには私の味方はいませんから。そんな息苦しい場所にいるよりは、蒐集物を集めながら放浪している方が性に合っているんです」
行方が分からなくなった蒐集物を探したい。それが一番の目的であり、きっかけであったことは間違いない。だが、リーシャが旅に出た理由はそれだけではなかった。
旅を終えても戻る場所が無いというのも同じ理由だ。実家から逃げ出したかった。だからわざわざ戻る理由も無い。数十年後に戻っても、妹とその家族が居るだけ。店が潰れて無くなっている可能性だってある。
だから旅に出た瞬間、リーシャの故郷は無くなったにも等しいのだ。
「そうだったのか」
オスカーはリーシャの肩を抱き寄せる。
「それなら、無理に戻る必要もあるまい」
「……」
「俺と一緒にイオニアに帰れば良い。そうだろう?」
「……はい」
リーシャは恥ずかしそうに目を伏せると頭をオスカーに摺り寄せた。
(オスカーは私に居場所をくれた)
それが何よりも嬉しくて、幸せだった。今までの旅の中で「このままここに住めばいい」と言ってくれた人が居なかった訳ではない。ギルドがあれば仕事には困らないし、リーシャが望めばそこで暮らしていく事は難しくないだろう。
ただ、そこに居を定めるという事は旅を終えるという事だ。蒐集物の収集を辞めてまでその土地に留まる理由がリーシャには無かった。
(初めてだったな。旅の終わりまで待つなんて言ってくれた人)
『旅が終わるまで待つ。だから、ここに帰って来ないか』
オスカーはリーシャが旅を続ける事を肯定してくれた。旅がいつ終わるのかもわからないのを知ったうえで、待つと言ってくれた。自分でも驚くほどそれが嬉しかったのだ。
「……不思議です。早く旅が終わってしまえば良いって思うなんて。ずっと旅が終わるのが怖かった。旅を続ける理由が無くなってしまうのが怖かったのに、旅の終わりのその先にある物が見えているとこんなにも安心するなんて」
「……」
「なんですか?」
「いや、そう思ってくれているのが嬉しくてな」
「そうですか?」
「ああ。リーシャはあまり、何と言うか……口に出してくれないだろう? だから嬉しいのだ」
ランタンの光に照らされたオスカーの顔が心なしか赤く染まっているように見える。リーシャは自分の肩を抱いているオスカーの手に自分の手を重ねた。じんわりと汗ばんでいるのに気付いたがそのまま手を握る。
「すみません。あまりこういうのに慣れてなくて」
「い、いや、謝るような事じゃない」
「……きです」
「ん?」
「好きです」
リーシャの口から放たれた一言にオスカーの思考が止まる。
「私は、オスカーが好きです」
自分の肩と同じ位の高さにあるリーシャの顔をオスカーは半分口を開けて眺めていた。幻聴でも聞いたのかと思ったが、繰り返し告げられた言葉に「幻聴ではない」と頬を叩かれる。
オスカーはリーシャの肩に回していた手でリーシャを自分の胸元に引き寄せると強く抱きしめた。
リーシャの顔を覗き込むと耳まで真っ赤にしてオスカーの胸に顔を埋めている。上目遣いにオスカーの表情を伺おうとしたリーシャと目が合うと、そのまま静かに口づけを交わした。