面倒な事態
翌日、リーシャはベッドの上で目を覚ました。使っていた寝袋は綺麗にたたまれて寝台の横に添えてある。
(あれ? 何でベッドで寝ているんだろう)
部屋を見渡してもオスカーの姿は見当たらない。さしずめ、朝起きて床の上に寝ているリーシャに驚いたオスカーがベッドの上に移動させたのだろう。持ち上げられて移動させられてもなお目が覚めなかったのをみるに、「余程疲れていたのだな」とリーシャは自分が嫌になった。
(このふかふかの布団が悪い)
丁度良い硬さのマットに「これでもか」という程ふかふかの布団。頭を上手く支えてくれる枕は最早凶器と言っても差し支えない。街中の宿や寝袋でばかり寝ているリーシャには毒だ。
寝間着から着替える服を選んでいると部屋の扉が叩かれた。
「リーシャ様、おはようございます」
昨日リーシャの身の回りの世話をしていた侍女だ。
「おはようございます。と言ってももう昼ですね」
「お疲れだったのでしょう。本日のお召し物をいくつかご用意したのですが、如何なされますか?」
侍女はそう言うと持参した服を一枚一枚広げて見せる。どれも上等な「良い服」だ。けれども豪華で派手なドレスではない。丈が長すぎずに動きやすくい、リーシャ好みの服だった。
「では、これにします」
紺色に黄色の刺繍が入った可愛らしい服を選ぶ。
「かしこまりました。ではこちらのお召し物似合う靴もお持ちしますね」
侍女は他の侍女に申し付けて靴を手配するとリーシャを鏡の前へ座らせた。
(至れり尽くせりだな)
「まるでお姫様にでもなった気分だ」と思った。いや、案外それも的外れではないのかもしれない。王子であるオスカーの「奥様」、つまり姫君として扱われていると言っても変わりはない。
「リーシャ様の髪はとてもお美しい色をされていますね」
銀糸と呼ぶには少しだけ灰色寄りの、滑らかな絹糸のような髪を櫛で漉きながら侍女は感嘆の声を上げる。
「東方の国の方は皆このような髪色をしていらっしゃるのですか?」
「いえ、これは祖母から貰った髪の色なのです。祖母は西方から渡って来た人ですから」
「なるほど。そうなのですね。素敵です」
リーシャの色は東方の国では珍しい。色素の濃い色の髪を持つ者が多い土地に生まれたにも関わらず、日の光に当たると透けるような色素の薄い髪色をしている。それは「偉大なる魔法師」と呼ばれた祖母に所以する物だった。
「飾り甲斐がありますわ」
侍女は普段飾り気も無く纏めているだけの髪を丁寧に編んでいく。香油をつけてつやを出し、編んだ髪を綺麗に纏めて髪飾りで留める。ドレスに合う化粧品を選び化粧を施せば、一国の姫にも劣らない美しい令嬢が出来上がった。
「出来ましたよ」
リーシャは選んだドレスを身に纏って鏡の前に立った。自前のドレスは何着か持っているが、それよりも軽く、それでいて上品に見える良いドレスだ。紺色の生地に散りばめられた黄色い花の刺繍が可愛らしい。
「ありがとうございます。素敵なドレスですね」
「ふふ、こちらのドレスはオスカー様が選ばれたのですよ」
「え?」
思いもよらぬ言葉に思わず声が出た。
「オスカーが?」
「はい。先ほど何着かドレスをお持ちしたでしょう。その中でそのドレスだけ、オスカー様が選ばれたのです」
(そうなんだ)
リーシャ好みの服をオスカーが選んだ。意外だった。
(女性の好みとか、そういうのに疎いと思っていたけど)
そう言えば、聖都で「桜」のペンダントを買ってきた事があった。オスカーは意外とリーシャの好みや嗜好を見ているのかもしれない。嬉しそうに鏡の前でにやけるリーシャを侍女は微笑ましそうに眺めていた。
「では、昼食に致しましょうか。こちらでお召し上がりになりますか? それともお外で召し上がりますか?」
「外でも食べられるのですか?」
「はい。庭園に東屋があるので宜しければそちらにご用意致しますよ。お花を近くでご覧になりたいのであれば是非」
「では、そちらでお願いします」
庭園の東屋に昼食を運んで貰い遅い昼食を取る。城の農園で栽培しているハーブを使って作ったという特製のハーブティーを淹れて貰い、チーズや腸詰を使った重すぎない軽食を楽しんだ。
「おはよう、リーシャ」
「おはようございます、オスカー」
リーシャが食後のデザートを食べていると東屋にオスカーやってきた。人払いをすると子供を叱るような口調で話し始める。
「今朝、床で寝ていただろう」
「はい。ベッドが一つしかなかったので、どこか別の場所で寝ようと思いまして」
「声を掛けてくれれば俺が別の場所に移動したというのに」
「ぐっすりと眠っている人を起こすのは申し訳ないでしょう? どこでも寝られる体質なので気にしないでください」
「そういう問題じゃない」と呆れかえるオスカーに「岩場のごつごつした所でも寝られる人間なので」とリーシャは胸を張る。屋根が合って立派な敷物が敷かれているので例え硬い床であっても野営をする時よりは何倍もマシだ。
「……分かった。今夜は俺がソファーで寝るからリーシャはベッドを使ってくれ」
「と言うより、大公妃様にお話をして別々の部屋にして頂いた方が早いのでは?」
「それが、どうも面倒な事になっているようでな」
オスカーはリーシャの向かいに腰を掛けると悩ましそうに目頭を押さえた。
「面倒な事?」
「母上はリーシャの事を俺の婚約者だと手紙に書いたらしい。だから叔父上と伯母上は俺たちを婚約関係を結んだ恋人だと思っている」
「……なるほど」
オスカーの母であるローザは自身の姉である大公妃へ一通の手紙を書いた。オスカーとリーシャがフロリア公国へ立ち寄る事。リーシャが「蒐集物」を探す旅をしている事。イオニアで起きた事件とその顛末。そして、その結果リーシャがオスカーの「婚約者」となった事だ。
「それで明日、周辺国の要人を招いて『歓迎パーティー』を開くらしい」
「『歓迎パーティー』と言う名の『お披露目会』ですか」
「おそらくな」
「それは面倒な事になりましたね」
手紙を受け取った大公妃は大層喜んだ。何せ結婚をしないまま適齢期をとうに過ぎてしまった甥が「婚約者」を連れてやって来ると言うのだ。すぐに周辺各国へ招待状を出し、「甥であるイオニアの王子」の顔見世をする事にしたらしい。
「厄介なのは、俺が大公妃の甥と言うだけでは無くイオニアの王子だという事だ」
「イオニアの外交も兼ねていると」
「ああ……」
「断る事は出来ませんね」
ただの「甥」ではなくイオニアの王子。その肩書が一層事態をややこしくする。「イオニアの王子である甥」として紹介する以上、各国の要人にもそれ相応の応対をしなければならない。
そして、その「婚約者」とされたリーシャにも同じことが言えた。
「すまない」
オスカーはリーシャに頭を下げた。外堀を埋めるような卑怯で恥ずかしいやり方だと恥じていたのだ。
「……」
(正直、面倒だな)
それがリーシャの本心である。王侯貴族との会食や夜会は何度も経験しているので、それについては全く問題は無い。ただ、一国の王子の「婚約者」としての立ち振る舞いを求められるのは窮屈だ。
別にオスカーの「婚約者」のふりをするのが嫌なわけではない。それに付随する人間関係に気を遣わなければならないのが面倒なのだ。
(そしてなにより、私には拒否権が無い)
オスカーの言った「すまない」と言う言葉は「既に決定事項である」という意味合いを含む。つまりそこにリーシャの意思は考慮されていないのだ。
事実、既に大公ばかりではなく周辺各国へ「リーシャはオスカーの婚約者」だと周知されてしまっている。ここでそれを否定してしまってはオスカーの名誉はおろかイオニアという国そのものに泥を塗る形になる。
つまり、リーシャには拒否権が無いのだ。
「お金」
「ん?」
それら全てを考慮した結果、リーシャの口を突いて出たのは「お金」という単純な要求だった。