切り札
「冠の水瓶」の中央部には水の神を模した像が立っている。開拓民であった先祖たちにとってこの湖は安定して水を調達できる唯一の場所であり、文字通り「生命線」だったからだ。
「高度を下げると水の美しさが良く分かりますね」
陽が当たりキラキラと輝く湖は底に生える水草が透けて見えるほど抜群の透明度を誇っている。流れ込む川が無く湖の各所から湧き出る湧水がその理由だ。空の青さをそのまま反射したかのような瑠璃色が美しく、リーシャもオスカーも思わず見とれてしまうほどだった。
「どんな季節でも変わらずに水を供してくれる。有難いことです」
オリバーはそう言って島の中央部に据えられた神像に向かって手を合わせた。
「そろそろ他のチームとの差が出てくる頃でしょうか」
後部の窓から後続の飛行船を探すとポツポツと離れた場所に散らばって見える。第一チェックポイントを通過した際は団子になっていた集団もだんだんと縦長になり始めていた。
先頭を走るウィナー公船会社の飛行船と一定の距離を取りながら走るリーシャたちの飛行船は一見一歩遅れているように見えながらも実はかなりのハイスピードで航行している。
性能が劣るはずの飛行船が何故ウィナー公船会社の飛行船と同等の速力を出せるのかと言うと、それはやはりリーシャが作った「核」のお陰だった。冷却魔法を組み込んだお陰で最大速力に近い速度を出し続けても熱暴走を起こさないので長時間高速で航行できるのだ。
「今頃後ろのやつらは『なんで追い付けないんだろう』って首を捻ってるに違いないね」
じわじわと引き離されていく後続船を眺めながらモニカはニヤリと笑った。
「このまま前とは距離を保ったままで良いのでしょうか」
「はい。第三チェックポイントまではそのままで。山の下りからスパートをかけましょう。その頃にはもう後続の飛行船との距離も取れていそうですし」
「分かりました」
リーシャが心配しているのはウィナー公船会社との小競り合いに一般の飛行船を巻き込んでしまうことだった。もしもリーシャが懸念しているような事態が実現したら何の対策もしていない「普通の飛行船」は大きな危険に晒されることになる。
それを避けるためにもウィナーの飛行船とオリバーの飛行船が「一騎打ち」となる状況を作り出さねばならなかった。
それに一番適しているのが第四チェックポイントの「竜の渓谷」である。周囲を崖に囲まれていて暴れても周辺へ被害が広がら無さそうな上に後続船との距離が広がっているであろうレースの後半戦というまさに一騎打ちにピッタリの場所だ。
「山を下るまでは大人しく……ということだな」
「はい」
オスカーの言葉にリーシャは頷く。それまでは「夢を見させてあげよう」と、そういうことである。
頭上の感知器に二つ目のランプが点いた。どうやら無事に第二チェックポイントを通過したようだ。
「ここからは徐々に高度を上げるので揺れに気を付けてください。『王の御座』周辺は突風が吹く事がありますので」
遠くに見えるひと際大きい山、北方鉱山の後方にそびえる標高1780メートルの美しい山が「王の御座」だ。天球儀型魔道具はその頂上に置かれており、その上空100m以内まで近づかなければランプを灯すことは出来ない。
「あの山の頂上まで登れるものなんですね」
「飛行船が登れる高さとしてはギリギリの高度ですよ。『山に登る飛行船』も見所の一つなんですよ」
山を切り拓いた首都もそこそこ標高の高い場所にあるが、「王の御座」はその遥か上を行く。北方鉱山の背後にそびえる「王の御座」は首都のどこに居ても良く見えるので、飛行船レースの「登山」は一番の見せ場だった。
「街中から見ると沢山の飛行船が山を登って行くのが見えて面白いんだよ」
「確かに色とりどり飛行船が山を登って行くのは壮観でしょうね」
「まぁ、登ってる方は命がけなんだけどね」
「強い風が吹くんでしたっけ?」
「ああ、そうだよ。あの山の周辺は上昇気流が発生しやすくてね。行きは良いが帰りはなかなか大変なんだ」
飛行船は風船のようなものである。下から強く噴き上げる上昇気流は登山の助けにはなる一方で下山の大きな障害にもなりえるのだ。
特に軟式飛行船は大型の硬式飛行船と比べて重量が軽く船体も小さい。軽量型の飛行船で噴き上げる上昇気流の中第四チェックポイントがある「竜の渓谷」まで下るのは至難の業だ。
「ここ以降は脱落者も出るはずだよ」
「レースの前半と後半で難易度が変わり過ぎでは無いか……?」
「冠の水瓶」までは比較的低山の上を飛行するルートだったので障害物なども無く脱落するチームも出なかった。しかし後半は山に渓谷にといきなり難易度が跳ね上がる。「同じレースとは思えない」とオスカーは絶句した。
「風のことはお任せください」
リーシャはそう言って船尾の「ある物体」に目をやる。
「ついにあれの出番だね」
「はい。上手く作動すれば良いのですが」
ゴンドラの後部に取り付けられた「風見鶏」、それがリーシャが発注した魔道具の正体その1だった。金色に輝く鶏のオブジェで「風見鶏」という名前の通りくるくると回る仕様になっている。目には魔工宝石のエメラルドが留めてあり可愛らしい。
「確か『風を操る魔道具』だったか」
「簡単に言うとそんな感じです。私の風魔法を補助する魔道具ですね。流石にこの大きさの飛行船に魔法をかけ続けるのは大変なのでその手助けをしてもらう物です」
「風見鶏」はリーシャの風魔法を補助するための魔道具だ。もっと詳しく言えば飛行船の周りに「気流」を生み出す魔道具である。
飛行船の周囲に強制的に追い風を作り出すことによって飛行船の最高速度を上回る速さで航行することが出来、向かい風を打ち消したり上昇や下降の手助けも出来る優れモノだ。
さらにガス袋内に仕込んだある魔道具と併用することによって機体にかかる負荷を減少させることが出来、安全に高速航行することが出来るよう配慮されている。
「私の魔力も無尽蔵では無いのでここぞと言う時に使いましょう」
そういう訳で、山の下りから渓谷、ゴールへ向かうまでの「切り札」として取ってあるのだった。




