レースの始まり
飛行船を留めている臨時の係留柱からフロートの下部へ取り付けてあるゴンドラ内部へ移動し、スタートの合図を待つ。今回搭乗するのはオリバー、モニカ、リーシャ、オスカーの四人だ。操船作業はオリバーとモニカが担当し、魔道具の操作をリーシャとオスカーが受け持つことになっていた。
「収納鞄にポーションを沢山入れて来たので魔力切れの心配は無いでしょう」
何があっても大丈夫なように高級ポーションを買い込んでおいた。これで魔道具を連発することになっても大丈夫だろう。
「使わないことを祈るよ」
「ええ。平和が一番ですから」
ドンドンと花火が打ち上げられ、ついに飛行船レースの開始が告げられる。係留柱と飛行船とを繋ぐワイヤーを解き、バラストの水を抜いて船体の重量を軽くする。そうすることによって浮力が増して高度を上げることが出来るのだ。
「さて、出発しますよ」
発動機に火を入れると連動機、推進機と動力が伝わり飛行船が動き出した。
「問題無さそうですね」
「ああ。ぶっつけ本番だが悪くはなさそうだ」
本来の依頼である発動機の核は問題なく稼働しているようだ。
「にしても驚いたよ。まさかルビーとサファイアの混合核だなんて」
「発動機が帯びてしまう熱を押さえるにはどうしても冷却装置が必要だったので。上手く行って良かったです」
リーシャが用意したのはルビーとサファイアを半分ずつ合成した魔工宝石だった。長方形の石の上半分はルビー、下半分はサファイアで出来ている。
「でも、違う石なのに喧嘩しないものなんだね」
不思議そうに尋ねたモニカにリーシャは首を振った。
「実はルビーとサファイアは『同じ鉱物』なんですよ」
「えっ! そうなの?」
「はい。『コランダム』という鉱物に含まれている成分の違いで色が変わるんです。赤い物をルビー、それ以外をサファイアと呼ぶことが多いですね」
「なるほど。元々同じ種類の鉱物だから相性が良いってことか」
「そんな感じです。ルビーの量を減らしたので発動機のパワー性能は落ちますが、元々高性能なので問題ないでしょう。サファイアの部分には冷却魔法を付与してあるので熱を持ちすぎないように自動で調整出来るようになっています」
「つまり長時間フルパワーで稼働していても負担が少ないと」
「そういうことです。パワーを少し落として稼働時間を取ったと考えて頂ければ」
話を聞いていたオリバーは感心しきりだ。
「上手く調整して下さりありがとうございます。本当にどうなることかと……」
「いえ。本来ならば発動機の能力を百パーセント引き出さなければならないのにパワーを削る形になってしまい申し訳ありません」
「気にしないでください。稼働時間が大幅に伸びたのは有難い事です。レースは先が長いですから」
レースの概要はこうだ。首都にある飛行場を出発した一団は首都の周囲をぐるりと囲む山々に設置されたポイントを通過しながらゴールを目指す。それぞれの船には各ポイントに設置されている魔道具を感知できる魔道具が搭載されており、誤魔化したりズルが出来ないようになっている。
「感知器ですか。考えましたね」
操舵室の天井に設置されている円盤状の装置を眺めながらリーシャが言う。ポイントを通過すると円盤状に設置されたランプが順に灯るシステムだ。ランプは各ポイントごとに用意されおり、ゴールした際に全てのランプが灯っていれば「完走」したとみなされる。
「この魔道具のお陰で監視員が必要無くなったからね。昔は不正防止のために各ポイントに監視員を置かなくちゃならなくて大変だったんだ」
ポイントは険しい山の中や風の強い渓谷など危険な場所も多い。造船所の組合から監視員を出さなくてはならなかったため魔道具の登場で大分負担が減ったらしい。
「ということは……今はほとんど人による監視の目が無いということですか?」
「そうだね。今まで不正するような人は居なかったからね。レースとは言っているけれど自慢の飛行船を見せ合う自慢大会みたいなものだから、賞金なんて二の次だったし」
「まぁ、それも景気が良かった頃の思い出話ですよ。今は微々たる賞金でも喉から手が出るほど欲しいものです」
元々は各造船所の技術力を競うお祭りだった飛行船レースだが、今や小さな造船所にとっては少しでも会社の寿命を延ばすための生命線となりつつある。皆必死なのだ。
(確かこのレースのルールは「軟式飛行船」であることと「全長60メートル以下であること」だったはず。つまりそれ以外の行為は禁止されていない。それがたとえ戦闘行為であっても。監視の目が無いなら余計『自由の幅』が広がるな。平和な時代に作られたルールならではの緩さだ)
山奥で突然発砲されてもそれはルールの範囲外で「不正行為」には当たらないということである。そもそも戦闘行為自体が想定されていないのだから仕方がない。そうならないことを祈るばかりだ。
「さて、地図を広げてくれ」
モニカの指示に従ってレース空域の地図を広げる。
「通過しなければならないポイントは四箇所。まず一つ目は空港の南側にある開拓村上空。そこから時計回りに首都の周辺の山を越えるのが大まかなルートだ。二つ目のチェックポイントはここ。首都の西側にある湖だ。湖の真ん中にある島に魔道具が置かれている。
三つめはここ。北方鉱山のさらに北側にある『王の御座』、ここら辺じゃ一番高い山だ。山頂付近に魔道具があるから高度を上げないといけなくて少し難しい。そして最後の四つ目が首都の東側にある『竜の渓谷』。ここでは気流の早い渓谷の中まで降りなきゃいけない。一番の難所だ。
渓谷を過ぎたらゴールである飛行場へ戻る。ランプを全て灯した状態で一番早く飛行場へ戻ったやつが優勝さ」
「難所が多いな」
地図を見ながらオスカーが唸る。特に三つ目と四つ目は高低差があり風の流れが速そうなので操縦士の腕が試されそうだ。
「途中で飛行船に不具合があった場合はどうするんだ?」
「救難信号を出せば救助隊と迎えの船を寄越してくれるよ」
モニカの話では「竜の渓谷」でリタイアするチームが多いそうだ。狭い渓谷の内部に魔道具があるためかなり高度を下げなければならず、風にあおられて崖に激突をしたりガス袋を引っかけて飛べなくなったりする船が出るらしい。
「ゴール前で前のチームに追い付こうと焦りが出るからね。普段は大丈夫でも手元が狂っちまうんだ」
「冷静さが必要ということですね」
「そういうことさ」
焦ると普段できていることでも冷静に判断が出来なくなる。どんな状況に陥っても落ち着いて対処をすることが大切だとモニカは説いた。




