ジョニーの暴走
「あの男の言動に腹を立てているのだろう?」
夕食を食べながらオスカーは言う。
「そりゃあ、誰が直しても同じだとか言われたら腹も立ちますよ」
貝の酒蒸しを口に運びながらリーシャは答えた。
リャドは海に面した小さな町だ。
港町と言えるほど漁業は盛んではないが、それでも地元で採れた魚介類を楽しめる店がいくつかある。
岩牡蠣をたっぷりと鍋に詰めて蒸したものが有名で、それに各々で好みの味付けをするのが「通」なんだそうだ。
柑橘類を絞っても良し、香辛料をかけてもよし、地元で採れた柑橘類を使って作った辛いソースも良くあう。
殻の隙間に器具をねじ込んでぱかりとこじ開けると中からぷりぷりの白い身が現れる。
それを一口でちゅるりと頂くのだ。
濃厚な海のうまみが口いっぱいに溢れてきてたまらない。
思わず酒も進む。
「絶対にあっと言わせるような修復をして見せます」
リーシャは負けず嫌いだった。
教会でジョニーに喧嘩を売られて闘争心に火が点いたのだ。
元々適当な仕事をするつもりはなかったが、ジョニーが負けを認めるような完璧な仕事をしてみせる。
そう心に誓ったのだ。
「だが、出来るのか?」
「出来るのか、じゃなくてやるんです」
「やれるのか?」
「練習すれば、おそらく」
やると言ったらやる。
それがリーシャであるとオスカーも良く分かっている。
(リーシャが出来ると言えば出来るのだ)
学び舎での修復の時もそうだった。
誰も修復できないとされていた「玉」を完璧な状態に修復してみせた。
今回も同じだ。
やると言ったらやるのだろう。
「と言う訳で、宿には少し長く滞在することになると思います」
「だろうな。リーシャの好きにするといい。気の済むまで練習したいのだろう?」
「はい。すみません」
(オスカーには悪いと思っている)
時間がない。そう思いつつ、長期滞在しがちだ。
オスカーにはオスカーの仕事がある。
「御守り」のおかげで時間が無限にあるリーシャとは違ってオスカーの時間は有限なのだ。
「カメオの修復は修復と言うよりも製作に近いので、いつもと勝手が違って」
「どちらかというと宝石の修復と言うよりは美術品の修復だろう」
「ええ。ですから本来はそちらの専門家にやって頂くのが一番だと思うのですが……。
せっかく依頼をしていただけたので挑戦してみたいんです」
畑違いなことは分かっている。
だが、今後の糧とするために技術を学び、習得したい。
宝石修復師としてまだ成長する余地があるならば、その機会を逃したくはないのだ。
「はぁ? 専門家じゃないのに手を出したのかよ!」
急に背後から髪を掴まれ、力一杯後ろに引き倒された。
何が起きたのか分からずに上を見上げると見覚えのある顔が目に入る。
「おい! その手を離せ」
オスカーはリーシャの髪を掴んだ手を振り払うとよろけた男をそのまま突き飛ばした。
ガシャン!
男は勢いよく向かいのテーブルにぶつかって「いってぇなぁ!」と声を荒げる。
「リーシャ、大丈夫か?」
「ええ。それより、急に何なんですか?」
オスカーの手を借りて立ち上がるとリーシャは目の前の男――ジョニーに声をかけた。
随分酔っぱらっているのだろうか。真っ赤な顔で酒瓶をラッパ飲みしながら「うるせぇ!」と悪態をついている。
「だーかーらー! 専門家じゃないのにあのカメオを直すつもりなのかって言ってんだよ!」
「確かに私はカメオの専門家ではありません。しかし、宝石修復師として宝石修復の腕には自信があります。少なくとも貴方よりはうまく修復できると、先ほどお見せしたはずですが」
「あんな石ころひとつで調子に乗んなよ! クソガキが!」
「ガキ……」
大分酔っぱらっているようだ。
リーシャの刺すような視線にも気づかずに、ジョニーは店の真ん中でくだを巻いていた。
まっすぐ立っていられないらしく、ふらふらと大きく体が揺れる。
周囲の客は迷惑そうに眉を顰めていたが、そんなことなどお構いなしだ。
「すみません、すみません!」
店の二階から女性が慌てた様子で駆け下りてきた。
(えっ)
その女性を見て店の中が一瞬ざわつく。
左の頬に大きな紫色のあざがあったのだ。
「うちの主人がご迷惑をおかけして申し訳ありません!」
「うるせぇ、こいつが悪いんだ!」
「ちょっと、あなた! いい加減に」
「邪魔するんじゃねぇ!」
「きゃあ!」
ジョニーは駆け寄ってきた女性の髪を掴むと反対の手で酒瓶を振り上げる。
勢いよく振り下ろされたそれはオスカーの手によってすんでのところで止められた。
「おい、自分がなにをしているか分かっているのか?」
「ふざけんな! 離せ!」
「リーシャ、少し席を外すぞ」
オスカーは暴れ続けるジョニーをがっしりと抱え込むと店の外へと引きずっていく。
それを周囲の客は興味深そうに見守っていた。
「大丈夫ですか?」
リーシャは床に倒れ込んでいる女性に手を差し伸べた。
「え、ええ……。すみません」
「どなたか、厨房に言って氷嚢を持ってきてくださりませんか?」
「あたしが頼んでくるよ」
隣のテーブルにいた婦人が氷嚢を手配するために席を立つ。
「失礼ですが、ジョニーさんの奥様ですか?」
「……はい」
「その怪我は旦那様が?」
「……そうです。今日は機嫌が悪くて」
「そうですか。私のせいですね。すみません」
「どういうことですか?」
「私は宝石修復師をしているリーシャと申します。ホロジオのカメオの修復の件で教会を訪れた際に、ジョニーさんと口論になりまして」
「……ああ」
それで全てを察したのか、女性は落胆したような表情を浮かべた。
「あの人はおかしくなってしまったんです」
「というと?」
「昔はあんな人ではなかった。義父の元で修行をする真っ当なカメオ職人だったんです。
それがある日を境に『新しいカメオ』がどうとか……。
突然義父の工房を辞めてきたかと思うと向かいに店を出すとか言って多額の借金までして。
全部あのおかしな魔道具のせいなんです」
「おかしな魔道具?」
「宝石彫刻師から買ったとか言う変な魔道具ですよ。金貨なんて大金、無断で持ち出して……。
それでなにを作るのかと思えば、あんな粗悪品ばかり作って。
それがリャドカメオとして認められないからって組合に文句を言いに行くようになって、それが突っぱねられると酒を飲んで暴れるようになったんです。
それに加えてホロジオのカメオでしょう?」
「……なるほど」
「親は離婚して戻ってこいって言うんですよ。父はカメオ職人ですから。私も近々そうしようと思っています」
女性はそう言って痛々しい左頬をさすった。
この頬を見せればすんなりと離婚できるだろう。
証人だっていくらでもいる。
「あんた、悪いことは言わないから早く実家に帰りな」
氷嚢を取りに行っていた婦人が戻ってきて女性の頬に氷嚢を当てながら言う。
「あんな男と一緒にいたって幸せにはなれないよ」
「……そうですよね」
「親御さんが今のあんたの顔を見たらなんて言うか。あんなやつさっさと捨てちまいな!」
「そうします」
婦人に背中を押された女性は力なくそう答えた。
◇
結局ジョニーは自警団に引き渡された。
店で騒ぎを起こされた店員が通報したのだ。
妻や他人に暴力を振るい、店で暴れて損害を与えたとして拘留されるらしい。
「自警団も呆れ顔だったよ。地元の者達で皆顔見知りなのだろう。暴れるジョニーに手を焼いていたが縄でぐるぐる巻きにして連れて行ったよ」
「そうですか」
これでしばらく平穏な生活が出来そうだ。
女性も安心して実家に帰れるのではなかろうか。
「割引までしてもらって申し訳なかったですね」
あの後、迷惑をかけたとして代金からいくらか割り引いてもらった。
被害を受けたのは店も同じだろうに、なんとなく気が引ける。
「また食べに行こう」
「そうですね。おいしかったですし」
牡蠣の蒸し焼きは絶品だった。
蒸し焼きだけではない。鮮魚のマリネや魚介のパスタもおいしかった。
滞在中に何度か足を運んでも良いだろう。
「ですが、リャドカメオとして認められないことがあんなに堪えているなんて思いませんでした。
てっきり開き直っているものだとばかり」
ジョニーの妻の話によれば、ジョニーが暴れるようになったのは組合に「新しいカメオ」を否定されてからだという。
つまり組合に否定されたのは彼らにとって想定外の出来事だったのだ。
「開き直っているからこそ『最新式のカメオ』だなんて紛らわしい、リャドカメオだと誤認させるような売り方をしているのだとばかり思っていたのですが、もしかして苦し紛れなのでしょうか」
「そうだろうな。本当ならばリャドカメオと言って売りたいところだが、リャドカメオの名を使えば処罰される。
だから新しいカメオを売るにはああするしかなかった」
「もともと修行していた工房に喧嘩を売る形で出て行ってしまったので戻るに戻れず、『新しいカメオ』が認められなければリャドカメオと名乗ることも出来ない。
だからホロジオのカメオに目を付けたのでしょうか」
「というと?」
「ホロジオのカメオを修復したら組合に認めてもらえるかもしれない。箔がつくし実績になるでしょう?」
「それは実力が伴っていた場合だろう。逆に見るも無惨な姿にしてしまえばかえって評判が落ちるだろうに」
「藁にも縋る思いということでしょう。いつまでも『新しいカメオ』なんて名前で観光客を騙せるとは思いませんし」
今売れているからと言って今後も同じように売れるとは限らない。
「新しいカメオ」の質が悪いことは見る人が見れば一目瞭然であるし、宝石修復師のような専門家が手に取れば手彫りではなく魔法で作られた物であることなどすぐに判別出来てしまう。
それが「本物」のリャドカメオではないとバレるのは時間の問題だ。
もし観光客にその情報が広まったら?
リャドカメオだと思い込んで買った客の中には「詐欺だ」と感じる者もいるだろうし、そんな評判が広まれば売り上げにも響くだろう。
そうなる前に何が何でも組合に「新しいカメオはリャドカメオである」と認めさせたい。
それが「ホロジオのカメオに執着する原因なのではないか」とリーシャは考えた。
「だとすると、ジョニーが捕まったからと言って妨害がなくなる訳ではないかもしれないな」
「対面の店は全て『新しいカメオ』の店らしいですからね」
「新しいカメオ」に手を出したのはジョニー一人ではない。
多くの若者が例の男に唆されて魔道具に手を出し、「新しいカメオ」を売るために工房を飛び出している。
「全く、随分と面倒なことをしてくれましたね。あのロメオという男は」
「トスカヤの比ではない。町を分断するような事態を招くとは、とんでもないやつだ」
おそらく、彼らに魔道具を売りつけたのはトスカヤで出会った「ロメオ」だ。
リャドという文字を書き置きで残したのはこの町に立ち寄った時にホロジオのカメオを見たからだろう。
(あの男ならやりかねない)
特徴的なのは魔法ではなく魔道具を使うことだ。
なぜ魔法を使わないのかというと、使えないからだろう。
宝石修復師を名乗っていた時もそうだった。
魔道具は魔力を流せば焼き付けた魔法を使うことが出来る。
例え本人が修復魔法を使えなくとも魔道具を使えば修復魔法を使えるように見せることが出来るし、魔道具を揃えればどんな職業だって演じることが出来る。
詐欺師にとって魔道具は無くてはならない道具なのだ。
だから組合の試験では魔道具が使えない。
そうやって詐称する人物を弾くためだ。
「こんなことになるなんて考えていなかったのかもしれません。ただ粗悪な魔道具を高く売りつけるための演技だったのかも」
「だとしても、あまりに影響が大きすぎる」
「蒐集物の在処を教えてくれたのは有難いですが、やっていることは褒められたものじゃありませんね」
トマス一人を騙すのとでは訳が違う。
ロメオがばら撒いた魔道具のおかげでリャドはめちゃくちゃだ。
「いったいどうすれば良い着地点が見つかるのか……」
ジョニーたちが意固地になっている分、解決するのが難しそうだ。
思わぬ悩み事にリーシャは頭を抱えることとなった。




