カメオ工房の息子
「それで、おそらく修復自体はこの写真を参考にすれば可能だと思います」
リーシャは写真と実物とを見比べながら言う。
ぽっかりと欠けたカメオの「顔」はリストの写真にしっかりと写っている。
これを元に修復すれば近い形にはなるだろう。
「本当ですか? ああ、良かった」
「ただ、完全に元に戻る訳ではないことをご了承ください。古い写真ですので細部まで写っている訳ではありませんし、細かい部分まで再現することは難しいと思います」
「それは十分承知の上です。私たちはただ、女神の肖像が欠けているのが忍びなく……この空白を埋めていただけるだけで本望なのです」
「分かりました」
(正直言って今回は石を修復するよりも難易度が高い。私はカメオの素人だからだ)
使われているのは鉱物でも、標本の欠けを直すのと「作品」の欠損を直すのとでは話が違う。
単に同じ色、同じ産地の石で埋めればよい訳ではなく、その作品を作った職人の「技」まで再現しなければならない。
それがどんなに難しいことか、依頼人であるエヴァンもよく分かっていた。
だからこそ無理は言わない。
欠けてしまった女神像の顔が戻ってくるだけで、顔を無くした痛々しい姿でなくなればそれで良いと考えているのだ。
「極めて良識的な依頼者である」とリーシャは胸を撫で下ろした。
たまにいるのだ。
「完璧に元に戻せないなどあり得ない」と怒鳴りつけてくる少し困ったお客様が。
宝石修復師は宝石を修復するのが仕事ではあるが、宝石を完全に元の状態に戻せるわけではない。
修復魔法は「欠けた部分を別の石で埋める魔法」であって「時間を巻き戻す魔法」ではないのだ。
欠損した部分の破片を紛失してしまえば別の石で穴埋めせざるを得ないし、割れた破片が残っていても細かい破片ならば一度分解して流し込まなければならない。
できるだけ元の見た目と元の組成に近い再現をする。
それが修復魔法の本質だ。
たまにそれを理解できない客がおり、いくら説明をしても「完璧に元に戻せ」と言って聞かないことがある。
そのような客に比べるとエヴァンのような理解のある客の依頼はとてもやりやすい。
「修復を始める前にいくつか見せて頂きたい物があるのですが」
「はい。何でしょうか」
「まず他のホロジオの作品をいくつか見せて頂きたいです。彼の作品の特徴があれば教えてください。出来るだけ再現できるよう善処します。
あと実際にリャドカメオを作っているところを拝見出来ないかと。お恥ずかしながらカメオに関しては素人も同然でして、勉強をさせて頂きたいのです」
「かしこまりました。ホロジオのカメオは美術館にあるのでそちらで。リャドカメオは町一番の腕利きがいる工房を紹介しましょう」
「感謝します」
「では早速、美術館から参りましょうか」
エヴァンはカメオを布に包んで木箱にしまうと再び金庫の中に入れて鍵を閉めた。
まるで金塊でも入っているのかと錯覚するほど大きくて頑丈そうな金庫だ。
(よほど警戒しているんだな)
「最新式のカメオ」を作る職人に勝手に修復されるのを防ぐためだと言っていたが、ここまでしなければならないなんていささか物騒ではないか。
そんなことを考えてしまうほど複雑な作りをした鍵をエヴァンはガチャンガチャンと締め、念入りに閉まっていることを確認したのちに「こちらです」と言って二人を部屋の外へと案内した。
「おい! あんた、なんてことをしてくれたんだ!」
部屋を出た瞬間、そんな罵声が投げつけられた。
声のした方を見ると若い男が立っている。どうやら彼が声の主らしい。
「いきなりなんです? おっしゃっている意味が分からないのですが」
「あんただろう? 親父が言っていた修復師ってのは」
(親父)
面識のない相手にいきなり怒鳴りつけられて困惑していると、エヴァンが二人の間に割って入った。
「ジョニーさん、困ります。こんなことをされては」
「うるさい! カメオを出せ! ここにあるんだろう?」
「あなた方に勝手に直されると困るんです」
「俺たちならタダで直すことが出来るんだ。金貨うん十枚なんて大金を支払うなんて馬鹿げてる!
どうせ誰が直したって変わらないんだ。だったら俺たちが直しても構わないだろ?」
「そんなことはありません」
言い合うエヴァンの後ろからリーシャが援護する。
「誰が直しても同じ? 本気でそうおっしゃっているのですか?」
「そうだが。あんたみたいなガキが直せる程度なんてたかがしれている。あんたに金貨数十枚を支払うなんて親父たちもどうかしてるぜ」
「新しいカメオでしたっけ。先ほど工房の軒先で拝見しました。正直、ひどい出来だと思います。
造形魔法を使って作ったのでしょうが、全くの素人が作ったとしか思えません。
あの程度の技術でホロジオのカメオを修復できるとは到底思えませんが」
「なんだと!」
「おい、吠えるのは構わんが手を出すのはやめろ」
リーシャに掴みかかろうとした男の前にオスカーが身体を滑り込ませた。
腰に下げられた剣が目に入ったのか、男は一歩後ろへ後退する。
「その女は俺を侮辱したんだぞ!」
「侮辱ではない。俺も実際にこの目で見たが、向かいの手彫りの店のものとは比べものにならない出来だったぞ」
「てめえ! 大口叩くのもいい加減にしろよ」
「ご納得頂けないのでしたら今ここでお見せしましょうか」
リーシャは収納鞄から瑪瑙の端材を取り出すと男の前に差し出した。
「私も素人同然ですが」
そう一言置いて、もう一方の手を瑪瑙の上にかざす。
「石よ、麗しき女神の御姿を我々の前に示し給え」
瑪瑙が淡い光に包まれ、上部にある赤い層が剥がれ落ちていく。
その下にあった白い層が露出し、その白い層も徐々に光の粒となって溶けだしていった。
(まずは大まかに人の横顔を作って、そこから足したり引いたりしていく)
白い層の下にある赤い層が背景となるように削り出していく。白い部分が女神の横顔になるよう大まかに形をとり、その周囲を削って掘り下げていく形だ。
写真に写っていたホロジオのカメオを思い出しながら女神の横顔を削りだし、そこから細かい修正をしていく。
細かく髪の毛の筋を削りだし、足りない部分は分解した白い層を再び張り付けて構成する。
なめらかな肌になるように表面の凹凸には注意を払い、衣服や表情も丁寧に表現した。
リーシャはカメオの素人である。
先ほど見た写真を元に想像しただけの、手彫りの職人から見たら拙い作品だったかもしれない。
それでも「最新式のカメオ」よりはずっと出来が良く、素人ながらに細かく丁寧な作りをした「柔らかい」カメオが出来上がった。
「どうですか?」
左手にカメオを、右手に削り取った瑪瑙の粉をまとめた端材を持って男に見せる。
完璧とはいえない。もしかしたら「カメオ」とはほど遠いものかもしれない。
それでも本物の造形魔法がどんなものなのかは示せたはずだ。
「……」
男もエヴァンも呆気にとられていた。
あまりにも美しく、滑らかな魔法だったからだ。
目の前で瑪瑙が姿形を変え、女神像が出来上がっていく様は神秘そのものだった。
まさに魔法だ。
それに、魔道具を使わない「言葉」の魔法。
あんなに美しい魔法を見たのは初めてだった。
二人ともリーシャの魔法に見とれていたのだ。
「貴女に依頼をして本当に良かった。今、心からそう思いました」
ずり落ちたメガネを上げながら、やっとの思いでエヴァンは口を開いた。
「確かにまだ荒削りな所はありますが、見本もなしに急拵えでこれだけのものを作れたら大した物です」
「ありがとうございます」
「……」
男はリーシャの手のひらに乗ったカメオをまじまじと見つめると、それを引ったくって勢いよく床に叩きつけた。
床には絨毯が敷かれていたので瑪瑙は割れず、ごろごろと床を転がっていく。
「くそ! 調子に乗るなよ!」
瑪瑙が割れなかったことに動揺したのか、男はそんな捨て台詞を吐いて三人の前から逃げていった。
「やれやれ。困ったものです」
エヴァンは瑪瑙を拾い上げると埃を払ってリーシャに手渡した。
「彼は一体?」
「新しいカメオを推奨している一派の中心人物です。先に美術館へ行く予定でしたが、予定を変更しましょう。
ご紹介しようと思っていた手彫り職人は彼の父親なんです」
そう言ってエヴァンは深いため息をついた。




