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謝罪

 それからの二週間、リーシャは貴賓室に籠り切りの生活を送った。

 何せ外面的には「皇帝を庇って重傷を負った貴族令嬢」なのである。

 御守りの効果で怪我が治っているのを悟られてはならないため外に出ることが出来ず、部屋に籠もったまま貴賓室に連日押し掛ける「見舞い客」を追い返す日々が続いている。

 皇帝陛下の命の恩人というだけあり、リーシャの元へ連日様々な見舞い客が殺到していた。

 もちろんそのほとんどは皇帝陛下の寵愛を受けるご令嬢に取り入ろうとする下心満載の貴族たちである。


 リーシャが皇帝の寵愛を受ける娘であるという噂は瞬く間に貴族たちの間で広まった。

 ヴィクトールとオスカーの揉め事を遠くから見た者が居たのだ。

 ただ、その者ははっきりと見聞きしたわけではなく遠くから二人がなにやら揉めているのを目撃しただけだった。

 そして運悪くヴィクトールの「愛している」という言葉がその者の耳に入ってしまった。

 そうした偶然が重なって、「皇帝には想い人」と「恋敵」がいるという噂があっという間に広まったのだ。

 そのため、「あの皇帝の想い人を一目見たい」という貴族が連日迎賓館に押し掛けるようになってしまった。

 もちろん面会謝絶であるが、彼らを追い返すのも一苦労である。


「こんなことになってしまい、本当に申し訳ありません」


 ある日、リーシャの元にロウチェがやってきた。

 缶詰状態で退屈であろうと、リーシャが興味を持ちそうな本を何冊か携えて先日の不始末を詫びにきたのだ。


「実はあの日、陛下の身辺警護もかねて私が陛下の同伴者として参加をする予定だったのです」

「そういえば、用事があって来られなくなったとか」

「ええ。私宛に急な来客がありまして、本来ならば来客対応をした後に迎賓館に向かう予定だったのですが、ちょっとした事故が」

「事故?」

「その客が持ち込んだ荷物が爆発したのです。それで、その処理に追われてしまい迎賓館に向かうことが出来ず」

「……それって事故なんですか?」

()()()()です」


 ロウチェは顔色一つ変えずに言った。


「リーシャ様を刺したリチャード・ベルクマンへの取り調べも進んでおります。

 どうやら単独犯ではなく、彼を唆した人物がいるようです」

「というと?」

「ベルクマンは主に国外での資材調達とそれに関わる交渉を担っていました。その滞在先で悪い虫がついたようなのです。

 祖国にいる家族を人質に取られ、陛下を殺すよう脅されていたと」

「もしかして、彼が不眠症だったのって」

「可能性はあります。陛下曰く、家族思いな人間であったと言うことですから。

 家族の命と陛下の命、二つを天秤にかけて思い悩んでいたのでしょう」


(気の毒に)


 刺されたことには変わらないし、そのことを許そうとも思わない。

 だが、ベルクマンの心情を思うと少しばかり同情してしまう。

 目の下に出来た濃いクマは彼の救難信号だったのかもしれない。

 そう思えて仕方ない。


「本来ならば身を挺して陛下を守るのは私の勤めでした。リーシャ様に怪我を負わせてしまい、お詫びの仕様がありません。

 本当に申し訳ございませんでした」

「頭を上げてください」

「陛下の大切なお方に、傷を……」


 ぽたぽた、と床のカーペットに染みが出来る。

 顔を上げたロウチェの頬にはつーっと涙が伝っていた。

 自分が迎賓館にたどり着いてさえいれば。

 自分が皇帝にリーシャを誘えと進言したばっかりに。

 後悔の念ばかりが押し寄せる。

 昨日、諸々の対応を終えて自室に戻ってきたヴィクトールの顔を見たロウチェは狼狽した。

 ひどく疲れ切り、憔悴した皇帝の姿を初めて見たからだ。

 ヴィクトールはロウチェを責めなかった。

 それどころか、爆発事故の話を聞いてロウチェの心身を労ったのだ。

 それがなにより、ロウチェにとって辛くてならなかった。


(リーシャ様も陛下も、一層のこと私を責めてくれたら楽なのに)


 二人の優しさが何よりも辛い。

 責めることなく優しい言葉をかけてくれる。それが辛くて仕方がない。


「リーシャ様に傷を負わせてしまった、自分が許せません」

「私がしたくてしたことです」

「本来ならば私が」

「私が刺されたことによって二人も助けられたのですから良いではありませんか」

「リチャードのことも、もっと調べるべきでした。ヴィクトリアは異変に気づいていたそうです。些細な異変であっても報告させていれば」

「過ぎたことです。今更言っても仕方ないでしょう」


 リーシャが叱責をするとロウチェはうなだれた。

 「こうしていれば」と終わった後にならばいくらでも言える。

 分かっていてもつい考えてしまう。


「それより、他にもリチャードと同じような状況に陥っている人がいないか調査した方が良いのでは?

 もしかしたら爆弾事故の犯人も脅されていたのかもしれませんよ」

「はっきり申し上げて、心当たりが多すぎるのです」

「どういう意味ですか?」

「離宮の廃止と側妃の追放によって陛下はあらゆる人々から恨みを買っています。陛下を害そうとする者は国の外にも内にも大勢いる。

 正直、誰が敵で誰が味方か……。誰を信用して良いのか分からないのです」

「それは……思ったよりも複雑な状況ですね」


 リチャード・ベルクマンは事前調査に引っかからない善良な市民であった。

 にもかかわらず、皇帝に刃を向ける凶行に走った。

 信頼している部下や毎日挨拶を交わしている相手もいつどこで買収され、籠絡され、転向するか分からない。

 まるで地雷原の上でタップダンスを踊っているような、そんな状況である。


「だからこそ、陛下は心から信頼の置ける兄弟姉妹を重用しておられるのです。

 我々は陛下を支え、守らねばなりません。例え命に代えても、結束して揺らいではいけない。

 陛下には強い皇帝でいて頂かなければならないし、我が国も強い国であらねばならない。

 そうしなければあっという間に足下を救われて、国が崩壊してしまいます。

 私は陛下を喪うのが怖いのです。そして陛下が大切に想っている貴女を喪うのが怖い」


 もしもリーシャを喪ったらヴィクトール・ウィナーはどうなってしまうのか。

 そんな空想が今まで何度かロウチェの頭を過ぎったことはあったが、憔悴した皇帝の姿を見たことによってその微かな不安は恐怖へと変貌した。

 リーシャを喪えば皇帝は皇帝でなくなってしまう。

 そんな気がしたのだ。


(これは思ったよりも重傷だ)


 ひざを折り、リーシャの手を握りしめながら涙を流すロウチェを眺めながらリーシャはそんなことを思った。

 ロウチェは完全に心が折れている。

 自責の念と、皇帝を喪いかけたことに対する恐怖。

 その両方に押し潰されそうになっているのだ。


「大丈夫、なんとかなりますよ。なんて無責任な言葉はかけられませんが……。

 皇帝陛下は豪運体質でしょう?

 今回だってなんとかなりましたし、ロウチェさんがそこまで気負う必要はないと思いますよ」

「……いくら陛下が豪運でも、リーシャ様が怪我をされたのでは」

「陛下と同じことをおっしゃるのですね」

「え?」

「陛下もロウチェさんと同じようなことをおっしゃっていました。いくら自分にそのような力があったとしても私が怪我をしては意味がないと。 

 やはりお二人は兄妹なんですね」


 かぁっとロウチェの顔が赤く染まる。

 耳まで赤くなるのを見たリーシャは「あと一歩だ」と感じてもう一押しした。


「お二人にそう言って頂けるのは嬉しいです。でも、陛下ならばきっと大丈夫です。

 あのお方には天が味方をしている。そう思えてなりません。

 だからロウチェさんの考えているようなことにはならないと思います」

「そうでしょうか」

「ええ。それに、ロウチェさんのような頼れる腹心がいるのですから問題ないでしょう」


(ああ、本当にこの方が陛下の妻となってくれればどんなによいことか)


 病床に伏してなお、他者を思いやり奮い立たせる。

 話していると心が安らぎ、自分が一番欲しい言葉を投げかけてくれる。

 その正体はリーシャが長い旅の間に身につけた処世術なのだが、気づかないうちにロウチェは心から心酔していた。

 それは兄であるヴィクトール・ウィナーに向ける眼差しに近いものとも言える。

 ある種の信仰のようなものだ。


「そうだとよいのですが」


 ここまできてロウチェの心はようやく落ち着きを取り戻した。

 感情の波が平らかになり、赤く腫れた目を恥ずかしそうにこする。


「お恥ずかしいところをお見せしました。申し訳ありません」

「いえ、お気になさらず。たまに愚痴を漏らして息抜きするのも大事なことですから」

「……ありがとうございます」

「さて、よろしければお茶にしませんか? 差し入れでおいしいケーキを頂いたのですが、オスカーはしばらく戻ってこなさそうなので二人で食べてしまいましょう」

「ああ、お茶の用意ならば私が! リーシャ様はそのまま座っていてください」


 甲斐甲斐しく世話を焼くロウチェにリーシャは苦笑した。

 「本当は怪我などとうに治っているのだ」と言ったらどんな顔をするだろうか。

 そんなことを考えながらロウチェが紅茶を入れる後ろ姿を見守った。

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