告白
客間に入り部屋の入り口に鍵をかけるとリーシャは自分の腹からそっとナイフを引き抜いた。
「……っ」
治るとはいえ痛いものは痛い。
思わず呻き声が漏れる。
「大丈夫か?」
「はい、なんとか」
そう言ってリーシャはすっかりと傷が塞がった腹を見せた。
「ご心配おかけしました」
「……それは魔法かい?」
その光景を見ていたヴィクトールは思わず間の抜けた声で問いかけた。
それもそのはず、傷が瞬時に塞がるという常識的には考えられない光景を目の当たりにしたからである。
「どちらかというと魔術ですね」
「魔術か。噂には聞いていたけれど、まさかそこまでとは」
「ご興味がおありですか?」
「無いわけではない。だが、それは私が聞いて良い話なのかな?」
ヴィクトールの問いにリーシャは机の上に置いてある防音の魔道具を指さした。
「陛下以外の者には聞こえない仕様です」
「つまり、私ならば良いと?」
「こうして見られてしまったのですから、今更隠しても無駄でしょう。このまま忘れろと言っても無理でしょうし、それならば教えてしまった方が良いと思ったのです」
「そういうことならば聞かせてもらおう」
「では、そちらにどうぞ。長い話になりますから」
リーシャはそういうとヴィクトールに座るよう促した。
そしてその対面に腰をかけ、オスカーに隣に座るよう指示を出す。
自らの首から石榴石のペンダントを取り外して机の上に置くと、一息ついてから事の次第を語り始めた。
「これは祖母の蒐集物の一つで、私が祖母から直接譲り受けたものです。
譲られた当初は『御守り』であるとの説明しか受けておらず、このような効果があることを知ったのは旅をしてしばらく経ってからのことでした。
怪我をしてもすぐに治る。常に体調が良い状態である。そして何より、五年経っても十年経っても姿が変わらない。
普通に考えれば、これは魔道具であると考えるのが一般的でしょう。
しかし、ご存じの通り魔法には限界があります。
魔法とは自然の力を借りるもの。自然の摂理からかけはなれた現象を引き起こすことは出来ない。
深い傷を一瞬で治したり不老長寿にするような、そう、おとぎ話に出てくるようなことは出来ないはず。
ではこれは一体何なのか。
私はずっと疑問に思ってきました」
「ふむ。それで?」
「御守りの正体が分かったのはつい最近のことです。
賢者の学び舎で出会った魔術師に見て頂いた結果、このペンダントは魔法道具ではなく魔術道具であることが判明したのです。
彼女によると魔術は時間や空間を切り取ったりねじ曲げたりする事が得意なのだそうで、肉体年齢を止めるのはそう珍しくはないらしく、この御守りもそうした魔術の一つなのだと言っていました」
「驚いたな。まさに絵物語に出てくる不労不死、不老長寿の魔法だ」
「私たちにとってはそう見えますよね」
かつて魔法は絵物語のなかでのみ語られる架空の存在だった。
不老不死、蘇り、欠損した手足が瞬く間に元に戻る秘術、何百年も生きる賢者や仙人の話。
そんな夢のような話が絵物語の主流だった。
魔法教会が設立される前、今から百年以上前の話だ。
特別な者だけが使える奇跡。
それが誰でも使えるようになると、次第に絵物語の中から不老不死や蘇りの話は消え去った。
そんなものはこの世に存在しないと分かったからだ。
しかし、それは別の形で別の場所に存在した。
時間をねじ曲げ寿命を延ばす。
まさに不老不死、不老長寿の奇跡そのものではないか。
「魔術とは、魔法の先にあるものなのだそうです」
「魔法の先というと、魔法をさらに高めたものが魔術であるということかい?」
「ええ。魔術師にとって魔法は原始的なものであると。魔法を昇華させたその先に魔術はある。
自然の理を超え、時間と空間をねじ曲げる。しかしその現象が何故起きているのか、どうして出来ているのかは魔術師にも分からない。
実際の所正体不明の技術ではあるのですが、出来るので使っている。
そういうものなんだとか」
「……」
(魔術。存在は知っていたがまさかそこまで非現実的な技術だとは)
リーシャの話を聞いたヴィクトールは冷静だった。
「魔術」というものがあるのは知っていた。
西方に人を遣わす事も多いし、賢者の学び舎にも兄弟姉妹が何人か滞在している。
彼らから何度か「魔術師」という存在については聞いていたし、一度だけ貴族の夜会で魔術師に出会ったこともある。
しかし、実際魔術を自分の目で見たことはなかったし「魔術」について聞いても返ってくる返事はぼんやりとしたものばかりだった。
皆一様に「分からない」と口にするのだ。
故に、魔術というものはヴィクトールにとって蜃気楼のようなぼんやりとした存在だった。
だからこそリーシャから聞いた話はヴィクトールにとって渡りに船だった。
もやもやとしていた輪郭が急にはっきりと目視できたような、そんな感覚だ。
「では、そのペンダントも何故そうなっているのかは分からないのか」
「理屈は分かりませんが。中身は見せてもらいましたよ」
「中身?」
「これに焼き付いている魔術の図式です」
「焼き付いているということは、仕組み自体は魔道具と同じということかい?」
「そうですね。見たことがない文字と、複雑な幾何学模様が合わさったような図でした。
あんなに複雑な絵図をこの大きさの石に正確に焼き付けるなんて、魔法道具では見たことがありません。
ほら、一般的に一つの魔道具には一つの魔法しか付与出来ないでしょう?
あれは核に一種類しか魔法を焼き付けられないからなんです。
広く使われている装身具型の魔道具って核の大きさが小さいのであまり細かく魔法を焼き付けられなくて。
それなのに、この大きさのペンダントにあんなに複雑な魔術を焼き付けている。
制作者の技量の高さが良くわかります」
「一体誰がそんな逸品を?」
「タリヤ・ランドールという、祖母が学び舎にいた頃に同室で暮らしていた魔術師だそうです」
「ほう……。とすると、それが作られたのはかなり前の話になるね」
「ええ。そうですね」
今更リーシャの実年齢を尋ねるような野暮な真似はしない。
そんなことはヴィクトールには関係がないからだ。
リーシャが何歳であろうとリーシャはリーシャである。
それはリーシャ自身も良くわかっていた。
だからこそ、こうしてヴィクトールに秘密を打ち明けているのだ。
(彼は事実を知ったからと言ってそれを利用しようとしたり、態度を変えるような人物ではない)
それだけの信用があった。
事実、こうして目の前で顔色一つ変えずに話を聞いている。
不老不死の魔道具など、話を聞いた瞬間に目の色を変えても仕方ないというのに。
「私はその、タリヤ・ランドールに会ってみたいと思っています」
「だが、おばあさまと同年代の人なんだろう」
「話をしてくれた魔術師の方が言っていました。魔術師は身体をいじっていることが多いから、今も生きているだろうと。
そして記録によると、彼女は魔術大陸に戻っているそうです」
「つまり、魔術大陸に渡りたいと」
「いずれは。賢者の学び舎には魔術大陸への留学制度があるそうです。時が来たら推薦をしてくれると、件の魔術師が言っていました」
「……そうか」
リーシャの話を聞いたヴィクトールは少し考えた後、言葉を続ける。
「いや、実は私も魔術大陸には興味があってね。こちらとあちらとの間に飛行船の定期航路を開きたいと思っていたところなんだ」
「定期航路ですか?」
「ああ。今のところ魔術大陸に渡るには船を使うしかないだろう。
それよりも早く、安定的に人や物を運べるようになれば今よりももっと魔術大陸との交流も増えるのではないかと思ってね」
「とか言って、本当は魔術を研究したいだけでしょう?」
「それもある。正直、魔法で出来ることには限界があるからね。行き詰まる前に魔術師を招いて魔術の研究を始めるのも悪くはないと思わないかい?」
「……」
(おや)
渋い顔をするリーシャにヴィクトールは苦笑した。
「リーシャならば魔術に興味を持つと思ったんだけど」
「確かに興味深いです。……ですが、原理も理由も原因も分からない現象だなんて、使いづらいです。
時間と空間をねじ曲げ、切り取り、穴をあけた先に何があるのか。それが分かってからでないと。
それが魔法であるならば遠慮なく手を出せるのですが」
「そういうものかい」
「そういうものです。安易に手を出すのはおすすめしません」
「……なるほど」
意外な回答だった。
探求欲の強いリーシャならば喜んで話に食いついて来ると思っていたからだ。
(リーシャがここまで渋ると言うことは、そういうことなのだろう)
安易に手を出すべきではない。
魔術大陸へ航路を繋げる話は別として、魔術を国に導入するのには慎重になった方がよい。
実際に魔術師と交流し、魔術の一端に触れたリーシャがそう言うのだ。
魔術師の「噂」ばかりを拾ってくる親類の話を鵜呑みにするよりもずっと説得力がある。
(リーシャは以前、俺にも同じことを言ったな)
横で聞いていたオスカーは心の内でそんなことを考えた。
化石の町で砂漠に湧き出たオアシスを見た時のことだ。
『魔術があればイオニアにも豊かな水を持ち帰ることが出来る』
そう考えたオスカーにリーシャは釘を差した。
魔術という存在に対してリーシャはことのほか慎重だった。慎重と言うよりも、警戒をしていると言ってもいい。
収納袋や御守りなど、魔術を徹底的に遠ざけている訳ではないが、汎用的ではなく得体の知れない未知の魔術に対する警戒心は人一倍だ。
好奇心よりも恐怖や慎重さが勝るのが見て取れた。




