ヴィクトリアの提案
「もしかしてオスカー様がおっしゃっているのは、新型発動機のことではありませんか?」
「……なに?」
「冠の国の飛行船レースで我が社の飛行船を打ち負かしたあなた方の飛行船に新型発動機が搭載されていたと、そんな噂を聞いたのです。
ウィリアムも同じことを言っていました。
その飛行船を作ったオリバーという技師は優秀で、あり得ない話ではないと」
オスカーはリーシャに目線をやった。
リーシャもチラリとオスカーの方を見る。
(どうするべきか)
新型発動機はオリバーの切り札だ。
いくらリーシャが開発を手伝ったとはいえ、その情報をオリバーに無断でヴィクトリア――オリバーとモニカを冠の国から追いやった人物に教える訳には行かない。
ヴィクトリアはいわばオリバーの商売敵だ。
オリバーの造船所はウィナー公船会社に職人を奪い取られて経営の危機に陥った。
そんな相手にみすみす最新技術を教える必要はない。
「そのことで、実はお願いしたいことがあります」
ヴィクトリアはリーシャとオスカーに向き合うと頭を下げた。
「どうかその新型発動機を我が社の飛行船に使わせていただけないでしょうか」
「……はい?」
「失礼だが、自分が何を言っているのかお分かりか?
オリバーとモニカから造船所と国を奪ったのは誰だと思っているんだ」
「分かっております。ですが、これも商売。職人の引き抜きは珍しいことではない。それはあなた方もお分かりでしょう?」
「それはそうだが」
「我々は大陸間を横断できる大型飛行船の建造を目指しています。そのためにどうしてもオリバー氏の新型発動機が必要なのです」
ヴィクトリアは二人の目をまっすぐに見据えて熱弁をふるう。
「現在就航している飛行船は都市間運行が主で超長距離の運行は未だ実現していません。
長距離航行をすると発動機が連続稼働に耐えきれず壊れたり不調になったりするからです。
主な原因は熱。長時間動かし続けることによって発生する熱や外気や太陽からの影響を受けて発動機が熱を帯び、故障してしまうのです」
「それで新型発動機を?」
「はい。オリバー氏の発動機には冷却装置が組み込まれていると」
(詳しい内容まで漏れている。一体どこから?)
ヴィクトリアは新型発動機がなんたるかを知っている。
リーシャはそう感じた。
あの発動機の修復は秘密裏に行っていたはずだ。
そのはずなのに襲撃にあい一度は破壊された。
その原因はギルドからの情報漏洩であったとリーシャはにらんでいた。そしてそれを仕組んだのは偉大なる帝国だと。
その予想は大凡当たっていたようだ。
やはり情報はウィナー公船会社に渡っていたらしい。
「ウィリアムからレースの様子を聞きました。
我が社の飛行船よりもずっと速く、それもその速度で長時間飛んでいたと。
そしてその発動機の修復依頼をリーシャ様が受けていたことも」
「あの時は大変でしたよ。寝込みを襲われた上に飛行船まで壊されてしまったのですから」
「本当に申し訳ありません」
嫌みの一つも言いたくなる。
あわや殺されかけたのだ。
リーシャが飛行場に現れたときのウィリアムの驚いた顔と言ったら。ヴィクトリアに見せてやりたいくらいだ。
「そんなことをした相手に発動機の情報を渡すとでも?」
「……虫の良い話、ですよね」
「ええ。本当に」
リーシャは冷たく突き放した。
(ヴィクトリアはいい人だ。でもそれとこれとは違う)
オリバーとモニカがレースに出てまで守ろうとした造船所を、冠の国という故郷を奪った。
いくら親しくなった相手だからといって許せることではない。
(今の話を聞くに、確かにあの発動機があれば長時間稼働における発熱の問題は解決出来るだろう。
あの発動機に使った核はルビーとサファイアの混合核。高速航行をするためのブーストをした際に発する熱を冷やして発動機を守るための仕掛けだ。
まさにヴィクトリアが一番欲しているものだ)
魔力は食うが、人を何人も用意すれば大陸間の横断も夢ではないだろう。
(ということは、これは交渉の切り札になる)
オリバーしか持っていない、何よりも強い切り札だ。
「そもそも新型発動機はオリバーさんのものであって私のものではありません。
なのでいくら頭を下げられても私の一存でどうこう出来るものではないのです」
「では、オリバー氏に取り次いで頂くことは出来ませんか?」
「本気でおっしゃっているのですか?」
「私どもが何かを頼める立場ではないことは分かっています。それでも……」
「でしたら、せめてオリバーさんたちに報いてください」
「報いる……ですか?」
困惑するヴィクトリアにリーシャは言う。
「あなたがおっしゃるようにこれも商売。オリバーさんに従業員を返せだとか、接収した造船所を返せだとか、そういう口出しをするつもりは毛頭ありません。
もしも彼らからそれ以上のものを……新型発動機までも奪い取ろうというのなら私は一生あなたを許さないでしょう」
「奪うだなんて、そんなこと!」
「そうならないように、きちんとした場できちんと話し合って公平に交渉出来るようにして頂きたいのです。
あなたがたは大国。それも彼らの故郷に攻め入った侵略者です。
彼らはそんなあなた方に殺されそうになり逃げるために国を出た弱者。
そもそもの立場が違う。
そしてもし彼らが交渉を拒絶するようならば、そのときは潔く諦めてください。
無理に聞き出そうとしたり痛めつけたり、そういうことをするのはやめてください。
以前のように飛行船を破壊されたり殺されかけたりしたらたまりませんから」
ヴィクトリアは真っ青な顔をして口をぱくぱくさせた。
まさかリーシャにそんなに信用されていなかったとは思わなかったのである。
親睦を深め、ある程度信頼されていると思っていた。
この交渉もうまくは行かずとも良い方向に持っていけるだろうと心の底で考えていた節もある。
それが、こんな正面から拒絶されるとは。
(だいたい、リーシャ様やオリバーを殺そうとしたなんて聞いてない!)
ウィリアムから受けた報告は若干事実と異なるようだ。
殺されそうになった相手を信用しろという方が無理に決まっている。
「も、もうし……申し訳ありません」
ヴィクトリアは掠れた声で謝罪する。
「ご指摘はごもっともです。もしも交渉の機会を頂けるならば、十分配慮、いえ、リーシャ様がおっしゃったことを必ず守ると誓います。
ですので、どうか、一度だけでも機会を頂けないでしょうか?」
「オリバーさんとモニカさんはイオニアの国民です。イオニアの飛行船事業は彼らを中心に進められています。
もしもイオニアへの支援に慈善事業以外の意味があるのだとしたら、私は橋渡しをすることは出来ません」
「そんなことは」
「冠の国のように、内部から侵食して取り込むような真似はしてほしくない」
「……」
偉大なる帝国のやり方はある意味で国を乗っ取り食い物にするようなものだ。
資金援助や支援を盾に相手を逆らえなくする。
だんだんと偉大なる帝国抜きでは立ち行かなくなるように国を内側から作り替えてしまう。
自分たちの国が他国にされていたことをそっくりそのままやり返しているように見える。
(タダほど怖いものはない)
何の見返りも求めずに援助をする。そんな甘い話があるだろうか。
冠の国もクロスヴェンも、結局そうして偉大なる帝国を受け入れざるを得なかった。
「陛下には、そのようなおつもりはないはずです。陛下はイオニアと友好関係を結びたいと、そうおっしゃっていました」
「私も陛下のことは信用しています。あのお方は私を裏切るような人ではないと。しかし、それとこれとは話が別なのです。
あのお方が皇帝であるからと言って、あなた方の会社を、私たちを亡き者としようとした会社を信用できるかは別問題。
お分かりいただけますか?」
「……」
「ヴィクトリア様。私はあなたを信用できない訳ではないのです。しかし、あなたの会社に機密を渡そうという気にはなれない。
これは理屈ではなく、心理的な問題です。
あなた方の会社に全てを奪われた人が全てを取り戻すために作った宝物を、あなた方の会社の利益のために差し出せと言われて良い気がするでしょうか。
今まであなた方の国がしてきたことを見てきて『そんなつもりはない』という言葉を素直に信用出来るでしょうか。
あなた方の夢も、なぜあの発動機が必要なのかも理解しているつもりです。
ですが、あなた方が信用に足ると判断できなければ紹介することは出来ません」
「では、どうしたら信用していただけるのでしょうか?」
食い下がるヴィクトリアにリーシャは短く一言、「時間をいただければ」と言った。
「出会って数日の人間の一体何が分かりましょう。時間です。時間をください」
「……かしこまりました」
渋々、いや、見るからに残念そうな表情を浮かべるヴィクトリアを見て、リーシャは内心がっかりしていた。
(まさか、素直に教えてもらえると思っていたのか?)
懇意にしている皇帝の妹だからと、皇帝肝いりの飛行船事業だから大丈夫だろうと高をくくっていたのだろうか。
博物館見学で仲良くなったから教えてくれるだろうと甘い考えをしていたのだろうか。
舐めている。その一言に尽きる。
(自分たちがオリバーさんたちにしたことを考えれば良い返事が返ってくるはずもないことなど分かるだろうに。
やっぱりウィナー公船会社は傲慢だなぁ)
ヴィクトリアが嫌いなわけではない。
だが、やはり弱者につけ入って全てを巻き上げるようなやりが気にかかる。
おいそれと発動機を渡す訳には行かないと、そう考えてしまうほどに。
「では、今日のところはこれで」
話し合いを終え、応接室を出たところで一人の男とすれ違った。
目の下に濃いクマのある、痩せた背の高い男性だ。
(体調悪そうだけど大丈夫かな)
思わずリーシャが心配してしまうほど、頬はこけ顔色は悪く、心なしか体が揺れているようなふらふらとした歩き方をしていた。
「今の方は?」
「資材調達を担当しているベルクマンです。いわゆる燕の子ですわ」
(燕の子。先代皇帝が囲っていた妃の愛人の子)
そこまで考えてふとあることが思い浮かぶ。
「先代皇帝の側妃と第二子以下の子供は皆妃の母国へ返されたのではなかったのですか?」
「能のある者は特別に召し上げられたのです。ベルクマンはいくつか言語を話すことができ、大学でも優秀な成績を残していたので外国との交渉役として残されたと聞いています」
「では、ウィリアムも?」
「どうでしょう。陛下に泣きついたとも言われていますが」
「……なるほど。ところであのベルクマン氏、大分体調が悪そうでしたがなにか持病でもお持ちなのですか?」
「いえ。ただ、最近よく眠れないそうで」
「不眠症ですか?」
「ええ。医者にかかるよう言ったのですが、本人が行きたがらないもので困っているのです」
ゆっくりと揺れながら去っていく後ろ姿を見てヴィクトリアは小さくため息をついた。




