ヴィクトリア・バーバラ
ゴルドーの中心部、背の高い石造りの建物が並ぶ一等地にひときわ目立つ獅子のエンブレムが輝いている。
偉大なる帝国が誇る飛行船事業、その根幹を担う「ウィナー公船会社」の本社だ。
この日、リーシャとオスカーはヴィクトリア・バーバラに招かれてウィナー公船会社を訪れていた。
実質的なイオニア使者であるオスカーに「まずは会社のことをよく知ってもらいたい」というヴィクトリアの計らいによるものである。
「本日はよくぞお越しくださいました。改めて歓迎致しますわ」
応接室に通されたリーシャとオスカーは早速ヴィクトリアの歓待を受けた。
この前のようなドレスではなく落ち着いた色味のスーツを身にまとったヴィクトリアは二人に深々と頭を下げる。
これが彼女の仕事姿のようだ。
「お招き頂き感謝する」
「オスカー様には是非一度、その目で我が社を見て頂きたいと思っていましたので。ご一考頂く際の参考になりましたら幸いです」
ヴィクトリアが言っているのはもちろんイオニアの飛行船事業への支援の話だ。
イオニアが返答に迷っているのは分かっている。
はっきりと否定されていない以上まだ機はあると踏んでのことだった。
「そういえば、以前社長をされていたウィリアム・ウィナー氏はどうなさったのですか?」
ここぞとばかりにリーシャは姿を消した前社長、ウィリアムの話題を切り出す。
冠の国でのレースに敗北し実兄であるヴィクトールに泣きついたことまでは知っているがその先の消息は不明だ。
気がつけばウィリアムの代わりにヴィクトリアが社長に就任していた。
「お恥ずかしながら、行方知れずなのです」
「え?」
「失態を犯した罰として社長の任を解かれ、冠の国の鉱山で働くよう命じられたのですが、いつの間にか姿を消してしまったようで」
「鉱山でというと、責任者か何かですか?」
「いえ、鉱夫です」
(皇帝の実弟が鉱夫?)
リーシャとオスカーは思わず顔を見合わせた。
「まさか、始末した訳ではあるまいな」
「そんなことはいたしません!」
「本当か? 落盤事故や過労での病死。鉱夫として働いているうちに……というのはいかにも皇帝が好みそうなものだが」
「陛下がどのようなつもりで彼を鉱山へ送ったのかは私には考えが及びませんが、ともかくそのようなことが起こる前に、ウィリアムは忽然と姿を消したのです」
「ということは、自ら脱走したと」
「私はそう考えております。つらい仕事が嫌になって逃げ出したのだと」
(あり得ない話ではないけど)
ぼんやりとウィリアム・ウィナーの顔を思い浮かべる。
皇帝の弟という立場に甘んじたプライドの高そうな男だった。
皇帝肝いりの飛行船会社の社長から鉱山の鉱夫だなんてあの男には到底耐えられないだろう。
人目を盗んで脱走してもおかしくはない。
「しかしまだ見つかっていないとなると、一体どこへ行ってしまったんでしょうね」
「さあ。一応付近の捜索をしたのですが発見できず、陛下は一言『放っておけ』と」
「そうですか」
(初めて会った時にも感じたけど、ヴィクトールはウィリアムに興味がなさそうなんだよね)
冠の国から偉大なる帝国に連れてこられ、ヴィクトールと初めて対面した時から感じていた。
ヴィクトールはウィリアムを信用していない。
ウィリアムが皇帝のために意気込んで立てた作戦も、ヴィクトールにとっては「どちらでもよいこと」であったと彼自身が語っていたくらいだ。
ウィリアムの作戦が成功しようと失敗しようとどうでもいい。
「はなから計算のうちには入れていない」とヴィクトールはリーシャに語っていた。
兄弟という繋がりはウィリアムが考えていたほど強いものではなかったのだ。
(だからウィリアムが生きていようが死んでいようが、皇帝にはどうでもよいことなんだろうな)
ウィリアムの心情を思うとなんとも言えないものがある。
「そういう訳で私が後任を任されたのです」
「そうだったんですね」
「どうぞこちらへ。我が社の歴史をご紹介します」
ヴィクトリアは二人を応接室に飾ってある写真の前に二人を案内した。
「我が社は陛下が即位されてから作られた新しい会社です。本社はここ、ゴルドー。そして飛行船の建造、修理は冠の国にある造船所で行っています。
はじめは小さな事業所のみでしたが現在は冠の国随一の、いえ、唯一の造船会社となっております」
「唯一の、ですか?」
「はい。冠の国にある造船会社は全て我が社の傘下になりましたので」
「それは相手の同意があってのことか?」
「もちろんですわ」
オスカーの少し意地の悪い質問にヴィクトリアは即答する。
「それまでよりも良い給与、良い待遇を約束し、皆さんの同意を得た上で傘下に入っていただきました。
決して無理矢理土地や家屋を取り上げるような真似はしておりません」
(どうだかな)
魔法教会の例がある。
口ではそう言いつつもそうなるように仕向けたのではないかという疑念が沸いてくる。
「ですが全ての造船所となるとかなりの大所帯なのでは?
彼ら全てを養うのも大変でしょう」
「確かに人件費はかかります。ですが、それ以上に飛行船の需要は増えておりますから」
「儲かっているんだな」
「今や我が国の主要産業です。航路の拡大によって旅客需要も増え、新しく始めた郵便事業も今のところ順調に進んでいますから。
硬式飛行船の建造が主ですが、小型の軟式飛行船や半硬式飛行船もまだまだ現役です。
小回りが利いて狭い土地にも着陸出来るので山岳地帯や僻地なる村々には大型のものより小型のものの方が向いているんです。
そうした村に飛行場建設の支援をして航路を開き、郵便や旅客事業で利益をあげる。それが我が社の戦略ですわ」
「なるほど。飛行場整備にかかる資金も長い目で見たら十分回収できると」
「ええ。そういう僻地に郵便を届けるのには時間がかかるでしょう?
組合から請け負う航空便とは別に、僻地への郵便配達業務も請け負うことにしたんです」
「というと?」
「特別料金のかかる高速便ではなく、手紙を集荷して大きな町の郵便局と村の郵便局を行き来する一般的な郵便業務を格安で請け負っているのです。
あくまでも中継地への集荷が主なので特に手紙が早く届くという訳ではないのですが、人の足だと一日に位置往復が限界なところ二回、三回と集荷出来るので効率が良いと評判なんです」
「そんなことまでやっているんですね」
「収納箱を設置すれば荷物の運搬も出来ますし、足のない場所への公共事業のようなものですわ。
ですから高価な価格ではなく安価で、村や町との提携という形で行っているんです」
「だが、採算は採れているのか?」
「郵便配達業務に関しては正直薄利です。
ギルドが無いような僻地では高い料金を払って航空便を使うような方はほぼいらっしゃいませんし、日常的な郵便配達業務が主ですから。
ですが航路の拡大と、なにより我が社の宣伝になるでしょう?」
そう言ってヴィクトリアは額縁に入った大きなポスターに目をやる。
『あなたの手紙をどこまでも』
青空を背景に飛ぶ軟式飛行船の絵に手書きの文字でそんな宣伝文句が踊る特大ポスターだ。
『ウィナー郵政公社』
ポスターの下には大きな文字でそう書かれていた。
「飛行船ならば山を越え、谷を越え、大きな川だって越えて必要な物資を届けられる。
日用品から食料まで必要な物を必要なときに何度でも。地味ですが大切なことですわ」
「より安全に、より早く手紙や荷物、物資が届く。飛行船に良い印象を持つ方は増えるでしょうね」
「ええ。例え利益が出なくとも知名度が上がり良い印象を与えることが出来る。
そうすればもっと多くの国に飛行船を購入してもらえるかもしれないし、もっと多くの飛行場を作れるかもしれない。
航路が増えれば増えるほど飛行船の発注も修理の需要も増え、航空便の利用も増える。
地域貢献や慈善事業も我が社の大事な事業の一つなのです」
そう言ってヴィクトリアは胸を張った。
(安価で郵便業務を請け負う慈善事業。ヴィクトリアのようにその地域に必要なものを今よりも早く、安全に届けることが出来るのだとしたら需要はますます増えるだろう。
でもそれって飛行船に依存することになるような。
飛行船がなくなれば生活が立ち行かなくなる。偉大なる帝国なしでは生きていけなくなる。
それって健全なことなのだろうか)
手紙も物資も、生活の命綱を他国に手渡すような真似は追々不利益を生むのではないか。そう思えてならない。
今や偉大なる帝国は飛行船事業をとりまとめる主のような存在だ。
どの国の空にも偉大なる帝国、いや冠の国製の飛行船が飛び、偉大なる帝国が支援した飛行場が世界各地に増え続け、偉大なる帝国が出資した航空会社の路線が爆発的に増えていく。
他国も負けじと飛行船の建造を行っているが、技術的にも建造速度も帝国に追いつけない。
今更旅客船事業にも入る隙間がなく、偉大なる帝国の一人勝ち状態となっている。
こうした現状は国を囲む山を越えるために飛行船を生み出した冠の国に早々に目を付けたヴィクトール・ウィナーの慧眼あってのものだった。
やり方はどうであれ現地の造船所を買収し、優秀な技師や設計者を集めて飛行船建造に注力させた。
飛行船レースでオリバーやモニカに敗北すらしたものの、偉大なる帝国が作った飛行船は高性能なものだった。
それをさらに改良し、増産出来るようになったとなれば向かうところ敵なしである。
「なるほど。我が国への支援もその慈善事業とやらの一環という訳か」
オスカーは言う。
「我が国では鉄が打てない。故に冠の国から飛行船を購入することになるだろうし、造船所が作れないから大きな整備や修理は冠の国に発注することになる。
ギルドが出来れば航空便の需要も出てくるし飛行船での荷物のやりとりも増えるだろう。……だがそれは国が開かれればの話だ」
「確かに、失礼ながらイオニアは閉鎖的な国だと伺っております。しかし、飛行船には興味があるのでしょう?
クロスヴェンへ行く際も飛行船を利用したと聞いておりますわ」
「耳がいいのだな」
「職業柄伝手はいくらでもありますから」
(世界の航空網はすでに帝国の影響下にあると)
飛行船の定期航路を開くには上空を通過する国々に許可を得なければならない。慈善事業をするにも同じだ。
ともすると、飛行船が通っている国と偉大なる帝国は友好関係にあると考えて良い。
(そう考えるとかなりの数の国が帝国と手を結んでいることになる)
今や西方を中心にかなりの定期便が就航している。
たかが飛行船だと馬鹿には出来ない。
「正直、魅力的ではある。馬車とは比べものにならないくらい早く移動できるし、その快適性は俺も身を持って実感している。
山も川も海ですら気にせず通行出来るというのも魅力的だ。
そしてなにより、魔道具を使えば遠くの国から生鮮品を大量に輸入出来るようになるのが一番の魅力だ」
「輸送用の収納箱や輸送用の大型保冷庫も開発されていますから、実現するのは難しくありませんわ。
具体的にはどのような品をお望みなのでしょう」
「野菜や果物、それに魚。イオニアでは手には入らない日持ちのしない食材だ。
我が国は未だに保冷庫すら無く、干したり塩漬けにした保存食が主流だからな。
もしも鮮度の良い生鮮品が多く手には入るようになれば今よりもずっと食が豊かになるだろう」
「まぁ、保冷庫が?」
ヴィクトリアは「信じられない」という顔だ。
それもそうだろう。どんな田舎であっても保冷庫はある。
生活必需品と言っても過言ではない、そんな魔道具だからだ。
「でしたらまずは保冷庫を普及させないと。生鮮食品を輸入しても保存が効きませんわ」
「そうなんだが、保冷庫は魔道具だからな」
「なぜ魔法を受け入れないのか理解に苦しみます」
「こればかりはどうにもならんのだ。古い気風を大事にする国だからな」
「でも、こうしてオスカー様が外遊されているということは変わろうとしているのでしょう?
だからクロスヴェンにだって飛行船でいらっしゃったのではないですか?」
「変わろうとしている。だが、そんなに簡単にはいかぬのだ」
生まれたときから魔法がある世界に生まれた者にとって魔法を拒み続ける国があるなど俄には信じがたいことだろう。
生活の中には常に魔法があり、何をするにも魔道具を使う。それが当たり前だからだ。
むしろ魔法がない生活など考えられない。
魔道具を使わずにどう生活しているのか想像できない。
そういう人間が大半だ。
「前途多難ですね」
「ちなみに、魔法を使わない飛行船というものもあるのだろうか」
オスカーの問いにヴィクトリアは意外な答えを返した。
「むしろ、飛行船のほとんどには魔法は使いません」
「ん? そうなのか?」
「魔法というものは長時間使っていられるような代物ではありませんから。
何時間も航行しなければならない飛行船には不向きなんです。
今飛んでいる飛行船のほとんどは昔ながらの蒸気やガソリンで動く飛行船ですわ。
だからこそイオニアの皆様も飛行船を利用出来たのでは?」
(だが、オリバーの飛行船は)
オスカーの脳裏にオリバーの軟式飛行船の姿が浮かぶ。
あの飛行船に搭載していた発動機には「核」が搭載されていた。
一時的に速力を上げる「魔道具」だ。
てっきりどの飛行船にもあのような仕掛けがあるものだとばかり思っていたが、そうではないらしい。




