新たな時代の到来
「ところで、随分とお疲れのようですが何かありました?」
リーシャの言葉にオスカーの目から光が消えた。
重くて辛い話を思い出したのである。
「疲れた」
オスカーは一言そう言うなりベッドへ倒れ込んだ。
意識した途端に疲労がどっと押し寄せてきたのだ。
「とりあえず、最初から話を聞かせてください」
横に腰をかけたリーシャが言うとオスカーは皇帝との会話を思い出しながら一つ一つ話を整理した。
なにせ、話した内容が多すぎる。
汽車に船、それに魔銃。
クーデターに魔法教会、イオニアとの協力関係の話。
「一体どこから話せばよいのか」
オスカーはぽつり、と呟いた。
「最初からです。最初から順を追って話してください」
「……分かった。まず、サンダース卿が見てきたユグランドの話だ。リーシャと一緒に居るときにも言っていただろう。
汽車と船。これを取り入れるべきだとサンダース卿は言っていた。ただ、汽車を敷くには大分金がかかるらしい。
サンダース卿の話だと金貨五億枚以上はかかると」
「五億枚? それはかなりの大金ですね」
「建造日に輸送費、敷設費や人件費、土地の接収に金が要ると言っていたな」
「なるほど」
(一から作る、それも異国から運んでくるとなるとそうなるか)
自国で作るのとは訳が違う。
物価も違えば人件費も違う。船便ともなれば日数もかかるし、軌条を敷くのにも土地が居る。
全く新しい物を始めるにはとにかく金が要るのだ。
「で、そのお金を彼はどう工面するつもりなんですか?」
「おそらく、化粧品や薬草の輸出だろう」
「ということは、薬草や香草の栽培に本腰を入れると」
「多分な。一過性や思い付きの物ではない。フロリアから販路を奪うつもりだ」
(おっかないな)
偉大なる帝国はフロリア公国よりも広大な大地を持っている。
もしも偉大なる帝国が本格的に薬草栽培を始めればあっという間にフロリア公国の生産量を上回るだろう。
(大量生産出来るということは、より安く提供出来るということだ。同じ品質のものを多く、安く売り出されてはフロリア公国は太刀打ち出来ない)
いくら娘をダシに販路を広げていたとしてもだ。
相手も商売をしている。
強固な絆やよほどの利がない限り偉大なる帝国産へ切り替える商人も多いのではないだろうか。
(大公女外交は珍しい香草や薬草がフロリア公国の専売だったから成り立っていただけ。
もしもそれらが広く流通するようになれば、娘を押しつけて恩を着せようとするフロリアなんて誰も相手にしないだろうな)
恐ろしいことだった。
そんなことをされては薬草と生花で生計を立てているフロリア公国はひとたまりもない。
ヴィクトール・ウィナーはフロリアの息の根を止めようとしている。
そうとしか思えない。
おそらくきっかけは「姫騎士物語」である。
あれがとどめを刺したのだ。
金に目がくらんでリーシャやヴィクトールを無断利用した本を大公家が直々に出版した。
「そんなことで」と思うかもしれないが、母のこと、リーシャのことで怒りを募らせていたヴィクトールの堪忍袋の緒が切れた。
ただそれだけのことだった。
「お母様の……ラベンダーの復讐なのかもしれませんね」
「ヴィクトールが母の無念を晴らそうとしているということか」
「いえ、それもありますが……ラベンダー自身の。
もしも彼女が稀少な薬草や魅惑の薔薇を国外へ持ち出さなかったらこんなことにはならなかったはずですから」
門外不出の特別な薔薇。それに加えてフロリアが独占している稀少な薬草。
その苗をこっそりと、誰にも知られないうちに偉大なる帝国へ持ち込んだ。
(趣味なんかじゃない。執念だ)
ラベンダーは温室で草花を育てるのが好きだったとヴィクトールは言った。
最初はそれが「趣味」だったのだろうと思っていたが、話を聞いていくうちに印象が変わった。
ラベンダーはいつかこうなることを知っていたのではないか。
そのためにずっと、温室の中で薬草や薔薇の世話をし続けていたのではないかと。
「大公家に見捨てられ、嫁いだ相手に捨てられ、一体どんな気持ちで花に水をやっていたのかなと。
決して国外に持ち出してはいけないそれを、一体どんな気持ちで増やし、維持し続けていたのかなと思ったんです。
いつかこうなることが分かっていて、そのために温室を維持し続けていたのだとしたら凄まじい執念だと思いませんか?」
「ヴィクトールはそのことを分かっていてこんなことをしたと」
「彼はお母様を愛していますから。一番近くで見ていたんです。分かるでしょうね」
ヴィクトールがラベンダーの遺志を継ぎ、それが巡り巡ってフロリア公国を滅ぼすのだとしたら、もはやそれは因果としか言い様がない。
ラベンダーだけではない。
フロリアに使い潰された女たちの執念。
それが今、結実しただけの話だ。
「あの国は恨みを集めすぎたんです」
ラベンダー然り、リリー然り、娘たちにしてきたことが返ってきているだけだ。
「たとえ窮地に陥っても、助けてくれる国なんて少ないでしょうね」
リーシャは冷たく言い放った。
「あとはどんな話を?」
「新しい武器を見せられた。ルビーを使った鉄の銃……と言っても、ただの銃ではない。
魔法を撃ち出す新しい武器だ」
「魔法を? もしかしてあれですか?」
あれ、というのは冠の国で見た飛行船に積まれた大砲のことである。
「あれは失敗作らしい。見た目は普通の鉄の銃だったが、魔力を込めた弾を撃ち出して遠隔地に魔法を直接撃ち込むんだとか」
「……へぇ。なかなか面白そうなものを作っていますね」
リーシャは俄に色めき立った。
そういう新しい発想の魔法には興味がある。
「なんでも、遠距離魔法が届かない場所に魔法を撃ち込むことが出来るそうだ」
「本当ですか? それ」
「そう言っていたぞ」
「……」
(それが本当だとしたら画期的な発明だ)
魔法が届く距離には制限があるとされている。
一般的には魔法師が視認出来る範囲。
魔法とは魔法師の知識に依存する。つまり魔法師が見えていない場所で魔法を使うことは出来ない。
例えリーシャであっても覆すことの出来ない法則だとされていた。
もしも目の届かない場所まで魔法を撃ち込むことが出来たら。
とてつもなく遠い場所から安全にかつ一方的に魔法を撃ち込むことが出来たら。
(魔法師の時代は終わりかもしれない)
騎士の時代が終わり、魔法師の時代が終わり、新しい時代がやってくる。
そう思えてならない。
「そんなに凄いことなのか? 俺は魔法には疎いから実の所どれだけ革新的な技術なのか分からんのだ」
「凄い、というよりは時代の一頁を書き換えるような……そんな技術だと思います」
「それほどか」
「ええ。魔法師は銃に勝り、銃は騎士に勝り、騎士は魔法師に勝る。そんな言葉を聞いたことはありますか?」
「ヴィクトールが言っていたな。銃は魔法が普及してから使われなくなったと」
「ですが、それは古い時代の話です」
「というと?」
「なぜ鉄の銃が魔法師に負けるのか考えたことはありますか?」
「奴の話を聞きかじっただけだが、鉄の銃は遠距離用の武器だが命中精度も当たりにくかったと。
だから攻撃を当てる前に魔法師に倒されてしまうことが多く、魔法の普及に伴い姿を消していった。
違うか?」
「その通りです。ですがそれは昔の話。今はどうでしょう。百年以上も経っているのですからさすがに命中精度もあがっているでしょうし射抜くことのできる距離も伸びているはず。
以前偉大なる帝国の兵士が提げていた鉄の銃を思い出してください。
あれは近距離用の銃ですよ。
もしも視界の範囲外から近距離で狙撃されたら防御魔法も役には立たないでしょう。
魔法師は騎士に弱い。近距離からの攻撃には打たれ弱いんです」
「つまり、技術改良によりただでさえ魔法師に強くなっているのに、それを上回る性能になってしまったということか」
「はい。遠距離からの狙撃ならば発砲音で気付くこともできるかもしれませんが、防音魔法を使われたらどうしようもありまんし。
ということで、もしもその銃が完成した暁には我々魔法師は杖を銃に持ち替えなければならなくなるかもしれないのです」
歴史の転換点と言った所か。
もちろん、すべての魔法師がそうなるとは限らない。
魔銃の量産によって偉大なる帝国は圧倒的優位な立場に立てるし、魔銃の技術を安易に供与するようなことはしないだろう。
だが、いつまでも独占することは不可能だ。
魔銃の存在が外に知られればそれを模倣しようとする国が出てくるだろうし、その結果もっと優れた魔銃が生まれるかもしれない。
宝石を弾丸の核に使用する為金がなければ作れないが、金に余裕のある国や是が非でも国防力を高めたいと思っている国は躊躇をしないだろう。
そうなると、もはや流れを止める術はない。
用途によって杖と銃とを使い分ける。
そんな時代が来るかもしれない。
「魔法師は古い物を好みます。時代に追いつけなくなる魔法師も多いでしょうね」
未だに「古い言葉」が良しとされる職業だ。
銃で魔法を使うなどと受け入れられない者も多く出るだろう。
「リーシャはどう思う?」
「使えるものならば使ってみたいですよ」
「そういうものか」
「別に戦にだけ使うような代物でもないでしょう。他にもいろいろと使い道はありそうですし、そういうのを探るのも面白そうだと思いませんか?」
(リーシャはそういう人間だった)
魔法への好奇心。
未知の魔道具というものはやはり心引かれるものらしい。




