魔法教会の追放
「そういうお前はどうなんだ。神を信じるのか?」
浪漫主義だと言って笑ったヴィクトールにオスカーは半ばやけくそ気味に問いかける。
「神などいないよ」
一瞬、皇帝の顔から笑みが消えた。
神などいない。
少し低い、普段と変わらない落ち着いた声色で言う。
その横でごくり、とマイケルが唾をのんだ。
「あいにく私は神や宗教を信仰しない質でね。我が国にも国教とされる信仰があったが、彼らとの付き合いも一切やめたんだ」
「それはまた……大胆だな」
「魔法教会。君も聞いたことがあるだろう?」
(魔法教会とは、あの?)
オスカーの脳裏に聖女ミレニアの顔が思い浮かぶ。
あの偽物聖女の顔だ。
「偉大なる帝国が魔法教会の影響下にあったとは知らなかったな」
「ほんの百年ほど前、聖女の血筋だという美しい娘を嫁がせることを条件に教会を受け入れたんだ。馬鹿らしい話だろう」
「女に目が眩んだか」
「ああ。我が国の皇帝らしい醜態だろう」
ヴィクトールは自嘲気味に笑った。
「どうせ聖女の血筋というのは嘘で、適当に見繕った美しい娘をあてがったのだろう。
皇帝自身、聖女の血筋かどうかはどうでも良かったのだと思う。
それ以来魔法教会は我が国のあちこちに支部を作って好き放題していた訳だ」
「というと?」
「粗悪な魔道具や聖都で作られたという装飾品を高く売りつけたり、聖女の名の下に他の神を信仰する者達を迫害したり、あげくの果てに政治にまで口を出してくるようになったんだ。
彼らの面倒な所は聖女を過度に信仰していることだ。
我が国は多民族国家だ。
良くも悪くも様々な文化、風習、信仰が根付いている。
それらを全て捨てて聖女を信仰せよと、聖女こそが唯一の神であると過激な思想を振りまく者達もいて、国民は彼らの横暴さに辟易していた」
「そんな状況でなぜ皇帝は魔法教会を放置していたんだ?」
「興味がないからだよ」
興味がない。
その一言に全てが詰まっていた。
「皇帝は女を物色するのに忙しい。政治には興味がなかったし、それ以上に民に関心を示さなかった。
国の運営は臣下に任せきりで、多く娶った妃の外戚たちが我が物顔で宮殿内を歩き回っている。
それが当たり前だったんだ。
だから魔法教会が国内で何をしようと興味がなかった。
むしろ信者の中から選りすぐりの美女を寄越す素晴らしい相手だとすら思っていたかもしれない」
「腐っている」
他国の皇帝に対して使うには失礼極まりない言葉かもしれないが、その一言に尽きる。
民に心を寄せず皇帝たる責務を投げだし女に溺れる。
「お前に王たる資格はない」と怒鳴りつけてやりたくなるくらいだ。
「魔法教会とはそのような組織だったのか。
いや、俺の国にも何度か説法をしに来たのだが、国に入れずに追い返していたのだ」
「それが正解ですよ」
マイケルが口を挟む。
「我が国に蔓延っていた魔法教会の連中はいわゆる『過激派』と呼ばれる連中で、教会内部でも目の届かない厄介者なのです」
「過激派? そういえば星療協会でもそんな話を聞いたような」
「ああ、ご存じでしたか。聖都ソレイユから遠く離れた辺境の地では教会本部の目が行き届かなくなり、教会の名を盾に好き勝手する輩が多いのです。
我が国は彼らの活動範囲の東端に位置しておりますし、星療教会は西端に位置しています。
そういう素行の悪い連中が集まりやすい立地なのですよ」
「そうだったのか」
聖女信仰を掲げた他宗教の排斥。
星療協会ともそれが原因で折り合いが悪く、星療が大陸東部へ進出できない要因であると聞いた。
(確かに多民族国家とは折り合いが悪そうだな)
多くの民族が暮らしているということは、それだけ数多くの信仰があるということ。
偉大なる帝国のような多民族国家では揉め事の種となろう。
「まぁ、彼らを追い出せたのは最近のことだけどね」
「陛下が皇帝になられてようやく、ですな」
「だが、一体どうやって追い出したんだ。言葉で言ってどうにかなるような相手ではないだろう」
「もちろん。だから力づくで追い出したんだ」
「力づく……つまり、武力行使をしたということか?」
「立ち退いて貰っただけだよ」
そう言ってヴィクトールは珈琲を一口飲んだ。
「ああいう相手には舐められてはいけない。彼らは私たちを下に見ているからね。
でも今は違う。私たちの方が上の立場なのだと分からせる必要がある。
今まで通りには行かないと理解して貰わねばならない」
「……なにをしたんだ?」
「教会を更地にした」
極めて単純な、しかし効果的な方法だ。
「もちろんいきなりという訳ではないよ。何度も説明をし、説得をし、改善を要求し、話し合いを求めた。
何通も何通も文書を送ったけれど、彼らはそれを撥ねつけたんだ。
立ち退きの日も事前に通告をしたし、立ち退き料として前金だって払って彼らはそれを受け取った。
正式な手続きを踏んだ、何の問題もない行為さ」
「結論から言うと、奴らは我々を舐めていたのです。
魔法教会には手を出せまいと」
「皇帝に就任してすぐ、彼らは私に女を差し出した。確かに父ならばすぐに手を出したであろう、若くて美しい娘だ。
そうすれば私も教会を懇意にするだろうと思っていたんだろうね。舐められたものだ」
「その女はどうしたんだ?」
「顔も見ずに送り返したよ」
「対応した官吏によると女はひどく憤慨していたと聞きます。その後教会から苦情の文が届いたとか」
「皇帝に直接苦情を言うとは」
皇帝に意見を出来る立場であると思っていたのか、女を袖にしたことに対する苦情を文に認めて皇帝に届けさせたらしい。
魔法教会と親密な関係にある大臣から手渡されたため皇帝直々に目を通したが、あまりに高圧的な文章に呆れてそのまま焼却炉へ放り込んだのだった。
「で、教会を更地にされた魔法教会の者達は大人しく国を出て行ったのか?」
「逆に聞くが、出て行くと思うか?」
「無理だろうな」
「正解だ。彼らは関係の深い大臣や有力貴族に泣きついて私を批難した。彼らに言わせると私は横柄な暴君なのだそうだ」
「後ろ盾が居るのは面倒だな」
「まぁ、その後ろ盾も今や跡形もないのですが」
「というと?」
「離宮の廃止ですよ」
「……ああ、そうか!」
オスカーの頭の中で今まで聞いた話が全て繋がり、一種の快感を覚えた。
先代皇帝の側妃には宮殿内で権力を持っている貴族の娘も多く含まれていた。
ヴィクトールは離宮を廃止することによってそこに住まう妃と外戚のみならず、その外戚にしがみついている蚤までも一掃したのだ。
「先代皇帝の下で働いていた者は一度全員解雇し、能のある者やまともな者だけ再雇用したんだ。
宮殿内で行われていた仕事も省庁を作ってそこに振り分けたし、ある程度私の目が行き届くようになっている。
税金だってきっちり取り立てるようになったし、横暴な振る舞いをすれば取り締まりもする。
彼らも今までのように勝手な振る舞いは出来なくなった訳だ」
「それで、居心地が悪くなって出て行ったと」
「それがそうでもないのです。恐るべき執念とでも申しましょうか、そんな状態になっても僅かばかりの信者はおりましたし、信仰を拒絶されて逆に燃え上がってしまったようで」
「逆境は聖女が与えた試練なのだそうだ」
「そこまで行くと逆に感心してしまうよ」とヴィクトールは言う。
「最後はこともあろうに宮殿に火をつけようとして捕縛され、処刑されました。それを機に魔法教会は国外追放処分となったのです」
「なんと。暗殺未遂ということか?」
「聖女の信仰を理解しない皇帝に天罰が下るとかなんとか。でもそんな事態にならないと国外追放処分は下せないんだ。
一応誰にでも自由に神を崇める権利はあるからね」
「陛下に手を、いや、人を殺めようとした時点で彼らは宗教者ではなく危険分子に成り下がっていた訳ですからなぁ」
(驚いた。ここまで信仰の自由が保障されているとは)
正直に言えば、魔法教会を排斥する理由などいくらでも作れる。
ヴィクトールは皇帝だ。何か適当な理由を付けて国から追いだしてしまえばいいだけだし、それを実現できる権力も持っている。
しかし、彼はそれをしなかった。
その理由が、「誰にでも自由に神を崇める権利がある」、つまり信仰の自由にあるというのだ。
オスカーはその事実に驚愕した。
ヴィクトールは敬虔な信徒でも信仰者でもない。
そんな彼が他者の信心を尊重し、自国に害をなす魔法教会にさえ配慮をしている。
それほどまでに「神を信仰する権利」を侵すことは悪であると考えているようだ。
(だが、本当にそれだけか?)
本当に「信仰の自由」だけが理由なのか?
オスカーにはそれがどうも引っかかった。
ヴィクトールは口がうまい。
他者に「そうだ」と信じさせる才能がある。
本当にそれだけなのか。この話には何か裏があるのではないか?
彼の本心は別の所にあるのではないか?
そう思えてならない。
「納得していないような顔だね」
そんなオスカーの心の内を見透かしたようにヴィクトールは言った。
「それはお前の本心か?」
「ん?」
「信仰心を尊ぶ姿勢は素晴らしい。だが、冠の国を攻め立てるようなお前がそんな綺麗な理由で我慢をしたとは思えない。何か理由があるのではないか?」
「ふむ」
「ルビーの鉱床があるから」と冠の国に攻め行ったヴィクトールが魔法教会を強制的に追い出さなかった訳が別にあるのではないか。
オスカーの問いかけにヴィクトールは「そういうものだよ」と答えた。
「どんなものにも建前が必要なんだ。自分はあくまでも正式な手続きを踏んで、国民の信仰の自由を尊重している。
相手が罪を犯したからそれに応じた処罰を下し、国外追放という温情をかけた。
それならば国民だって納得してくれる」
「つまり、そうなるようにし向けたと?」
「そういう訳ではないよ。結果的にそうなっただけで、我々は粛々と対応したまでの話だ」
結果的に全てヴィクトールの思うようになっただけ。
(これも持ち前の運の良さというやつか? いや、違う)
確かに運が彼に味方したというのもあるだろう。
だが、それが全てではない。
魔王教会の奢りを利用して自滅するようし向けたのだ。
外部からの批判を受けないよう正規の手続きと段階を経て魔法教会を追いつめたのだ。
自分たちに瑕疵がないことと示すために文書でのやりとりを徹底し、相手が拒絶し続けた証拠を積み重ねた。
金を受け取ったのをいいことに「立ち退き料を受け取ったので承諾を得た」と教会を壊して彼らの居場所を奪い、離宮を廃して彼らの後ろ盾を失脚させた。
取り締まりを強化して僅かな稼ぎも取り上げ、追いつめられた彼らが暴挙を起こすようし向けたのだ。
(皇帝暗殺未遂事件は起こるべくして起こったのだ)
全てを失い追いつめられた「過激派」がなにをするか、それが分からない皇帝ではなかろう。
「オスカー、君は人が良すぎる。世の中というのはこういうものなんだ」
皇帝、ヴィクトール・ウィナーはそれが出来る男だった。
(恐ろしい男だ。とすると、くじで皇帝を射止めたというのは本当の話なのだろうか)
くじを引き、一番最後に残った「当たり」を引いたのがこの男だと聞く。
果たしてそれは本当に偶然だったのだろうか。
先代皇帝の正妻の息子が二人も続けて亡くなったのは本当に偶然だったのだろうか。
そんな疑念が湧いてくる。
「やはり俺には王たる立場は向いていない」
オスカーは息を吐きながら言った。
「お前のようにはなれない」
そう言うと珈琲を一気に飲み干し、皇帝の私室を後にした。




