負の遺産
ゴルドー国立博物館は歴史ある博物館である。
ゴルドーの中心部にある大きな公園の中にあり、いくつかの棟に分かれている。
「我が国は多民族国家であると申し上げたでしょう。ここには妃たちが持ち込んだ宝飾品や装飾品、民族工芸などが収蔵されているんです」
「それは見応えがありそうですね」
「ええ。一日では回りきれないほどに。離宮を廃する際にも随分と収蔵品が増えました。異国の方ならば楽しんでいただけると思いますわ」
(異国の方なら、か)
ここにある収蔵品はいわば「負の遺産」なのだ。
偉大なる帝国が多民族国家たる所以。
国の腐敗政治と衰退の理由が全てここに詰まっている。
ゆえに、ヴィクトリアは収蔵品を見て楽しむことが出来ないのだ。
(そうは言われても、あんな話を聞いた後だとなぁ)
もしも何も事情を知らなかったら様々な文化にまつわる収蔵品を見て楽しめたかもしれない。
しかしさんざん偉大なる帝国の内情を聞いた後だと素直な気持ちで楽しめない。
「今日は宝飾品の展示だけ見て回りましょう。宝飾品だけでも十分見応えはありますから」
リーシャの気持ちを察したのか、ヴィクトリアはリーシャが好みそうな順路を提案してくれた。
なんでも、世界一大きなダイヤモンドを使った宝飾品が展示されているらしい。
「確か、世界一大きなダイヤモンドは偉大なる帝国で産出されたと」
リーシャが食いついたのを見てヴィクトリアはほっとしたような表情を浮かべた。
「ええ。我が国にはダイヤモンドの鉱床がありますから。勿論、今も現役です。
大昔にその鉱山から出た巨大な原石をそのまま杖に仕立てた物がありまして、博物館の目玉として展示しているのです」
「そうだったんですね。知らなかったです」
「きっと喜んでいただけると思いますわ」
宝飾品は博物館の目玉らしく、石造りの最も豪華な展示棟の中にあった。
明かりを落とした暗い室内にガラス張りの展示ケースが並べられ、展示ケース内に設置されたスポットライトが煌びやかな宝石たちを照らしている。
古いものから新しい物まで、年代順に展示されているようだ。
「宝石の輝きと言うものは今も昔も変わりませんわね」
目の前に並ぶ眩いばかりの宝飾品を眺めながらヴィクトリアは言う。
「定期的に展示物の入れ替えを行っているので、私も見たことがない物が多いのです」
「それほど収蔵品が多いということですね」
「はい。勿論、展示物の保護という意味合いもありますけれど、裏の収蔵庫にはここには並べきれないほどの宝飾品が保管されているのです。
財政が困窮していた時代に売却した物もあるようですが、それでも尚多くの宝飾品が収蔵されています」
金を使った装身具や鉱物をビーズ状に加工して編み込んだもの、瑪瑙を使ったカメオや沈み彫りを使用したネックレス。
大きな宝石をふんだんに使った古典的な宝飾品や細かい意匠を取り入れた繊細なティアラ。
一口に「宝飾品」と言っても国や年代ごとにその特色は様々だ。
「このティアラ、素敵ですね」
リーシャはある展示ケースの前で足を止めた。
細身でありながらもダイヤモンドをふんだんに使用した豪華な作りのティアラだ。
繊細な透かし細工を取り入れた花の意匠が特徴的で、「まるで妖精の花冠のようだ」とリーシャは思った。
ダイヤをたくさん使っているにもかかわらず嫌らしさがないのが良い。
(ダイヤも白くて良いものばかり使っている)
どのダイヤモンドも純白でカットも美しい。
この時代には魔工宝石が存在しないのでティアラに使用されているダイヤは天然のダイヤモンドということになる。
基本的にダイヤモンドは白というイメージだが、実際は全てのダイヤモンドが白い訳ではない。
黄色っぽい物や茶色い物など、いわゆる一般的に想像される「白」とは異なる色味のダイヤモンドも多く産出される。
ダイヤモンドは無色透明であるほど「良い」とされるが、実はこのような「色付き」のダイヤモンドの方が採掘量が多いのである。
無色透明で白く見えるダイヤモンドは希少である故に価値があるとされ、茶色みがかった物よりも高値で取引される。
魔工宝石が発明されて以降は人工的に作られたダイヤモンドも流通し、安価な価格で魔工ダイヤモンドを楽しめるようになったが未だに天然ダイヤモンドの人気は高い。
産出量が減っている今、希少価値のある宝石はより一層高い価値を持つようになったのだ。
古い時代の物とはいえ天然物でこの白さ、この美しさ、このカット、この大きさの物を揃えるのは難しい。
相当金と労力がかかっただろうと、そんな無粋な考え方をしてしまう。
「こちらは『乙女の為のティアラ』です」
背後から声がして振り返ると初老の女性が立っていた。
「これは、皇女殿下。失礼いたしました」
近づいて初めてヴィクトリアの存在に気がついたのか、女性は慌てて非礼を詫びる。
「構いません。リーシャ様、こちらはこの博物館で学芸員をなさっているナターシャです。
ナターシャ、こちらは宝石修復師をされているリーシャ様です。陛下のお客様ですので失礼のないように」
「陛下のお客様とはつゆ知らず、申し訳ありません」
「お気になさらないでください。ティアラについて詳しく伺っても?」
「勿論です」
ナターシャはティアラの隣に立つとその来歴について語り始めた。
「こちらのティアラは比較的古い時代の物で、皇帝に嫁いだ正妃、ミーナ様のために作られた物であるとされています。
ミーナ様は北方の国より齢十四で皇帝に嫁がれ、雪のように白い肌に金の髪を持つ愛らしい寵妃だったそうです。
皇帝は年の離れた彼女を大層可愛がり、愛の証として白銀の花冠を贈られた。
それがこのティアラであると伝えられています」
(なんだか乙女小説にありそうな話だな)
雪の精のように愛らしい幼妻を溺愛する皇帝と「白銀の花冠」の話。
少し脚色すれば貴族のご令嬢方にウケそうな気がする。
「当時の皇帝は正妃を溺愛しており、彼女の姿を描いた絵画も多く残されているんですよ」
「我々の父より遡ることずっと昔。古い時代の皇帝はまだまともであったと聞いています」
「まとも?」
「好色家ではないという意味です」
ヴィクトリアの注釈にナターシャは何とも言えない顔をした。
皇族の手前肯定も否定も出来ないといったところか。
「ですので、この頃の宝飾品には皇帝が妻のために作った宝飾品が多いのです。
時代を下るにつれてそれらはだんだんと数を減らし、舶来品ばかり増えていきます」
「皇帝は妻に目をかけなくなったと」
「ええ。そして舶来品の増加が何を表すのか、お分かりですよね?」
「異国から妃を娶るようになった」
「その通りです。我が一族がいつからこのような醜態をさらすようになったのか、ここの収蔵庫を漁れば手に取るように分かるのですよ」
(なるほど)
ヴィクトリアが言った「異国の方ならば楽しめる」と言った理由がよく分かった。
展示物は当時の世相や情勢を反映したものである。
それを見れば身につけていた人物がどんな生活をしていたのか知ることが出来るし、デザインや素材の移り変わりで時代の変化を知ることが出来る。
だからこそヴィクトリアは皇帝一族が堕落していく様を見せつけられているようで嫌なのだろう。
何も知らない異国の人間とは違って一目見ればはっきりと分かってしまうのだから。
「ヴィクトリア様はそう申しますが、これだけ様々な国の宝飾品や装飾品を一度に見られる場所はそうございませんよ」
ナターシャはおそるおそる言った。
「どれも良い宝石を使った一級品でございますし、文化的にも歴史的にも価値のある物ばかりです。
中には大元の国にも残っていないような貴重な品もあるのですよ」
「分かっています。分かっていますけれど」
「皇女殿下の前で失礼を承知で申し上げますが、これも我が国の文化の一つであると……私は思います」
(難しいな)
両者の言い分は理解できる。
「博物館に展示されている宝飾品は好色家の皇帝が招いた腐敗政治を象徴する「恥」である」というヴィクトリアの考え方も、「異国の姫たちによってもたらされた文化や風習も偉大なる帝国の歴史と文化の一部である」というナターシャの考え方も、両方理解出来るのだ。
皇族という立場で歴史の被害者であるヴィクトリアと一国民であり博物館の学芸員であるナターシャ。
確かにヴィクトリアにとっては胸を張って誇れるような品々ではないかもしれないが、ナターシャにとっては人々に知らしめたい貴重な文化財なのだ。
「皇女殿下にとっては負の遺産であるのかもしれません。
しかし我々庶民にとっては違います。
私が生まれた頃には既に我が国は多種多様な文化で溢れておりましたし、私も祖先を辿れば異国の民です。
今や異国の血がその身に流れていない者の方が少ないのではないでしょうか。
その光景が当たり前になってからもう百年以上は経っているでしょう。
百年も経てば、それはもう文化なのです。
様々な国の風習や文化が混ざり合ったもの。それが我が帝国の文化であると、認めてはくださいませんか」
(認めるとか認めないとか、そういう問題ではないんだろうなぁ)
ヴィクトリアの困惑した表情を見てリーシャは思う。
「私にとってのそれは、家族の問題なのです」
ヴィクトリアは言葉を選びながら答えた。
「国の文化とかそういう話ではなく、家庭における不始末の問題。
異国の血を疎んでいる訳ではありません。私とて、母は別の国の人間です。皇帝である兄も、異母兄弟のほとんどがそうです。
ですから、今の帝国の風土を批判している訳ではないことをご承知おきください。
ここに展示されているものは我が一族の私物です。
ですので、それを見ると我が一族の不始末を思い出す。
ただそれだけなのです。
皇帝陛下が心を痛めておられる問題の原因がここにある。
それが心苦しくてならないだけなのです」
「皇帝陛下が心を痛めている問題の原因」。
その言葉を聞いたナターシャははっとした表情を浮かべると慌てて「過ぎた事を申しました。申し訳ございません」と頭を下げた。
ヴィクトリアの言いたいことがようやく伝わったようだ。
「いえ。私も配慮が足りませんでした。学芸員である貴女には失礼な言い方でしたね」
「滅相もない。私の思慮が足りなかったのです。お許しください」
「怒っている訳ではありませんから安心してください。
……リーシャ様、お見苦しいところをお見せして申し訳ございません」
「お気になさらないでください。他の宝飾品も見て回りたいのですが、おすすめの展示品はありますか?」
ナターシャは遠慮がちに「それならばこちらはいかがでしょう」と一本の指輪を示した。




