生涯の友
「分かっているとは思うが、リーシャは俺の婚約者だぞ。婚約の証だってしている」
オスカーはリーシャの左手を掴むとヴィクトールに示して見せた。
「そういえばその指輪、どうしたんだい」
「オスカーから貰いました。『婚約指輪』という物で、婚約の証に男性から女性に贈る物なんだそうです。魔法三国で流行っているんですよ」
「まぁ、素敵」
ヴィクトリアはきらりと目を輝かせる。
「そんな素敵な風習があるなんて知りませんでした。その指輪はもしかして、ブラックオパールですか?
もし宜しければ拝見しても?」
「構いませんよ」
リーシャは指輪を外すとヴィクトリアに手渡した。
大きな中石にダイヤモンドが取り巻いた古典的な指輪だ。
ヴィクトリアは指輪を大層気に入った様子で眺めている。
「良い指輪だね」
横から眺めていたヴィクトールは言う。
「オスカーらしい良い指輪だ」
「リーシャ様らしい、ではなく?」
「うん。どちらかというと彼らしい指輪かな」
漆黒の中に赤や緑、青の遊色が煌めく大きなブラックオパールは「オスカーそのものだ」とヴィクトールは思った。
贈る相手ではなく自分の象徴を相手に贈る。
そういうところがいかにもオスカーらしいと感じたのだ。
「そうだ、婚約おめでとう」
そう言うなりヴィクトールは席を立ち、ズボンのポケットから古びた皮袋を取り出した。
(収納袋だ)
何も入っていないように見えるぺしゃんこの皮袋を見てリーシャはそう直感した。
袋の口を縛っていた紐をほどき、中から木箱を二つ取り出す。
「約束の品だ。受け取ってくれ」
「ということは」
「おばあさまの蒐集物だよ。間違いはないと思うが、念のため確認を」
木箱の蓋を外すと黒に近い深い青色の鉱物標本と透明な薄い桃色の鉱物標本が現れた。
「これは?」
「天藍石とモルガナイトの標本です」
「結晶が大きくて立派な標本だね。大粒で透明度が高く、核としての価値も非常に高いと宝石商も言っていたよ」
「一体どこでこれを? まさかこれも勘ですか?」
ヴィクトールはふっと笑うと首を横に振った。
「そうだよ。……と言いたいところだけど違う。
努力と偶然の賜物だよ。伝手を使って探していたところに偶然情報が舞い込んできたんだ。
あるオークションの目録によく似た標本が二つも出品されているってね」
「オークションですか」
核や宝飾品の加工に向いている高品質な宝石だ。
店先に並べるよりも競りに出した方が高い値が付く。
良くある話しだ。
「おもしろいのはここからさ。そのオークションはいわゆる闇競売で、出所の分からぬ品が多く出品される競りだった。
もちろん、この標本もどこの誰が出品したのかは分からない。……普通ならばね」
「その口振りだと、突き止めたんですか?」
「うん。世の中金があれば何とかなることもある」
つまり、主催者に金を握らせたのだ。
「出品者は質屋だった。質屋といってもまともな質屋じゃない。表には出せない品を安く買い叩くような、そんな質屋だ。
彼に話しを聞いたところ、つい最近ある男から買い取った物だという。
その男というのが汚い身なりをした老人で、随分と金に困っていそうな様子で標本を買い取るよう執拗に迫ってきたんだとか」
「……まさか」
「それが君が探している叔父上なのかは分からない。だが、僅かな可能性があるなら伝えるべきだと思ってね」
汚い身なりをして困窮している老人。
それだけでは彼が蒐集物を盗んで行方を眩ませた叔父かどうかは判断できない。
だが、蒐集物を二つも所持していたという点がどうにも引っかかる。
一つならまだしも、二つだ。
金に困っている老人が二つも、普通に入手しようとすればかなりの金が要る鉱物標本を持っていた。
勿論どこからか盗み出した可能性もある。
その可能性の方が高いとも言える。
けれどリーシャは心の中に引っかかるものを感じていた。
虫の知らせとでも言うのだろうか。
それこそ「勘」のような物が働いている。そんな気がした。
「ちなみに、その老人の身元は?」
「分からない。質屋ははじめ、標本を偽物だと思っていたようだ。
こんなに汚い身なりをしている老人がこんなに高価な物を持っている訳がないと」
「闇とはいえ、質屋はちゃんとした目を持っていた」
「そう。相手は犯罪者がほとんどだ。店主自体が目利きでないと商売にならないだろう。
だから強盗も物盗りも出来なさそうな年老いた男がこんな物を得られる訳がないと思っていたんだ。
だからあり得ないほどの安値で標本を買い叩いた。
老人は言い値で売却したそうだ。
標本の価値と不釣り合いな安値にもかかわらずすんなりと受け入れられたことで、質屋は『よくできたまがい物だろう』と判断した。
しかし、改めて鑑別してみると本物だった訳だ」
「そうやってどこの店にも相手にされなかったから安値で売らざるを得なかったんでしょうね」
リーシャの言葉に「私も同意見だよ」とヴィクトールはうなずく。
「質屋のように見た目や挙動で怪しまれて門前払いを食らうことが多かったんだろう。だから売れる場所で売るしかなかった」
「それほど金に困っているということでしょうね。あれだけ盗んでおいてどうやったら困窮出来るのやら」
呆れて物も言えないとはこのことだ。
あれだけの標本を盗んで売りさばいたとなれば一生金に困らない生活が出来るはずなのに。
(ああ、でももしかして、他の標本もこうやって買い叩かれたのかも)
後ろ暗い品だ。売れる場所は限られている。
出所を追及されてやむなく不本意な値段で売る。
そういうこともあったかもしれない。
(それでも、まだ標本を懐に隠し持っていたなんて意外だ。もうとっくに全て売り払ってしまったとばかり思っていたけど)
案外買い手がつかなくて困っているのかもしれない。
ならばまだ、叔父の手元には標本が残っているのではなかろうか。
「陛下、その男の行方を追うことは出来ませんか?」
「もう既に手は回しているよ。これもリーシャの頼みごとのひとつだろう?」
「はい。お礼は必ず。そうだ、今回の標本にかかったお代もお支払いします。いくらですか?」
「いや、構わないよ。婚約祝いだと思ってくれ」
「しかし」
「いいから」
収納鞄から金貨を取り出そうとするリーシャをヴィクトールは制止した。
「本当に、婚約おめでとう」
「……ありがとうございます」
(この人が心から笑っているの、初めて見たな)
嘘でも方便でもない。これは心からの祝福だ。
皇帝であろうとする演技ではなく、友の幸福を心から祝っている。そう感じた。
(ヴィクトールはいつも演技をしていた。考えていることを悟られないように、どこか勘違いさせるような立ち振る舞いを好んでいた。
直球な言い方を好まず、相手に察してもらえるようなくどい言い回しばかりだったし、そうやって人を動かすのに長けた人だった)
けれど、今は違う。
彼は本心からリーシャを祝っているのだ。
灰色に紫が混じったまっすぐな瞳を見れば分かる。
(不思議だ)
不思議と、それが嬉しかった。
「今、ようやく貴方と友人になれたような気がします」
「ん? ということは、今まで友人だと思っていたのは私だけだったということかな?」
「まぁ、そうですね。貴方は皇帝で、私はただの宝石修復師ですから」
不本意そうなヴィクトールにリーシャは「ですが」と付け加える。
「ようやく貴方のことが分かった気がするのです。ヴィクトール・ウィナーという人が」
「出来れば偉大なる帝国の皇帝ではなく、一人の男として見て貰いたいものだね」
「一人の友人として、でしょう? ヴィクター」
そう言ってニヤリと笑うリーシャをヴィクトールとヴィクトリアは驚愕の表情で見つめた。
こうしてリーシャは一人の得難き生涯の友を得たのであった。




