帝国の内情
話がまとまったところで夕飯の準備が整ったとの知らせが届いた。
「私的な食事会だから服装は気負わなくて良い」と皇帝からの伝言が添えられている。
(私的な食事会)
とはいえ、場所は迎賓館の晩餐室だ。
街に出歩くような格好で行くわけには行くまい。
夜会に行くような派手なドレスではなく、それなりに見栄えのする小綺麗なイブニングドレスを選んだ。
「すまないね、仕事が立て込んでしまって」
「いえ、お構いなく。というより、宜しかったのですか?
お時間をちょうだいしてしまって」
「構わないよ。ロウチェにも食事はちゃんと取るようしかられてしまってね」
晩餐室へ赴くと既にヴィクトールが到着していた。
隣には長い金髪を縦に巻いた碧眼の女性が立っている。
「紹介しよう。彼女はヴィクトリア・バーバラ。私の異母妹で今はウィナー公船会社を任せている」
金髪の女性――ヴィクトリアは一礼するとはきはきとした声で挨拶をした。
「お初にお目にかかります。ウィナー公船会社の社長をしておりますヴィクトリア・バーバラと申します。
リーシャ様、オスカー様、お会いできて光栄です」
年は十代後半か二十代前半だろうか。随分と若く見える。
飾り気の少ないシンプルな青いドレスが良く似合う可愛らしい女性だ。
「初めまして。リーシャ・ルドベルトと申します。こちらこそお会いできて光栄です」
「イオニアのオスカーだ。宜しく」
互いに握手を交わした後、四人は各の席に着き会食が始まった。
金で縁取られた白磁の皿に何種類かの前菜が盛られた物が運ばれてくる。
生ハムとクリームチーズ、キャビア乗った鮭のピンチョスに小さな羊の串焼き、生魚の酢締め。
(いろいろな地域の料理が一皿に載っているような)
どことなく統一感のない盛り合わせにリーシャは違和感を覚えた。
西方の料理と大陸中央部の料理、東方の料理が盛られたアンバランスな一皿に思えたのだ。
「偉大なる帝国は多民族国家でね」
料理を前にしたヴィクトールが口を開く。
「どの料理を我が国の料理と定めて良いものか、難しいんだよ。一見バラバラのように見えるけれど、これが我が国の姿。そう思って欲しい」
(他民族国家)
言われてみればその片鱗はあった。
ヴィクトールもロウチェもヴィクトリアも、同じ父を持ちながら肌や髪の色、瞳の色が異なる。
ヴィクトールの異父弟であるウィリアムもそうだ。
あまり気にしたことがなかったが、そこにこそ偉大なる帝国が多民族国家たる理由があるのだろう。
「もしかして、先帝の影響ですか?」
「それもあるけれど、昔からそういう気風だったんだ」
「というと」
「父が特に酷かっただけで、元々我が一族は一夫多妻を重んじる家系でね。
自国だけにとどまらず、周辺各国から女性を迎え入れることが多かったんだ。
その際に親戚一同が一緒に移り住んだり、妃を頼ってやってきたりしてどんどん移民が増えて行ったんだよ」
「その結果、我が国の政治は外戚や異国の影響を強く受けるようになりました。
父の代になってからは特にその傾向が顕著で、離宮を拠点に村や町のような物を作る輩が出る始末に」
ヴィクトリアはため息混じりに語る。
「私の母も陛下のお母様も異国の民ですし他の兄弟姉妹も同じような有様ですから、本来の帝国国民などもはやこの国には存在しないのかもしれません」
「移民の国、ということですか」
「ええ。父だって同じようなものです。祖母も他国の人間でしたから」
(複雑な国なんだな)
ヴィクトールが離宮を廃すと聞いたとき、リーシャは意外に思った。
この世を去ったラベンダーの居室を大事に遺すほど愛着を持っていたはずなのに、離宮を廃して彼女の持ち物も処分しようとしていたからだ。
だが、今の話を聞いて納得した。
ヴィクトールは離宮を廃さざるを得ないのだ。
離宮は嫁いできた娘に先代皇帝が与えた償いの品だ。
他の女に気移りし通わなくなる事への贖罪。
故にそこで側女が愛人を作ろうと何をしようと、皇帝は受け入れ、許していた。
そのせいで離宮は側妃の権力を利用しようとする外戚や愛人の巣窟となっていたのだ。
「ようやく分かりました。陛下が離宮を廃した訳が」
「離宮は国を蝕む病巣のようなものだ。あのままにしておく訳にはいかなかったんだ」
(他の者に処分させる手前、自分の離宮だけ残して置くわけにはいかなかったのだろう)
本当はウィナー宮を廃したくなどなかったはずだ。
ヴィクトールの内心を思うと心が痛む。
「陛下は皇帝に就任されてすぐ、離宮の廃止を宣言されました。その衝撃はすさまじく、我々兄弟姉妹の中からでさえ陛下を口汚く罵る者が出たほどです」
「実家を取り上げられるようなものだろう。反発されても仕方あるまい」
「ええ、おっしゃるとおりですわ。離宮の廃止とともにそこで生活をしていた妃やその子息にも国に帰るよう命じたのですから」
「横暴にも思えるのですが、実際抵抗されたりしなかったんですか?」
ヴィクトリアとヴィクトールは顔を見合わせた。
やはりそう簡単には行かなかったようだ。
「うまく行くわけがない。すんなりと行ったら逆に驚いてしまうね」
そう言ってヴィクトールは苦笑する。
「先代皇帝の血を引くとされている長子には選択権を与えたんだ。母について祖国へ帰るか、この国に残るかのニ択だ。
だが、妃と愛妾との間にできた子供は原則妃の祖国へ返すことになった。
妃の数があまりに多かったし、妾との間に出来た私生児も数え切れないほどいたんだ。
さらに妃の親戚を自称する親族や得体の知れない人々。
これらを国民から得た血税で養うのは道理を外れていると思わないか」
「それはそうだが」
「彼らは抵抗したよ。今更国に帰ってどうなるとか、大切な娘を差し出したのだから最後まで面倒を見ろだとか、そんな主張を並べ立てて離宮に居座ろうとした。
勿論、そんな輩ばかりではなく有能で国に尽くす覚悟のあるものだっている。
そういう庶子はしかるべき場所で働けるよう手配はするが、大半はそうではなかった。
だから先代皇帝の不始末の詫びという形で金を握らせて国からいなくなってもらったんだ」
「かなりの出費でしたが、この国の未来のためならば仕方ありません」
「金を渡すだけで全ての人間が納得するとは到底思えんが……」
金と言っても金額はたかがしれている。
はした金をもらうよりも妃を奉じて今と同じ生活を続けたい。
そう考える者も少なくはなかったのではないか。
「確かに、それでもしつこく離宮に留まろうとする者や離宮の取り壊しを妨害しようとする者もいた。
申し訳ないが彼らには消えてもらうほか無かった」
「随分とはっきりおっしゃるのですね」
「取り繕っても仕方ないだろう。これも私の仕事だからね」
そう言うヴィクトールの表情は驚く程穏やかだった。
(汚れ仕事も覚悟の上だと)
全て自分の責任で、自分の意志決定で行っている。
覚悟を決めた男の目だ。
「妃たちを通じて国政に入り込んでいる者たちも多く、我が国の内情は腐りきっていた。
我が国を食い物にするために異国からどんどんうら若き娘が送り込まれてくる。
その娘たちを通じて自国の利益になるように政治に口を出したり国内で好き勝手に商売をしたりする。
その負の連鎖を止めるには一度全てを更地に戻すしかなかった。
誰に恨まれようと構わない。我が国は我が国の力で国を守り、発展させていく。
そう世に知らしめる必要があったんだ」
「……なるほど」
ヴィクトールは押し切ったのだ。
先代皇帝の臣下たちにいくら反対されようと、離宮を失った妃、子息や子女に恨まれようと構わないと。
自分の意志をもって国を平らかにし、一から立て直すという意志を貫き通した。
それが出来る男だった。
「私たちは皆、母は違えど父を同じくする兄弟です」
ヴィクトリアは言う。
「陛下からお話があった際、我々は二つに分かれました。
陛下を糾弾し離れて行く者と陛下に賛同し志を共にする者。
前者は宮殿を出ていきましたが、後者は宮殿に残り陛下のために働くことになったのです。
皇族としてではなく、陛下の臣下の一人として。
国を支える一人として陛下を支える。
私たちはそう誓いました。
離宮を廃され帰る場所はなくなり母は母国へ帰りましたが、私の祖国はこの偉大なる帝国です。
他の者たちも皆同じ気持ちでしょう。
今は仲違いをしている場合ではないのです。
梯子を外された外戚たちからつつかれ、他国との関係も微妙なものになりつつあります。
国の膿を出しきり、自分たちで自国を守り養っていけるようにならなければならない。
一致団結して国を豊かなものにしていかねばならぬ時なのです」
(なんか想像と違ったな)
偉大なる帝国は既に繁栄しきった、成熟した国なのだと思っていたが実状は違うらしい。
まだ発展途上の、それどころか一番大変な局面を迎えているようだ。
「想像と違ったという顔をしているね」
ヴィクトールはリーシャの面を食らったような顔を見て笑う。
「すみません。偉大なる帝国はもっと、完成された国だと思っていたので意外でした」
「外から見たらそう見えるだろうね。そう見せているんだよ。弱く見られないためにね」
「陛下の振る舞いもそのためですか?」
リーシャの問いにヴィクトールはきょとんとした。
想定外の質問だったらしい。
「そう見えるかい?」
「働いている陛下のお姿を拝見して、なんとなく。あちらが素なのかなと」
今までの仰々しい礼服姿も様になっていたが、簡素な装いで庁舎に住み込んでいるヴィクトールの姿の方が身近に感じた。
「私はこちらの方が好きです」
ぽろりとリーシャの口からそんな本音が漏れる。
オスカーは思わずヴィクトールの方を見た。
ヴィクトールは一瞬目を見開いたかと思うと嬉しそうに静かに瞬きをする。
その姿を見てオスカーは確信した。
(この男が抱いているのは友愛や親愛などではない)
リーシャを愛おしげに見つめる瞳はもはや誤魔化せるものではない。
いや、誤魔化そうという気はないのかもしれない。
(リーシャの言うとおり、今の彼こそが本当のヴィクトールなのかもしれない)
祖国の親しい間柄の者にのみ見せる皇帝の素顔。
それを今、オスカーは垣間見ている。
いつも見ているような取り繕った姿ではなく、本心をさらけ出した本当の姿。
そんな彼がリーシャに向けた眼差し。
それが本心なのだとしたら――。
(親愛など嘘ではないか! この大嘘付きめ!)
オスカーは心の中でヴィクトールを詰った。
顔にこそ出さなかったが、楽しそうに話す二人を見て心中穏やかではない。
(リーシャもリーシャだ。好きなどと……例え社交辞令であってもだ!)
当然、そういう意味ではないということは分かっている。
肩肘張らない素の姿の方が良い。それだけのことだ。
けれど受け取る側は違う。
好いている女にそんなことを言われたら舞い上がるに決まっている。
ヴィクトールの嬉しそうな顔を見ていれば一目瞭然だ。




