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夜の薔薇

「リーシャはあの本を読んだかい?」

「あの本というと……『騎士姫物語』のことでしょうか」

「うん。フロリア公国が出版している、あの本だ」


 騎士姫物語。

 クロスヴェンでシルヴィアに見せられたフロリア公国「謹製」の乙女小説だ。

 リーシャとオスカー、そしてヴィクトールを無許可でモデルにした恋愛小説で、大公家が直々に出版して売り捌いている代物らしい。

 読む人が読めば誰を元にしているかすぐに分かる非常に()()()小説だった。


「実は、あれについて苦情を送ったんだよ」

「どうでした?」

「私やリーシャをモデルにはしていない。()()()()()()()()()()()なので問題ないと」

「呆れた」


(まぁ、そう言うと思ったけど)


 怒られて謝るような性格をしていたらそもそもあんな小説を書いたりしない。

 想定の範囲内だ。


「そういう回答が戻ってくるのは分かっていた。そういう国だからね。

 だから私も考えたんだ。そういうつもりがないというのなら、隣に香水店が建っても問題なかろうと」

「そういうつもりはないからですか?」

「ああ。そういうつもりはなくたまたま、同じような業種の店が近くにあっただけでわざとあの立地を選んだのではないと。

 仕方がないだろう。そういうつもりはないんだから」

「……全く、子供じゃないんだから」


 まるで子供同士の張り合いだ。

 呆れて物も言えぬ様子のリーシャにヴィクトールは楽しそうにニヤリと笑った。


「ちょうど母の温室で薬草を育てていたからね。ウィナー宮を潰して薬草園にしたんだ。

 そこを起点に薬草の苗を作って、大々的に薬草栽培を始めたんだよ」

「その薬草を使って化粧品づくりを?」

「化粧品だけじゃない。ゆくゆくは薬草や香草自体の輸出も始める予定さ」

「ふぅん」


(嫌らしい人だ。国土の広さを考えたらフロリアは偉大なる帝国に太刀打ちできないだろうに)


 つまり、フロリアの薬草権益を丸ごと掻っ攫おうという目論見らしい。

 フロリア公国は小国だ。

 狭い国土に作った農地のほとんどを薬草や生花づくりに特化させてはいるが、その生産量には限りがある。

 だからこそフロリア産の薬草は希少性が高く、優先的に輸入するために大公所外交を受け入れる国が多いのだ。

 フロリアでしか手に入らない希少な香草や薬草も多く、その権益が他の国に脅かされることはないと誰もが思っていた。

 しかし、もしもその希少種を偉大なる帝国が輸出するようになったら?


「あの薔薇」

「なんのことだい?」


 リーシャが言うとヴィクトールはとぼけたような表情をした。


「とぼけないでください。『魅惑の薔薇(チャーム・ローゼス)』のことですよ。

 私の知人が言っていました。あの香水にはフロリアでしか採れないはずの『魅惑の薔薇』が使われていると」

「それは少し違う」

「というと?」

「『夜の紫(ナイト・パープル)』に使用しているのは『夜の薔薇(ナイト・ローゼス)』という全く新しい品種だからね」

「品種改良を施した……ということでしょうか」

「ご名答。ご推察の通り、元となっているのは『魅惑の薔薇』だけど厳密には全く違う品種なんだ。

 母が帝国に嫁ぐ際にいくつか種を持ち込んでいてね。その中の一つだったんだよ。

 長年温室で育てて増やしていたようで、それを元にもっと良い香りのする薔薇を作ったんだ」

「それが『夜の薔薇』だと」

「ああ」


 クロスヴェンの「明星の箱庭」音楽監督の娘、ナタリアの話によれば、「魅惑の薔薇を盗まれた」とフロリア公国に批判された偉大なる帝国は「我が国で育てた我が国独自の品種である」と反論したという。

 ヴィクトールの言うことが本当ならば、確かにその理論はまかり通るが……。


「嫌がらせにもほどがある」


 ため息をつくリーシャにヴィクトールは窘めるように言った。


「事前に忠告はしたんだよ。それでも懲りないようだから、少し躾が必要だと思ってね」

「忠告?」

「失礼、こちらの話だ。気にしないでくれ」

「……」


(おっかないことを言ったんだろうなぁ)


 澄まし顔のヴィクトールを眺めながらリーシャはそんなことを考えた。

 忠告。というよりは脅しだろう。

 そんな脅しを受けていたにも関わらず、フロリア大公家はあんな本を発行し、販売し、ヴィクトールからの問い合わせに対して誠意の対応をした。

 虎の尾を踏むとはこのことだ。


「クロスヴェンで化粧品店を開くに当たって、リリーを通して領主に口添えしてもらったんだ。

 もちろん、領主は難色を示した。フロリア公国の香水店のはす向かいに同業の店を開くなんて……ってね。

 仲介したのが打ち捨てた女の娘なのも災いして警戒されてしまったんだ」

「それはそうでしょう」

「だからこちらも手土産を持って行った」

「あちらにうまみがある話でも?」

「ああ。飛行場の整備を買って出たんだ」

「飛行場?」


(そういえば、クロスヴェン近郊には大きな飛行場があったな)


 町のほど近くに大きな飛行場があり、シルヴィアやマリーもその飛行場を利用してクロスヴェンへやってきたと聞いている。

 まさかその飛行場を作ったのが偉大なる帝国だとは意外だった。


「クロスヴェンは大都市であり、年に一度開かれる演劇祭を見るために毎年多くの客が訪れている。飛行場を作ればより多くの集客が見込めるし、他都市との行き来も楽になるだろう。

 だから是非、我が国に整備を手伝わせてほしいと申し出たんだ」

「そう言って、実のところは飛行船事業の支配圏を広げたいだけなのでは?」

「それもある」


 リーシャが投げかけた疑問をヴィクトールは潔く認めた。


「飛行船を利用した旅客事業や貨物、郵便事業。それらで利益をあげるにはもっと多くの土地に飛行場を作り、利用者を増やさなければならない。

 もっと飛行船を身近に、気軽に使えるようにならなければならない」

「うちへの融資もその一環か?」


 横やりを入れたオスカーにヴィクトールは「そうだとも言えるし、そうではないとも言える」と返した。


「イオニアの場合は特別だ。勿論、事業を拡大したいからという理由もある。どんなに小さな国でも顧客は顧客だ。

 イオニアの場合は需要があると見込んだんだよ。

 イオニアはこれから開かれた国になる。

 そうなれば発展していくために人や物が必要になる。

 飛行船があれば人も物も今以上に運べるようになるだろう。

 けれど、それだけじゃない。

 あの国はいずれリーシャが帰る国だから、リーシャが帰る時までに少なくとも他国にひけを取らない程度には発展してもらわないと困るんだ」


 その言葉にオスカーははっとした表情を浮かべた。


「リーシャのためだと?」

「そうだ。オスカー、君は君の母上と同じような苦労をリーシャに強いるつもりなのか?」

「……!」


(母上と同じ苦労を、リーシャに?)


 「魔法がある国」から「魔法がない国」に嫁いだローザの苦労は理解したつもりだ。

 リーシャ自身も「魔法がある国」の出身故、オスカー以上にローザの苦労を分かっているだろう。

 それを知った上で「リーシャは自分とともにイオニアに帰ってくれる」とオスカーは何一つ疑うことなく信じていた。

 イオニアに魔法が受け入れられるのには時間がかかる。

 たとえ帰るまでに魔法が浸透していなくても、反対派が残っていて不安定な情勢でも、イオニアを良くするために手を取り合って国のために努力してくれるだろうと考えていたのだ。

 それが「リーシャに苦労を強いること」であると指摘されたのは青天の霹靂だった。

 母親と同じ苦労を強いる。

 その言葉はあまりにも強い言葉だった。


「私は別に、苦労を強いられているとは思っていません」


 リーシャは言う。


「全てを承知の上で婚約しましたし、例えイオニアに戻った時に魔法がない暮らしを強いられたとしてもそれを恨むようなことはないでしょう」

「そうは思えないな」


 ヴィクトールは間髪入れずに切り返す。


「リーシャは魔法を愛している。仕事にも誇りを持っているし、自分が思っている以上に魔法に愛着を持っている。

 そんな人間が魔法を取り上げられて不自由を感じない訳がない。

 それに、魔法だけの話じゃない。

 魔法抜きにしてもイオニアの生活は周りの国よりずっと遅れている。

 迅速な魔法の導入は難しいとしても、少なくともそれ以外の部分、生活水準や文化水準を上げる必要があると思う」

「……」


(正直、反論できない)


 イオニアには街頭がない。

 多くの都市部で使われているガス灯ではなく、未だに篝火を焚いて明かりをとっているからだ。

 水がないので水洗式の便所も作れないし、平民の家のほとんどは上下水道も整備されていない。

 風呂もないし保冷庫もなく、貨幣もギルド通貨ではなく独自の物を使っている。

 魔法は抜きにして、外の世界で生まれ暮らしてきたリーシャにそのような生活を強いるのか。

 ヴィクトールが言っているのはそういう事だ。


「反論できないか」


 図星を突かれたオスカーは口の端をぐっと噛んだ。

 外の世界を経験したからこそ、ヴィクトールの言っていることはよく分かる。


「姉上たちは偉大なる帝国からの話を警戒していた。あまりにも上手すぎるはなしだと」

「そう思われても仕方ないだろうね。でも、安心してほしい。裏があるわけでも利用しようとしている訳でもないんだ」

「先ほどの話を聞くとそうとも思えないんだが」

「ああ、心配させてしまったかな。すまない」


 ヴィクトールは悪戯っぽく笑うと少し考えた後にこう言った。


「ではこうしよう。私のリーシャに対する想いを信じてほしい」


 オスカーはおもむろに顔をしかめた。

 リーシャに対する想い。

 そんな言葉を婚約者の前で堂々と口にするとは。


「それは友愛という意味だと捉えて良いのだろうか」

「親愛だと受け取ってもらって構わない」


(親愛。本当に?)


 どうも嘘くさくてならない。

 親愛。

 この男がリーシャに抱く感情が「親愛」の二文字で片づくものだとは到底思えないからだ。

 もっとどろどろとした、恋慕に似た執着――。いや、恋慕そのものなのではないかとオスカーは疑っていた。

 その疑念を見透かしてか、ヴィクトールはうっすらと笑みを浮かべる。


(この余裕ぶった態度がどうも気に食わん)


 上から目線。いや、自分が優位に立っていると思っているような、そんな堂々とした立ち振る舞い。

 それがなんとも気に障る。

 だが、ヴィクトール・ウィナーとはそういう男だ。

 出会ったときからそういう男だったのだ。


「……分かった。信じよう」


 オスカーは短く二言、呟いた。

 ヴィクトールが抱いている感情が何であれ、彼がリーシャを裏切る事はないと分かっているからだ。

 リーシャへの想いに誓う。

 それはおそらく、神に誓うのに等しい行為なのだから。


「信じてもらえて良かったよ。ご家族へはオスカーから説明しておいてくれ。詳しい話は――そうだ、二人に紹介したい人物がいてね」

「紹介? どなたですか?」

「ヴィクトリア・バーバラ。私の異母妹だよ」

「確かウィナー公船会社の社長になられた」

「ああ。若いけど優秀な女性でね。飛行船事業を一手に任せているんだ。今日の夕食時に紹介しよう」


(やはりウィリアムはクビになったのか)


 ウィナー公船会社の社長が交代になったのは本当の話らしい。

 冠の国で世話になったウィリアムがどうなったのか気になるところだが、なんとなく聞けない雰囲気だったので聞くのをやめた。

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