看板女優の出自
「『明星の箱庭』の看板女優、リリー・フロウンダースを知っているかい?」
「ラーヘンデル公社の宣伝に使っている方ですよね?」
「ああ。彼女は私の……いや、私とオスカーの縁者でね」
「ということは、やはりフロリア大公家の関係者なのか?」
「ご名答。やっぱり気づいていたか」
「いや、リーシャがそんな話をしていて。まさかとは思っていたが」
リリー・フロウンダース。
クロスヴェンの老舗劇場「明星の箱庭」の看板女優だ。
特徴的な赤い髪、そして「リリー」という名前。
ヴィクトールの擁する「ラーヘンデル公社」の宣伝を担っていることからリーシャはフロリア大公家と関わりがあるのではないかと推測していたが、どうやら正解だったようだ。
「彼女の母はフロリア大公家の出でね。リリーは領主の私生児なんだよ」
(側室の子、ではなく私生児)
それだけでリリーとその母親がどのような扱いを受けていたか察しがつく。
「フロリア公国から出た大公家の娘がどのような扱いを受けるか。リーシャも良く知っているだろう。
フロリアの薬草を優先的に得る権利。それを約束する代わりに、領主はフロリア公国から大公家の娘を娶らねばならなかった。
大公家と縁のある土地へ優先的に薬草を流す。それがフロリア公国のやり方だったから。
リリーの母は大公家の傍流にあたる家の出で、フロリアでの扱いもあまり良くはなかったようだ。
領主にとって彼女はフロリアとの繋がりを得るための道具であり、愛する妻でも妾でもなかった。
フロリアとの交易が始まって少し経った頃、手酷く扱われた挙げ句城の外に打ち捨てられたらしい」
「そんなことをして大公家から何か言われたりしないのか?
曲がりなりにも大公家の血筋を引く者なのだろう?」
ヴィクトールはオスカーを一瞥するとふっと笑った。
「彼らにとって娘は交易を広げるための道具だ。交易がつつがなく続けば嫁いだ娘が国を出た後どうなろうとどうでもいいんだよ。
大公家を出た娘の様子を伺う文一つ寄越さない。娘の生死すら知ろうとしない。そんな連中さ。
安否確認の連絡すらない。そんな状態だからこそ、嫁ぎ先も娘の扱いがぞんざいになる。
どう扱おうが相手からは文句一つ言われないし、むしろお好きにどうぞという状態だからね」
「……」
「それが普通なんだよ。誰もが君の母上のように幸運を掴めた訳ではないんだ」
オスカーは反論しようとしたが踏みとどまった。
反論する言葉が見つからなかったからだ。
(確かに母上は幸運だったかもしれない。だが……)
その幸運であった母でさえも、その身のうちに怨念とも言える情念を秘めている。
クロスヴェンでの晩餐でそのことがよく分かった。
あんなに幸せそうに見えた母でさえも身のうちに積もるものがあるのだとしたら、そうでなかった者の恨み辛みはいかばかりだろう。
それを思うとヴィクトールやリリーにかける言葉が見つからない。
彼らの母がどのような屈辱を受けたのか、オスカーには想像も出来ないからだ。
「それで、その方はどうなったんですか?」
「すんでのところでとある酒場の主人に拾われて、そこで暮らすようになったらしい。けれど、その時には既に彼女は身重の体だった」
「リリーを身ごもっていたと」
「ああ。赤子の父親について宿屋の主人は何も聞かなかったそうだ。道ばたに倒れていたのだから何か訳があるのだろうと思ったのだろうね。
母親は自分と同じ真っ赤な髪を持って生まれてきた娘に『リリー』という名を授け、酒場の主人の子として育てることにした。
そして酒場の主人の妻となり、酒場で働きながら娘を育てることを決心したんだ」
「でも、それでめでたしめでたし、という訳には行かなかったんでしょう?」
もしも物語がそこで終わっていたのならば、ヴィクトールが「リリー」と出会うことはなかっただろう。
リリーとヴィクトールを繋ぐ「フロリア大公家」の血。
彼女がただの「酒場の娘」であったのならば、その繋がりに気づくこともなかったはずだ。
「リリーはごく普通の町娘として育った。
演劇の都であるクロスヴェンの酒場には日々様々な舞台俳優が訪れる。
彼らの話を聞くうちに、彼女自身も演劇の道を志すようになった。ごく自然ななりゆきだ。
母譲りの美貌にクロスヴェンでは珍しい真っ赤で目立つ髪の色。女優としての素養は十分だったのだろうね。
小さな劇団の端役から初めてあっという間に『明星の箱庭』の専属俳優にまで駆け上がり、ついには大きな舞台の主演を勤めることになった。
そして彼女は出会ってしまったんだ。公演を見るために劇場を訪れた、本当の父親と――」
リリーはその時までただの町娘だった。
新進気鋭の新人女優。
話題となっていた彼女の公演を見るために劇場を訪れた、領主の顔を見るまでは――。
母親と同じ赤い髪に青い瞳。
主演を飾った新人女優を見た領主は畏れおののいた。
差し出された手を震える手で握り返す。
リリーは青い顔をしてぶるぶると震える領主を見てなにか直感めいた物を感じた。
「同じ瞳だ、と思ったそうだ」
自分と同じ瞳の色をしている。リリーはそう思った。
幼い頃から不思議だった。
母とも父とも違う、青い瞳。
澄んだ水底のような色が嫌いだった訳ではないが、家族の誰とも違う瞳の色に違和感があった。
どうして家族と瞳の色が違うのだろう。
なんとなく母親には聞けずにいたが、領主の顔を見た瞬間ピンと来たのだ。
「家に帰ったリリーは母親を問いつめた。
なぜ自分は家族と違う色の瞳を持っているのか。なぜ領主と瞳の色が同じなのか。
なぜ領主は自分を見てあんなにも怯えたような顔をしたのか。
問いつめられた母親はついにリリーに白状したそうだ。 自分はフロリア公国の大公家の娘で、お前の本当の父親はあの領主なのだと」
母親の口からは堰を切ったように「呪詛」のような言葉が溢れ出した。
今まで誰にも言えなかったからだろうか。長年胸に秘めて煮詰まった泥のようなものが一気に溢れてきたようだったと後にリリーは語った。
「そのとき初めてリリーは全てを知ったんだ。そして思ったそうだ。あの時の領主の顔は、仕返しをされるのを畏れた卑怯者の顔だと」
領主はリリーの母親が死んだと思い込んでいた。
領主には妻がおり、子がいた。
妻は妾を持つことを嫌ったため、リリーの母親を側女にすることが出来なかったのだ。
しかしフロリアから薬草を融通してもらうには娘を娶らねばならない。
考えあぐねた領主は娘を娶るという体で引き取った後に道具として扱い、使い物にならなくなり持て余すようになると城の外に打ち捨てたのだ。
まさかあの状態で生きているとは領主も思うまい。
それほど酷い有様だったと、酒場の店主――リリーの育ての父親はリリーに語った。
そしてまさか、その腹に子を宿していたとは――。
領主にとっては青天の霹靂だっただろう。
「領主が彼女の母についてどのようにフロリアに説明したのかは分からない。
まぁ、今もフロリアとの交易が続いているのを見ると難の咎めも無かったんだろうね。
だから領主にとって彼女の母を打ち捨てたことは完全に無かったことになっていたのだろう。
そんな時に目の前にリリーが現れた。
一目で自分の子だと分かっただろうね。あの娘と同じ髪色に、自分と同じ瞳の色をしていたんだから」
「さぞ恐ろしかったでしょうね。復讐をされるかも、と」
「ああ。だが、リリーは何もしなかった」
リリーの母は復讐を望まなかった。
酒場の女将が性に合っていたのか、昔よりもずっと充実した毎日を送っていて幸せだったからだ。
だからリリーは領主に一矢報いてやろうなどとは考えなかった。
今の生活を壊すことになりかねないからだ。
「リリーと母親は平穏な生活を守ることを選んだんだ。
領主のことは忘れて、家族三人平和に暮らす。それだけで十分だと思っていた。
でも、領主は違った。いつかリリーに復讐されるのではないかと怯え、それを回避するためにリリーに接触するようになったんだ」
「接触?」
「たとえば会食や夜会に誘ったり、贈り物をしたり。新人だった彼女を推薦して隣国の大きな劇場で主演をやらせたこともあった。
過去の負い目からか、父親らしいことをしようとしたんだろうね。
自分は恨まれているかもしれない。その恨みを少しでも和らげようと、リリーに過剰な接待をするようになった」
「それはまた極端ですね」
「それほどまでに彼女は領主にとって恐ろしい存在だったんだ」
「ということは、領主は自分が彼女の母親に何をしたのか自覚していたと」
それほどの負い目を感じることをしたと、理解していたということだ。
「私がリリーと出会ったのはほんの少し前のことだった。
リーシャと出会った後だから、本当に最近のことだ。
ある貴族の夜会にお邪魔した時に、偶然彼女もそこに参加していたんだよ。
赤い髪に『リリー』と言う名前でピンと来た。もしかしたらフロリア大公家の関係者なんじゃないかってね」
ヴィクトールが出自を明かすとリリーは酷く驚いた。
遠縁とはいえ、「偉大なる帝国」の皇帝と血が繋がっているとは思わなかったからだ。
話をするうちに、二人の間には妙な連帯感のような物が生まれた。
互いの母親が似たような境遇だったからか、互いに年が近かったからかは分からない。
ただ、「フロリア公国」という国に対する嫌悪感を共有出来る友を見つけた。そんな感覚を抱いた。
「彼女は自らがクロスヴェンを統べる領主の血を引いていることを打ち明けてくれた。
そのことを聞いた時に思ったんだ。それならば彼女を通じて領主に取り入ることが出来ると」
(話の雲行きが怪しくなってきた)
ヴィクトールの話を聞いていたリーシャの顔が曇る。
なんだか面倒な話になりそうだからだ。
「それってもしかして、あの香水店の話をしてます?」
「うん、そうだよ」
「私が聞いていい話ですか?」
事前に確認するのは大事なことだ。
出来るだけ面倒事には巻き込まれたくない。
「構わないよ」
ヴィクトールは小さくため息をつくロウチェをチラリと見るとそう答えた。




