ヤオの嘘
「お世話になりました」
屋敷の大門の前でリーシャはヤオに頭を下げる。
朝餉はヤオ手作りの粥だった。
これまた薄味の、しかしながら優しい風味のする旨い粥だ。
家翁と共に朝食をとったあと、改めて翡翠と一晩の宿の礼を言いウォルタへ戻ることとなった。
「ここからの戻り方は分かりますか?」
「木の目印を頼りに行けば良いんですよね?」
「不安でしたら抜け穴の入り口までお送りしますよ」
「では、お願いします」
スラムへ続く抜け穴へは木に刻まれた目印を頼りにするほかない。
山深く、ウオルタ川に続く崖もあり危険と判断したリーシャはヤオに案内を頼むことにした。
「つかぬことをお伺いしますが」
道中、先をいくヤオにリーシャは語りかける。
「あの屋敷の本当の主人はヤオさんなのではありませんか?」
ヤオはぴたりと足を止めると表情一つ変えぬまま振り返った。
「どうしてそう思われるのですか?」
「最初に違和感を覚えたのは服装です。屋敷を訪れた際、あなたは侍従にしては華美な装いをしていました。
上質な布で誂えた侍女には似つかわしくない華美な服に派手な化粧。
とても普通の侍従とは思えず、家には翁と二人きり。
年の差を考えると、失礼ですが愛妾かなにかかと思ったのですが……」
「違うと」
「はい。次に気になったのは部屋についている小窓です。
展示室の入り口横、食堂の壁、翁の私室、どこにも小さな飾り窓がありました。
外の景色を見るわけでもなく、廊下に繋がっているだけの小さな窓。
あれは外に待機している貴女のための窓ですよね。
翁が声をかければ貴女はすぐに現れた。
つまり、ヤオさんは外からずっと会話を聞いていたんです」
「なぜ、そんなことをする必要があるのでしょう」
「それについては翁がおっしゃっていた通り、私がどんな人物か、翡翠を分け与えるにふさわしい人物かを探るためでは?」
「……」
ヤオはリーシャの目をじっと見据えると「それだけですか?」と問いかけた。
「いえ、実はそうじゃないかと思った理由は別にあるのです。
昨夜、離れで貴女が話した『古い翡翠』の話。
あれはどう考えても翡翠の持ち主の言葉でした。
主の翡翠を想う言葉ではなく、翡翠を明け渡した持ち主の言葉。
それで思ったんです。もしかしてどの翡翠を渡すかという裁量は貴女に委ねられているのではないかと」
「あれを持ってきてください」
シャオはヤオに翡翠を持ってくるよう命じたとき、そう言った。
あれ。
つまり、翁は一言も「ロウカンをもってこい」と言っていないのである。
「あれ」が何を指しているのか、リーシャには分からなかった。
ただ話の流れから「翡翠」だろうと思っただけだ。
当然、シャオとヤオの間では「あれ」が何であるか通じ合っていて、二人の間で定められた何かを取りに行くように命じたのだとばかり思っていた。
しかし実は、当のシャオでさえ何が運ばれてくるのか知らなかったとしたら。
「あれを持ってきてください」というのはただの符号であって、何を持ってくるのかはヤオが判断していたのだとしたら。
「貴女は私と老翁が話す内容を盗み聞いて私に渡す石を選んだ。つまり、あのロウカンの所有権は貴女にある、とそう思ったのです」
「私がただ、家翁に石の管理を任されただけの管理人だという可能性もありますよ」
「もちろん、そうでしょう。でも、やはり離れでのあの言葉。あの言葉を聞くとどうしても、そうは思えません。
あれは石を愛している人の言葉ですから」
ヤオはしばらく沈黙していたが、「やれやれ」と言ったように頬に手を当てて首を傾げた。
「失敗でした。あの子が先触れも無しにやってくるから。いつもはもっと地味な格好で出迎えておりましたのに」
「それでは、やはり」
「ええ。あの屋敷を継いだのは私です。彼は私が雇っている好事家。親戚は信用なりませんから」
そう言ってふっと笑う。
「つまり、すべて芝居だったというのか?」
思わずオスカーが口を挟むと「そういう訳ではありません」とヤオは答えた。
「彼は私が商売をしていたときの客で、根っからの翡翠愛好家なのです。ですので、翡翠の知識や翡翠に対する情は嘘偽りない本物です。
ただ、少々おいたが過ぎましてお尋ね者になってしまったので、匿うついでに協力をしていただいていて」
「おいた?」
「贋作づくりを少々」
「贋作? ……もしかして」
眉を顰めるリーシャにヤオは「うふふ」と微笑んだ。
「魔工宝石に関しては素人同然でしたが、まさかあそこまで上達するとは私も思いませんでした。想定外、予想外です」
「詐欺師」
口が回るのも、魔工宝石に対する考え方が軽いのも、そう考えれば納得がいく。
とはいえ、素人状態からあんなに質の高い魔工宝石を作れるようになるとは。
魔工宝石職人として真っ当な職につけば引っ張りだこになりそうだ。詐欺師にしておくにはいささか惜しい。
「だが、なぜそんな回りくどいことをするんだ。直接面会をして判断すればよいものを」
「貴方様は本当に素直なお方なのですね。ですが、世の中貴方様のように良い方ばかりではありませんので。
選別をしているとはいえ、あのように財宝の多い家へ招くのです。
女主人よりも男主人とした方が安全でしょう」
「……うむ」
「それに、人柄というのは外から見た方が分かりやすいですから」
(そういうものか?)
オスカーはいまいち納得がいかないようだ。
人となりを判断するには直接話すのが一番だ。
そう思っているらしい。
「まだお若いでしょうに。なぜこのようなことをなさっているのですか?」
「貴方と家翁が話していた通りです。あの翡翠は私一人にはあまりある物。私が独占しているよりは、心から翡翠を愛している人に渡したい。
そう思っただけ。
正直、お金には困っていませんし、親族の手に渡らないうちにさっさと譲渡先を探したいんです」
「親族の……」
「うちの親族は金にがめつい者が多く、彼らの手に渡ればあっという間に売り払われてしまうでしょうから」
「なるほど。それはさっさと譲渡してしまった方が良いですね」
リーシャは強烈な親近感を覚えた。
祖母の蒐集物を取り巻く環境によく似ているからである。
だが、翡翠の蒐集物はまだ無事である。
親戚の毒牙にかかっているわけではない。
「実は、私も似たような境遇でして、私の場合は叔父に盗まれて全て売り払われてしまったのです。
売られたら最後、取り戻すのにとても苦労するので善は急げですよ」
「まぁ、それはお気の毒に」
「屋敷の防犯も強化した方がよいのでは?
若い女性と老翁では心許ないでしょう」
ヤオはニヤリと笑うと首を横に振った。
「ご心配いりません。ああ見えてもいろいろと対策をしてありますから。屋敷にも、この山にも、ね」
(山にも)
スラムを通らないとたどり着けない抜け穴、山の中にかかれた目印。
ただでさえ非常にわかりにくい場所にあるというのに、その上さらに「対策」が施してあるらしい。
(よほど面倒な親戚がいるみたいだ)
そうまでして遠ざけなければならない理由があるのだろう。
そうしてそれを縁を切るにはいざこざの原因となっている翡翠を手放してしまうのが一番だ。
ただ、石に愛着のない人間に売る気はない。翡翠を愛してくれる人でないと……。
なんとも難儀である。
「さあ、着きましたよ」
目の前にあの抜け穴が見えた。
「送ってくださりありがとうございました」
「いえ。こちらこそ、良いご縁を頂きありがとうございます。どうか道中お気をつけて」
別れの挨拶を交わし、抜け穴に潜り込む。
ここから再び長い横穴を通ってスラムへ入り、ウォルタへ戻らなければならない。
「あの翡翠、どうするんだ?」
穴を進みながらオスカーが尋ねる。
「信用のおける職人に託そうと思います。翡翠の加工は難しいですから」
「完成が楽しみだ」
「ええ、とても」
薄暗い穴蔵を進みながら二人はまだ見ぬ指輪に思いを馳せる。
完成した指輪が手元に届くのはまだ当分先のことだった。
翡翠の村編完結です。
次章は書き終わり次第掲載いたしますのでしばらくお待ちください。




