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ロウカン翡翠

「開けても?」

「もちろん、どうぞ」


 紫色の布を解くと鮮やかな若竹色が目に入った。

 磨かれていない断面を見ただけも底が透けるような透明感であることが分かる。


(原石ではない。何かを加工したあとの端材……だけど)


 すでに加工された、いや、加工をするために石材を切り出した物の余りではあるけれど、それは今まで見たどの翡翠よりも美しい色をしていた。

 原石の端切れではあるが指輪二本くらいならば十分作れる程度の大きさだ。


(あの魔工宝石によく似ている)


 興味を引かれてそろそろと寄ってきたオスカーは思った。

 見た目はオスカーが騙された魔工宝石に似ている。

 だが、あの石よりもずっと存在感がある。

 はっと息をのんでしまうような美しさを感じる。


「これは……」


 リーシャが上手く言葉に出来ずにいると、シャオは「どうぞお持ちください」と言った。


「頂いた翡翠の礼です。指輪二本程度ならば足りるでしょう」

「しかし、私がお渡しした翡翠ではこのような良い物とは」

「私も貴女と同じなのです」


 シャオはリーシャの言葉を遮ると顎髭を撫でた。


「心から翡翠を愛している方に貰われる方が、その石にとっては幸せだと思うのです」

「……!」

「確かにその石は市場に出せば驚くような値が付くでしょう。しかし翡翠をただ商品として扱う者の手に渡るよりも、貴女のような人の元で大切にされる方が石のためだと、そう思うのです。

 愛好家の性、とでも言いましょうか。

 私ももう年ですから、この世から去った後のことを考えねばなりません。

 こうして集めた品々も浄土には持っていけませんから、それならば価値の分かる後進に託したいと思うのが蒐集家――いえ、親心というものです」


(分からなくはない)


 どうせ手放すならば翡翠を心から愛している人に。

 その気持ちは痛いほど分かるし、リーシャ自身そう思って蒐集物をシャオに譲ったのだ。

 だが、それにしてもだ。

 翡翠と翡翠の物々交換とはいえ、ロウカンをタダで人にやるとは常識では考えられない所行だ。

 ましてやこんな、石目やひびがない完全な状態のものを。


「こうして翡翠を他人に託すために、目利きを探していたのですか?」

「やり方がお気に触ったのならば申し訳ない。

 ですが、集めた物を渡す相手は選びたいのです。

 こうして直接話をして人柄を見極め、この人ならばと思った相手に託したい。

 そう思うのはいけないことでしょうか」


(いわば、試金石だった、と)


 そういうことなのだろう。

 その試金石が詐欺に使われていようと、老翁には些末な問題なのだ。

 実際、こうしてリーシャはやってきた。成果は出ている。

 成果が出ている以上、翁にとってその方法は「正しい」ものであるし効率的な方法なのだろう。


(もしも嘘偽り無く『魔工宝石である』と言って売ったとしても、客としてやってくるのは魔工宝石を求める者であって老翁が求めるような好事家ではない。

 あの魔工宝石は本物に限りなく近いものだった。

 露店で売ったとして、それが詐欺に使われてしまえば同じこと)


 だとしたら、目を養った子供が目を付けた相手に売った方が被害は少なくて済む。

 あの少女は観察眼を持っていた。

 相手を見極め、相手に併せた質の石を売る才がある。

 そして老翁が求める人材を見抜く目を持っている。


「あなたが魔工宝石を預けた娘はよい観察眼を持っていました。あれを育てたのはあなたですか?」

「最初だけです。最初だけ、翡翠について教えて後は自分で考えさせる。

 それでよい客を見抜ける者だけ雇い続けているのですよ。

 あの娘はなかなか腕利きでね。貴女で三人目だったか。

 むやみやたらに声をかけるようなのはとっくに放逐しておりますよ。

 あの石とて作るのには金がかかっているのです。

 それをただばらまかせるような真似は、私とてしたくはない」


 金は惜しまないが無駄使いはしたくない。

 仕事をする子供には利益を与えるが、そうでなくただ石をばらまくような輩にくれてやる金はない、ということだ。


(なかなか面倒な御仁だ)


 趣味はいいが、人は悪い。悪趣味だ。


「翡翠の趣味はあうようですが、やはり石を使った詐欺の真似事は好きませんね」

「やはり貴女の伴侶が騙されたから?」

「それもあります」


 リーシャは気まずそうにしているオスカーを一瞥する。


「ですが、あれはオスカーが悪い。さんざん忠告を受けておきながら騙されたオスカーが悪いのです。

 ですがそもそも、どのような理由があれど石を悪事に使うこと事態が好きません。

 貴方が同好の士であるなら尚更、納得がいかないのです」

「ああ、本当に貴女のようなお方と出会えてよかった」


 シャオはそう言って満足そうに頷いた。


「とはいえ、あれは魔工宝石ですからね。石は石でも、本物ではない。どんなに見目が美しくとも所詮は()()()()()()()()です」


 天然物の宝石と人工的に作られた魔工宝石との間には天と地との差がある。

 そう考える人間は割と多い。

 かくいうリーシャとて、魔工宝石が天然宝石と同じくらい価値のある物であると考えているかというと、そうでもない。


 魔工宝石のほとんどは天然宝石を加工する際に出た端材や粉末を精錬して作られたものである。

 精錬されているからこそ不純物がなく、見た目だけで言えば天然宝石よりも美しいものが多いが、希少性や魔道具の核としての資質は天然宝石よりも劣る。

 それは揺るぎようのない事実であるし、リーシャもよく理解はしている。

 だからといって、魔工宝石が宝石ではない、「偽物」として扱われるのは腑に落ちないのだ。


 確かに、魔工宝石は人工物である。

 人工的に作れるからこそ大量生産出来、工業製品や量産型魔道具の「核」として重宝されている。

 近頃は天然宝石の粉末や端材を使わずとも組成物質を錬金術で「合成」して魔工宝石を生み出す技も編み出され、より安定的に生産できるようになった。


 けれども、人工的に大量生産できるとはいえ全く別物を「宝石である」と偽っている訳ではなく、天然宝石と組成成分を同じくした「同一物質」であることには変わりない。

 リーシャ自身も魔工宝石を作る家系に生まれ、魔工宝石を作る術を持っている故に、魔工宝石は宝石ではない、という考え方は受け入れがたかった。

 

「寄せ集めだとしても、魔工宝石は宝石です」


 リーシャは語気を強める。


「魔工宝石に関する考え方が様々なのは承知しております。ですが、魔工宝石だから悪事に利用してもいい、というのは受け入れられません」

「ふむ。それほどまでに魔工宝石に思い入れがあるとは、珍しいお方だ」

「私も魔工宝石を作る人間ですので」

「ほう、それはそれは。最近の修復師は魔工宝石まで嗜んでおられるとは存じ上げませんでした」

「いえ、修復師の仕事とは別に。()()()()()()なんです」


 シャオは「参った」というように頭を掻いた。


「なるほど。そうでしたか」


 そう言って湯飲みを手に取り茶を啜る。


「でしたら不快に感じるのも仕方がない。失礼いたしました」

「いえ」


 「お気になさらず」、とは言わなかった。

 老翁の行っていることが気にくわないのは本当だからだ。

 老翁も心の底から謝っているわけではない。

 自分が悪いことをしているとは思っていないからだ。

 リーシャとシャオは互いにその心の内を見透かしていた。

 だからその場を納めるためだけの方便を使ったのだ。


「さて、そろそろ夜も更けて参りましたのでお開きにしましょうか。

 部屋は離れを使ってください。湯殿も厠もそこにあります。ヤオに準備をさせてありますから」

「お気遣いいただきありがとうございます。お世話になります」


 私室の外で待機していたヤオに連れられ、渡り廊下を渡った先の離れに移動する。

 離れと言っても一部屋しかない小さな物だ。

 訪問客のために作った客間らしい。


「長々と家翁の話に付き合って頂きありがとうございます」


 離れの鍵を開けたヤオが申し訳なさそうに言う。


「いえ、とても有意義な時間でした。翡翠についてこんなにたくさん語ったのは久しぶりで楽しかったです。

 それに、あんなに良いロウカンまで頂いてしまって」

「お気になさらないでください。あれは古い翡翠で、なかなか貰い手がなくこちらとしても有り難かったのです」

「古い翡翠、ですか?」

「あれだけの翡翠ですから、渡す相手が限られてしまって。箱入り娘ならぬ箱入り翡翠と申しましょうか……。

 長い年月をかけて少しずつ切り分けてあの大きさになったんです。

 最後のひとかけらが良い人に巡り会えて良かった」

「……」


 「それでは」と言うとヤオは母屋へ戻っていく。

 ヤオの後ろ姿を見送った後部屋で待つオスカーの元へ戻ると、リーシャは件の翡翠を取り出して眺めた。

 元はもっと大きな塊だったであろう、四角く切り揃えられた翡翠の端材。

 磨けばさぞ美しかろう。


「良い材が手に入って良かったな」


 端材を眺めているリーシャの隣にオスカーが腰を下ろした。


「良かったんですけど、普段使いには過ぎる代物ですよ」

「そうか?」

「ロウカンは翡翠の中の翡翠。見る人が見ればすぐに分かるでしょうし、町中でこんな物を身につけていたら物盗りや賊に目を付けられかねません。

 指輪を仕立てたとしてもここぞと言うときに身につけるに止めておいた方が良いと思います」

「そういうものなのか」

「はい。逆に言えば、どんな場所に身につけていっても恥をかかない逸品であると捉えていただければ」


(リーシャに贈った婚約指輪のようなものか)


 あれもリーシャに恥をかかさぬよう、公の場に身につけていける質の石を選んだ。

 それと同じだ。

 社交の場で身につけていても問題ない、王侯貴族の前で恥をかかない「良い品」だということだ。


「では、普段使いのものはまた別に用意をした方が良いな」

「そうですね。もう少し気軽に使える物を」


 そうはいいつつ、リーシャは嬉しそうに翡翠を撫でている。

 どんな事情であれ、良い石が手に入るのは喜ばしいことだ。


「今日は随分と楽しそうだったな」

「まぁ、翡翠について語り合える機会など早々ないので。

 なんというか、置いてけぼりにしてすみませんでした」


 どうやらオスカーを置き去りにした自覚はあったらしい。

 リーシャはしおらしく、節目がちに謝罪した。


「いや、俺なんぞが会話に入っても邪魔をしてしまうだけだから、その……気にしないでくれ。」

「邪魔だなんて。たとえ翡翠についてあまり知らなくとも、興味を持ってくれるだけで嬉しいですし」

「そういうものか?」

「そういうものです。初心者を沼に引きずり込むのも鉱物蒐集の醍醐味ですから」


(沼)


 聞き慣れない言葉にオスカーは一瞬考えを巡らせた。

 沼。引きずり込む。だいたい意味は想像できる。


「でも、なんとなくオスカーの気持ちも分かります。ロランとオスカーが剣について話している時、私も同じような気持ちになるので」

「なに?」


(ロランと俺が話している時?)


 ロランとの会話といえば、イオニアの剣術や魔法騎士についての話題が主だ。

 熱心な「騎士信者」であるロランはオスカーを捕まえては「本物の騎士」について熱く語り、オスカーはそれに応えながらイオニアの剣術について熱弁を振るう。

 自分の中心にあるもの、イオニアの騎士文化や剣術に熱心なロランと話していて悪い気はしないし、逆にグロリアの魔法騎士文化についての話を聞くのも楽しい。


(思えば、リーシャはいつもそれを端から見ていたな)


 会話に入ることなく、熱く語り合う少年と男をじっと眺めている。それがリーシャだ。


(そうか、そういうことだったのか)


 その理由が今解けた。

 まるで体を雷に打ち抜かれたような衝撃が走る。


「すまん、全く気遣いが出来ていなかった」

「別に気にしていませんよ。

 剣術や騎士のことは分からないので、それこそ私が会話に入っても……と思いますし。横で見ているだけでも楽しいので」

「楽しい?」

「生き生きとしたオスカーの顔を見ているだけで心が和らぐんです」


 そう言うとリーシャは優しく微笑んだ。


「俺も同じだ」


 気恥ずかしさで体がカッと温かくなるのを感じながらオスカーは言う。


「石について話しているリーシャはとても楽しそうだから、遠くから見ているだけでも、俺は」

「ありがとうございます」


 リーシャはオスカーの手の上に自らの手を重ねる。

 そしてオスカーの肩に頭を乗せると体を寄せた。


「でも遠くから見ているだけで、なんて言わないでください。

 オスカーが石に興味を持ってくれて嬉しいんです。

 もっと勉強して、知識を付けて、そのうち一緒に採集しにいきましょう。

 そうすれば一人で買い物も出来るようになりますよ」

「……善処する」


 赤面しながら目を反らすオスカーにリーシャはいたずらっぽい笑みを浮かべる。

 静かな夜に虫の音が響きわたる中、二人の翡翠談義は夜更けまで続いたのだった。

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