翡翠談義
「これが先程お話しした翡翠です」
食事を終えたあと、シャオの私室だという部屋に招かれ翡翠の鑑賞会が始まった。
シャオは大きな蒐集棚の引き出しから木箱を取り出すと、蓋を開けて中にしまわれていた拳大の石片を見せる。
なんの混じりけもない真っ白な翡翠だ。
爆破されたままだという通り、打ち砕かれた荒々しい断面がそのまま残っている。
「ウォルタらしい良い翡翠ですね」
リーシャはその欠片を手に持つと光にかざした。
向こう側にある光がぼんやりと透ける。
透明度が高い良い翡翠だ。
「そうでしょう。ここまで透明度が高い翡翠はなかなか採れません。ウォルタと、あとアルジバラくらいでしょうか。
翡翠の彫刻が有名なオロニスという国をご存じでしょう。
あそこではこの翡翠が発見されるまで軟玉が好まれていたのですが、ウォルタの翡翠が発見されて以降は硬玉を好むようになったのですよ。
それほどまでにウォルタの翡翠には良い翡翠が多いのです」
「硬玉翡翠には何とも言えない魅力がありますからね。
もちろん、軟玉にも軟玉の良さがあるのですが」
「もちろんです。決して軟玉が劣っているという訳ではないのですが、やはり翡翠の輝きは特別です」
二人が息継ぎする暇もなく語り合っているのをオスカーは黙って眺めていた。
(口を挟む隙がない)
隙がないと言うよりも、挟めない。
翡翠が嫌いなわけではない。むしろ、好ましいと思っている。
だが、二人の会話についていけるほどの知識もないし、変に口を挟んでやけどをしたくない。
老翁とリーシャは間違いなく「同種」だった。
互いに話したいことがありすぎて口が止まらないといった様子だ。
(それもそうだ。俺が相手では役不足だろう)
素人であるオスカーが相手では語れる内容も限られている。
リーシャの本領は同格が相手となって初めて発揮されるのだ。
「ところで、お嬢さんはどんな翡翠を集めておられるのですか?」
シャオの言葉にリーシャの目が光った。
「その言葉を待っていた」と、そんな所だろう。
「実は私は東の国の生まれでして」
そう言うなり収納鞄からごそごそといくつかの巾着袋を取り出した。
「ウォルタの翡翠も好きなのですが、やはり東の国の海石は別格なんですよ」
慣れた手つきで巾着袋の口を解くと布に包まれた石を取り出し机の上に並べていく。
「おお、これは素晴らしい!」
翁は非常に興奮したような歓声をあげた。
それもそのはず、目の前にはリーシャが長い年月をかけて蒐集した選りすぐりの「海石」が並んでいたからだ。
「もしや、ご自身で採集なさった物とか?」
「この白地に緑の入った翡翠と青翡翠は自分で採取した物です。あとは現地で購入した物ですね」
「失礼、触ってもよろしいですか?」
「もちろん。透過を確認していただいても構いませんよ」
老翁は一度部屋から出て手を念入りに洗った後に指にはめていた翡翠の指輪を全て外して机の上に置いた。
そして両の手でそっと翡翠を持ち上げると手のひらの中で回転させながら顔を綻ばせた。
「ああ、この翠の入り方がとても良い。この角閃石から貰った翠ですね」
長い間海を漂っていたのか、角が取れて丸みを帯びている。
その側面に角閃石がとりついており、そこから滲み出るようにして薄荷色の地が広がっていた。
「この翡翠はたまたま目の前に打ち上げられたもので、私が拾った翡翠の中で一番好きな翡翠なんです」
「ほう」
「海岸を歩いている時に大きい波が来て、それが引いたら足下に落ちていたんです。本当に偶然というか、たまたま。
でも、翡翠拾いってそういうものなんですよね。歴が長い、短いに関わらず誰にでも平等に機会が巡ってくる。
それが魅力というか、なんというか」
「運、いや、運命ですね。この翡翠は貴女に拾われる運命だった。そうとしか考えられますまい。
いやぁ、やはり東方の翡翠はウォルタの翡翠とはまた違った魅力がありますね。
私ももう少し若ければ翡翠の浜に足を運んでみたかったのですが、いかんせん遠すぎて」
「そうですよね。飛行船を使えば多少は楽でしょうけど、それでもかなりの距離がありますから。
東の翡翠はこちらでは手に入らないのですか?」
「そもそも出回っている数が違いますからなぁ」
商業採掘の行われているウォルタの翡翠と違って東の国の翡翠は海岸に打ち上げられた物を拾うしかない。
東の国にもウォルタの採石場のような大きな原石が落ちている川があるのだが、保護区域に指定されていて採掘が禁止されているからだ。
それ故に国外で東の国産の翡翠を得るのは難しい。
「宝石や核としての価値もウォルタ翡翠の方が高いので、わざわざ輸入しようとする商人もいないのですよ」
「なるほど。まぁ、それはそうですよね」
透明度が低く「核」としての価値が低い東の国産の翡翠を取り寄せなくとも「質」の高い翡翠が手に入るのだ。
よほどの物好きでなければ手間をかけてまで手に入れようとは思うまい。
「今ご覧に入れている物は流石に無理ですが、ほかの物でよければ差し上げますよ」
リーシャは収納鞄から翡翠が入った収納箱を取り出した。
箱の中はいくつもの小部屋に分けられており、そこにひとつずつ翡翠が収納されている。
翡翠にはラベルがつけられており、いつどこで拾ったものなのかが分かるようになっていた。
「よろしいのですか?」
「ええ。これは全て私が拾ったものなのでお気になさらず。こうして翡翠好きな方に貰ってもらえた方がこの石達も本望でしょう」
一瞬、シャオの目が見開いたかと思うとふっと柔らかい表情に変わる。
(ああ、久しぶりに見つけた砂金は大粒だったようだ)
目に留まった翡翠を一つ手に取ると、「これをいただけますか?」とリーシャに請うた。
「青翡翠ですか。お目が高いですね。それは今はもう立ち入り禁止になっている産地から流れ着いたもので、元は一つの母岩だったと言われている珍品なんですよ」
「昔何かの本で読んだことがあるのです。もしや、と思いまして。貴重な物だと思うのですが、本当に頂いてもよろしいのですか?」
「構いません。せっかくのご縁ですし、こう言っては無粋かもしれませんが、集めているうちの一つなので」
「おや」
ふふ、と笑うリーシャに釣られてシャオも思わず笑みを浮かべる。
「それだけでよろしいですか? この白翠の翡翠と黒翠の翡翠もよければどうぞ。これも産地の特徴が出た良い翡翠ですから」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
三つの翡翠を大事そうに受け取ったシャオは茶を一口飲むとリーシャの目をまっすぐに見つめて言った。
「そうえば、お嬢さんは翡翠を探しているとか」
「正確には、彼が」
「そうでしたか。標本や原石をお探しですか? それとも、加工用の資材でしょうか」
そう問われたリーシャは少し離れた場所で茶を啜っていたオスカーの方に目線をやった。
オスカーはハッとして立ち上がり、少し大きな声で言う。
「指輪だ。指輪を作るための翡翠を探しているのだ」
「指輪ですか」
「私の故郷には結婚した男女で揃いの指輪を身につける習慣があって、それで――その、リーシャに指輪を贈る約束をしていて。
リーシャから翡翠の指輪を貰ったので、その返礼として彼女に送る揃いの指輪を探しているのだ」
「なるほど。そういう事情でしたか」
シャオは「ふむ」と何かを考えた後にヤオを呼ぶと「あれを持ってきてください」と頼みごとをした。
(あれってなんだろう)
話の流れからすると翡翠だろうか。
しばらくするとヤオが戻ってきた。手には紫色の布で包まれた何かを持っている。
「これを」
そう言ってヤオはリーシャに包みを手渡した。
ずしり、という重みを感じて「翡翠だ」とリーシャは直感した。




