老翁
「こうしてみると本当に様々な色の翡翠があるのだな」
オスカーは食い入るように翡翠に見入っていた。
見慣れた緑色だけではなく、青、黒、紫、茶色、そしてそれが何色か混じったものなどその色味は多岐にわたる。
「ルビーやサファイアと同じですよ」
「確か、ルビーとサファイアは同じ鉱物だったな」
「ええ。二つともコランダムという鉱物なのですが、含まれる鉱物によって色味が変わるんです。
サファイアだって青だけではなく、実は黄色やピンクなど色々な色味があって……」
「つまり、翡翠も含有する鉱物によって色味が変わると?」
「その通りです。そもそも翡翠の大元であるヒスイ輝石って透明なんですよね」
「そうなのか?」
「はい。なので、翡翠の基本は白なんです」
「てっきり緑のものが多いのかと思っていたぞ」
「そういう人は多いと思います。どうしても価値があるとされるのは緑色の濃いものですから」
リーシャはそういうと白と緑の混じった翡翠の前に移動した。
「緑は緑で全て同じ鉱物が要因というわけではなく、東の国産の翡翠で言えばオンファス輝石や角閃石から緑色をもらっていることが多いです。
青や紫はチタンという金属から来ていて、この白と紫色の翡翠を見ると茶色い斑点があるでしょう?
これはチタンが抜けた痕で、この周辺から紫色が滲んでいるのが分かりますよね」
「確かにそう見えるな」
「こういうラベンダー翡翠は特に珍しく、『妖精の贈り物』と呼ばれるんです」
両手で抱えられるほどのラベンダー翡翠を前にリーシャは興奮を隠しきれないようだ。
こんなに大きなラベンダー翡翠は滅多にお目にかかれない。
それも、「妖精の贈り物」だなんて。
「では、黒翡翠はどうなんだ?」
オスカーはその横にある真っ黒い翡翠に目を落とした。
ほかの翡翠と比べると地味ではあるが、茶色い「焼け」が所々に入っていてなかなか渋い。
「黒翡翠は石墨という鉱物が混じることによって生まれます。簡単に言えば、まぁ、炭のようなものですよ。
華やかではないので人気は低いですが、原石だと味があって蒐集している人も多いんですよ」
「俺は結構好きだな。黒が深くて恰好が良い」
「黒翡翠のおもしろいところは、この見た目で緑に光るものがあるという点です」
「なんだと?」
この真っ黒い石が緑に?
にわかには信じられない話だ。
「もちろん全てではありませんよ。むしろ、透過しない物の方が多いくらいです。
でも、中には光を当てると緑に透過する物もあって。
正確には黒翡翠というよりも、緑が濃すぎて黒に見えるんですけど。ふふ、おもしろいでしょう?」
「ああ。翡翠というのはつくづく不思議な鉱物だな」
展示室の中で、二人は時を忘れて語り合った。
語っても語り尽くせないほど素晴らしい原石の山にリーシャは目的も忘れるほど興奮していた。
(何が良いって、原石なのが素晴らしい)
加工品した宝飾品ではなく、原石。
表面の「皮」は剥いてあるが、石の良さを生かした原石の状態で保管してあるのが良い。
やはりこの屋敷の主は相当な蒐集家であると感じた。
加工品よりも原石に魅力を感じているのがその証拠である。
「失礼します」
展示室に入ってどれくらい経っただろうか。
ヤオの声がして振り向くと、行きしなに廊下に差し込んでいた陽光が見えなくなっているのに気づいた。
どうやら日が暮れてしまったようだ。
「夕餉の支度が整いましたので、どうぞこちらへ」
部屋の外からほのかに良い匂いが漂ってくる。
どうやら夕飯を馳走してくれるようだ。
「すみません、見るのに夢中になってしまって」
家翁との面会という目的をすっかり忘れていたリーシャは恥ずかしそうに謝罪する。
「いえ、お気になさらず。大変楽しそうにご覧になっていたので、家翁も喜んでおりました」
「家翁が?」
見るのに夢中になっていて気が付かなかったが、どうやら翁に覗かれていたらしい。
リーシャは恥ずかしさのあまり顔から火が出そうになった。
「もう日も暮れましたから、今日は泊まって行ってください」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
食堂へ続く廊下を進む。
庭に面しているからか、窓の外から風が吹き込んで心地よい。
集落の喧噪も、獣の鳴き声もしない、静かな夜だった。
昔ながらの行灯の明かりに照らされた廊下を進むとこぢんまりとした食堂につく。
食堂には先客が一人。
すでに酒盛りを始めているようで、やや赤らんだ顔で徳利を掲げている老翁がいた。
「ああ、お待ちしておりました」
老翁はそう言うなりすっと立ち上がると「こちらへどうぞ」と対面の席を指し示した。
食堂内には円卓が一つ。
それを囲むようにして六つの椅子が並べられていた。
「狭い部屋で申し訳ない。普段は私とヤオの二人暮らしなものですから」
「お気遣いいただきありがとうございます。ご挨拶申し上げてもよろしいでしょうか」
「是非」
「宝石修復師をしているリーシャと申します。こちらはオスカー。私の護衛をしています。本日は急な訪問にも関わらずご対応いただきありがとうございました」
「宝石修復師をなさっている。そんなにお若いのに対したものだ。
私はシャオ。ただの隠居です。こちらこそ、急にお連れして申し訳ない。ヤオに聞きました。
何も聞かされずに連れてこられたと」
老翁――シャオは二人に座るよう促すと酒を持ってくるようヤオに指示を出した。
「目利きを探していると伺いました」
「そうです。同好の士を探しておりまして」
陶磁器の酒器が配され、白磁の徳利から透明な酒が注がれる。
そっと口に含むと桃の香りがふわりと広がった。
「同好の士、ですか」
「こういう趣味をしていると誰かと語り合いたくなる物でしょう。山の中で一人、侘びしい生活をしているものですから、時々こうして客人を招いているのです」
「なるほど」
(気持ちは分かる。あんなに凄い蒐集物を持っているのだから、誰かと語ったり自慢をしたりしたいものだろう)
あれだけの品をこんな山奥に眠らせておくのはもったいない。
誰かに見せたい、語りたいと思うのは当然のことである。
「お気持ちはよく分かります。あれだけの蒐集物です。誰かに見せたいと思うのは当然でしょう。
しかし、なぜあのようなやり方を?」
「といいますと?」
「染めの魔工宝石ですよ」
リーシャが強い口調で言うとシャオは「ああ」と顎ひげを撫でた。
「せめてあれくらいは見抜ける人でないと役不足なのです。あれを喜んで買うようじゃいけない」
(役不足)
シャオの言葉にリーシャは違和感を覚えた。
一体に何に対する役不足なのだろう。
自分の話し相手には役不足だ、という意味だとしたらかなり上から目線のように感じる。
だが、それとはまた違う意味を含んでいるような気がしてならないのだ。
「子供らにはいい小遣い稼ぎでしょう。全てタダも同然の価格で渡していますから」
「あれの半分を彼女は金貨四枚と銀貨一山で売っていたんですよ」
「それは凄い。売った後にどうするかは子供たちに任せているんです。ああして原石のまま売る者もいれば、さらに金を払い加工を依頼して付加価値をつける者もいる。
売ったときに魔工宝石であると見抜いたり、身につけさせている装身具に気づいた者がいたら連れてくるように。
私が頼んでいるのはたったのそれだけです」
「たったそれだけって」
リーシャがむっとしたのを見てシャオは失笑した。
「翡翠を買おうと思うならば目を養わなくてはならない。不相応な物に手を出そうとするから失敗するのです。
実際、あなたのような目の利く人ならばあの石を買ったりはしないでしょう」
「それはそうですが。でも、あの翡翠はあまりに良く出来すぎています。私とて実際に手に取らなければ魔工宝石だと気づかなかったかもしれません」
「けれど、あなたは気づいた」
シャオはくいっと酒器に入っていた酒を飲み干すとじっとリーシャを見つめた。
「となれば、やはり気づける人間は存在するのです。私が求めているのはそんなほんの一握りの、砂金のような人々ですから」
(つまり、それ以外の人間が騙されようがどうでもよいと?)
老翁の言葉にはそんな意図が含まれているようでならない。




