翡翠の館
スラムの奥深く、細くて狭い道の突き当たりにある「蓋」をはずすと隠されていた横穴が現れる。
その横穴をまっすぐ進むとウォルタから離れた山の中腹に出た。
周囲には道らしき道が見あたらず、人の気配はない。
時折目印となる模様が木の幹に刻まれており、それを頼りに山道を登った。
「その爺というのはどんな人なんですか?」
リーシャは前を行く少女の背に向かって声をかける。
「あたしたちは爺とか仙人とか呼んでる。何をしてる人なのかは知らないけど、金と翡翠をたくさん持ってるんだ」
「仙人」
(確か、修行を得て神通力を持った人なんかをそう呼ぶのだと本で読んだことがある。
こんな山に籠っているくらいだから、それくらい浮き世離れした生活をしている人という意味なのだろうか)
これだけ奥まった場所に住んでいるのだ。ウォルタに出るのも一苦労だろう。
金をたくさん持っているというくらいだから、外に出なくても暮らしていける術を持っているのかもしれない。
「何年か前からあたしたちみたいな子供に仕事をくれるんだって、少し上の子らに聞いたことがある。
口伝てで仕事の紹介をしてもらって、爺の所に石を取りに行くんだ。
最初はタダで。儲けた金で次の石を買って、それを売りさばく。良い商売だろ」
「商売というか、ただの詐欺でしょう」
「詐欺なもんか。あたしたちは本物の翡翠だって思って売ってるだけ。何も悪くないだろ」
「本物の翡翠という言葉が出る時点で偽物があると言っているようなものです」
「細かいなぁ。騙される方が悪いんだよ!」
「だそうですよ、オスカー」
「耳が痛い」
騙される方が悪い。その言葉は矢となってオスカーの心に突き刺さる。
「でも、あなたたちに石を売ってもその方の利益にはならないでしょうに」
リーシャは不思議そうに呟く。
魔工宝石といえどタダではない。
屑石とはいえ本物の翡翠を使って作っているし、精錬や製作の手間を考えると質の悪い宝石よりは値が張る。
着色をしてはいるが魔工宝石としての質は高いし、わざわざ「天然物」であると偽らずに魔工宝石であると示して売ればそれなりに値が付くはずだ。
それをなぜ子供が買えるような値段でばら撒いているのか不思議でならない。
(まさか本当に孤児を援助するために?)
孤児に稼ぎを与えるために、わざわざそんなことをしているのだろうか。
(でも、いくら貧しい人のためとはいえ犯罪を犯させるようなまねをするなんて)
納得がいかない。
「爺は金が欲しいわけじゃない。さっきも言ったでしょ。
これは目利きを探すための駄賃みたいなものなんだ」
少女は難しい顔をしているリーシャに向かって言った。
「あたしたちだって馬鹿じゃない。タダで人の言うことを聞くなんて真似はしないさ。
自分たちで大金を稼げるから協力してるんだ。
それに、こうして翡翠を売っていればお姉さんみたいな人が釣れるでしょ?」
「翡翠の知識があって目が利く人を探すためにわざと詐欺まがいのことをさせていると」
「爺がそう言ってた」
はぁ、とリーシャはため息を付く。
その爺とやらにまんまと釣られた訳だ。
しばらく歩くと木々の向こうに朱色に塗られた大きな門が見えた。
鬱蒼とした山の中に似つかわしくない、やたら立派な大門である。
「爺、来たよ。あけてー」
少女は門を雑に手で数回叩くと大声を上げた。
ギィと木が軋む音がして潜り戸が開き、若い女性が顔を出す。
「ヤオ姉、お客さんを連れてきたよ」
ヤオと呼ばれた女性はリーシャとオスカーをちらりと見ると潜り戸を通って少女の側へ寄り、懐から紙に包んだ何かを手渡して「さっさとおいき」と冷たくあしらった。
少女が気にも留めていないのを見るに、この態度が常なのだろう。
「じゃあ、あたしはこれで」
少女はもらった紙包みを嬉しそうに腰の麻袋に入れると踵を返した。
(なるほど、客を紹介したら駄賃がもらえるのか)
少女の表情から察するに、包みの中身は金だろう。
さしずめ紹介料と言ったところか。
とすると、リーシャとオスカーはこのヤオという女性のお眼鏡にかなったということだろう。
「はじめまして。私はリーシャ。宝石修復師をしています。こちらはオスカー。私の護衛です」
「ご丁寧にどうも。私はヤオ。この屋敷を任されている者です」
ヤオはそういうと頭を下げた。
白粉を叩いた真っ白な肌に派手な化粧。
侍女というにはいささか華美な布を使った衣服を身にまとっているのを見るに、ただの使用人という訳ではなさそうだ。
「不躾な質問をして申し訳ないのですが、この屋敷は一体どのような場所なのでしょう。
先程の少女からは『目利きを探している』ということ以外何も知らされていないもので」
「ここは翡翠の館です」
「翡翠の館?」
「立ち話もなんですから、中へどうぞ」
翡翠の館。なんとも不思議な響きだ。
「中に入れば分かるのだろうか」とリーシャとオスカーは促されるままに潜り戸をくぐった。
「これは……」
潜り戸を通り中に一歩足を踏み入れたリーシャは歩みを止める。
門を入ってすぐ現れたのは漆喰の壁に囲まれた決して広いとはいえない石庭だ。
真っ白な玉砂利と大きな庭石が配され、美しい砂紋が施されている。
「立派な庭だな」
よく手入れされた小綺麗な庭だ。
オスカーは感心した様子で庭を眺めていた。
(砂に模様をつけるとは、おもしろい)
イオニアにも砂地はあるが、そういう発想がなかった。
むしろ、庭と言えば草木を育てて飾りたてるものだとばかり思っていたが、こうして砂利や石だけで仕立てるのも風流だ。
「翡翠の庭石ですか。贅沢ですね」
リーシャは一際大きな庭石に目を付けそんなことを呟く。
「翡翠?」
「ええ。この庭に置かれている大きな石は皆翡翠です。特にあの一番大きな翡翠。大きさもさることながら形も翡翠らしくて素晴らしい」
「おわかりになりますか」
ヤオの言葉にリーシャは頷いた。
「ここまで大きいものだと、随分と古い物なのでは?
今はもうこんな大きい物は採れないでしょう」
「ええ。ウォルタの翡翠が有名になるずっと前に、川から引き上げたものだと聞いています」
「それは凄い。どうしてそんな貴重な物がここに?」
「家翁の祖先に当たる方がウォルタ翡翠の発見者だからです」
「……え」
ヤオの口から出てきたのは予想だにしない言葉だった。
ウォルタ翡翠の発見者。
この地で翡翠が採れることを発見したのはこの屋敷の主、家翁と呼ばれる人物の祖先だというのだ。
「詳しい話は翁から聞いてください」
「翁は今どちらに?」
「この奥にある母屋に」
そういってヤオは庭の右手にある平屋に目を移した。
それほど大きくはないが瀟洒な佇まいの立派な邸宅である。
「では、こちらでしばらくお待ちください」
二人が通されたのは母屋の中にある展示室だった。
ガラス張りの展示棚の中に大小さまざまな翡翠が展示されている。
どれも蒐集家垂涎の逸品ばかりだ。
(この展示棚、よく出来ているな)
ガラスの質は財力を現す。
一般的に市販されているものはほとんど手工業で作られており、歪みや気泡などが混ざりやすい。
薄いものを作るのは難しく、透明度の高い窓ガラスは値が張る。
チャダルの宿で見た水差しのように、財力や豊かさを表す指標として使われがちだ。
(ここのガラスはチャダルのよりもずっと良い)
均一に伸ばされ、気泡一つ入っていない透明な板ガラス。
「おそらく魔法で作られたものだろう」とリーシャは思った。
修復魔法と同じ要領でガラスを作る。腕の良い職人ならばこのような均一な薄さで気泡一つ入らない高品質なガラスを作ることも可能だろう。
だが、魔力を使う製法では一日に作れる量に限りがある。年を経た熟練の職人ならばなおさらだ。
魔力の容量は決まっており、それ以上に魔法を使おうとすると枯渇熱が出る。
故に、こうした「手作業で作れない物」は非常に高い値が付く。
それを展示室一面に、だ。
この屋敷の主がいかに富んでいるか。
この展示室一つ見るだけで手に取るように分かった。




