少女の嘘
「お待たせ」
少年と別れた場所でしばらく待っていると、背後から声がした。
二人が振り向くとそこには先程の少年と一人の少女が立っている。
どうやら行きしなとは別の通路からやってきたらしい。
少女はオスカーの顔を見ると少し緊張した面もちをして少年のうしろにそっと隠れた。
「ねえちゃんが探しているのってこいつだろ?」
「どうですか、オスカー。この翡翠は彼女から?」
「ああ。間違いない」
先日露店で声をかけてきた娘に間違いない。
どうやら少年は約束を果たしたようだ。
「ありがとうございます。助かりました。ちゃんと約束を守ってくれたので、御礼です」
「うわ! まじか。ありがとう、ねえちゃん」
少年はリーシャから受け取った銀貨を嬉しそうに握りしめると「じゃあ俺はこれで」と去っていく。
その後ろ姿を慌てた様子で追いかけようとする少女の手をリーシャはがっしりと掴んだ。
ここで逃してしまっては意味がない。
「待ってください。私は貴女に用があるのです」
「用? あたしに?」
「この翡翠、貴女が売ったものですよね?」
リーシャの手に握られた翡翠を見た少女の目が泳ぐ。
何かやましいことがあるようだ。
「知らない。そんな石、知らないってば」
「本当に? 出来ればこのもう半分も売って欲しいのですが」
「え?」
少女はぽかんと口を開けたままリーシャを見上げた。
(これがにせものだってバレた訳じゃない……?)
てっきり翡翠が安物だとバレて「金を返せ」と言われる物だとばかり思っていた。
顔見知りの少年が「翡翠が欲しいからとおまえを捜している女が居る」と言っていたのでついてきたが、昨日金を騙し取った男が背後に居るのを見て冷や汗をかいた。
女の言い分を聞くに翡翠に対する文句を言いに来た訳ではなさそうだ。
心配して損をした。
そんなことを考えながら、少女はふっと笑うと「いいよ。売ってあげる」と返事をした。
「ありがとうございます」
「ここじゃ人目があるから、移動しよっか」
少女は周囲をちらちらと眺めた後に愛想笑いを浮かべて二人を先導する。
(これはあたしの金だ。ほかの奴らに良いところを持って行かれたらたまらないからね)
石の半分で金貨四枚と銀貨一山。
そんな大金を有象無象がはびこる狭い通路で出そうものならあっという間に大人に囲まれて取り上げられるに決まっている。
出来るだけ人気のない場所で、確実に自分の手柄にしたい。
そんな欲に駆られて通路の奥へと歩みを進めた。
「入って」
通路の奥まった場所にある人気のない小部屋。
入り口は薄汚い暖簾で仕切られただけの簡素な部屋だ。
「ここは?」
「密談部屋だよ。入り口から遠すぎて人が来ないから、色々なことに使えるんだ」
少女はそういうと麻袋の中から例の翡翠の片割れを取り出した。
「お姉さんが探してるのはこれでしょ? そっちと同じ値段で良いよ」
「手にとって確認しても良いですか?」
「もちろん」
リーシャは少女から翡翠の半分を受け取ると手に持っていたもう半分と合わせた。
(ぴったり)
断面同士を合わせると寸分の狂いも無くぴったりだ。少しのずれもなく一つとなった表面を見れば元々同じ一つの石であったことは疑いようがない。
「これで信じてくれた?」
「ええ。確かにこの石の片割れのようですね。ありがとうございます」
「じゃあ代金だけど、特別に金貨四枚でいいよ」
少女は得意げな顔をして手をずいとリーシャの前に差し出した。
銀貨一山負けてやる。そんな顔だ。
「分かりました。では――」
リーシャは懐から金貨の入った皮袋を取り出すとその中を探り、少女の手のひらの上に金貨を落とす――と見せかけて、そのか細い手首を力強く握りしめた。
「痛っ! 何するんだ!」
いきなり手首を捕まれて顔を歪める少女に構わず、リーシャは掴んだ手を後ろ手にひねり上げる。
「この石が魔工宝石だってことは分かっているんですよ」
「まこーほうせき? なんだよそれ! あたしは知らない!」
「簡単に言えば、天然の宝石ではなく人工的に作られた宝石です。ここら辺で採れる天然の翡翠よりずっと価値の低い人工宝石を貴女は天然物だと偽って彼に売りつけましたよね?」
「あたしが騙したっていうの?」
「はい。違うんですか?」
リーシャの問いに少女は沈黙した。
どうやらなんと返そうか考えているようだ。
「この石は余所から仕入れたものなんだ。だからまこーほうせきだとかなんだとか、そんなのは知らない。
あたしも騙された被害者なんだよ。あたしみたいな子供に、翡翠の善し悪しなんて見分けられると思う?」
「あなたみたいな子供に、ですか。それにしては随分と翡翠に関する知識がおありのようですが」
「……は?」
「オスカーから聞きましたよ。『この翡翠はオスカーがしている指輪よりもずっと良い翡翠だ』と言ったそうですね。
ぱっと見ただけで『オスカーの指輪に使われているのは良い翡翠だ』と見抜いた癖に、良し悪しが分からないなどとつまらない言い訳をしないでください」
「……単なるおべっかだよ」
「そうでしょうか。オスカーが良い翡翠を身につけていることに目を付けた上で、会話をしているうちに素人だと見抜いたからこんなに分かりやすい若竹色の翡翠を売りつけたんでしょう?」
「……」
「確かにこの翡翠は一見とても良い翡翠に見えます。それこそ、あなたがおっしゃったようなロウカン翡翠に。
とても上手く作られていて、専門家でなければ騙すのは容易いでしょう」
最初にこの「魔工宝石の染め翡翠」を見たとき、とても質の良いロウカン翡翠に見えた。
断面から見える美しい若竹色の肌。日の光を浴びてまるでガラスのように透ける抜群の透明度。
何度か同じような染め翡翠を見たことがあるが、それとはまた別の、高い技術で天然物に良く似せて作られているものであると感じた。
リーシャですら目で見た時は「おっ」と思い、手にとって初めて違和感に気づいたくらいだ。
それほど精巧に作られている逸品だった。
「オスカーの指輪を見てこの翡翠を出してきたということは、オスカーの指輪に使われている翡翠がそれだけ高い価値を持っているものだと分かっていたからだと思いました。
ただの観光客相手なら、別にもっと粗雑な物でも良かったはずです。素人相手ならばこんなに質の良い魔工宝石を出す必要はない。
あえてこれを出してきたということは、少なくともオスカーが翡翠に価値を感じる人間であり、この指輪以上に価値のある翡翠を出さなければ売れないと感じたからではありませんか?」
少女はオスカーの指輪を見て何を出せば買ってもらえるのか瞬時に判断した。
リーシャはそう考えていた。
もしもそれが本当ならば、少女には翡翠を見る目がある。
ぱっと目に入ったオスカーの指輪に触れることなく質や価値を判断し、それに見劣りしない、それ以上に見える石を選んで出してきたのだから。
それが事実ならば「子供だから分からない」だとか「余所から仕入れたから分からない」なんて言い訳は到底信用出来ない。
「子供」であることを上手く言い訳に使って言い逃れしようとしているようにしか見えないとリーシャは判断したのだ。
「ん?」
ふと、リーシャの目にあるものが止まった。
少女の服の袖口から見える、丸玉の腕輪だ。
(この腕輪)
腕輪は麻紐を編んだもので、五つの丸玉が編み込まれていた。
一見地味だがよく見ると翡翠を加工した丸玉で作られていることが分かる。
「この腕輪、どうしたんですか?」
「腕輪?」
少女はがっくりとうなだれたままちらりと後ろを振り返る。
「これです。この腕輪、どこで手に入れたんですか?」
リーシャは少女の腕を掴んだまま指で麻紐をなぞって見せた。
「ああ、それは爺にもらったんだよ」
「爺?」
「その翡翠を仕入れた爺だよ」
「へえ。四種類の産地から採れた翡翠で腕輪を作るなんて、物好きな人ですね」
リーシャがそう言うと少女の肩がぴくりと動いた。
「はぁ~。お姉さん、本当に目が良いんだね」
そういって大きくため息をつくなり、
「あたしの負け。認めるから手を離してよ」
と手のひらを返したようなことを言う。
「お金を返していただけるということでしょうか」
「返品してくれるならね」
「もちろん」
「まったく、せっかく良いカモを見つけたのについてないなぁ」
少女は腰にぶら下げた麻袋の中から金貨四枚と銀貨一山を取り出すとリーシャに手渡し、オスカーの方を恨めしそうに睨んだ。
「とんでもない子供だな。こんな大金を騙し取るなんて」
「仕方ないだろ。病気の妹を助けるためには大金が必要なんだ」
「何?」
「医者にかかるのにも薬をもらうのにも金がかかる。金貨なんてあっという間になくなっちゃうよ」
「……」
「オスカー。真に受けないでください」
憐れみの目を向けるオスカーにリーシャが釘を差す。
「そういうの、詐欺師の常套句ですよ」
「なんだと?」
「あはは、お兄さんは本当に騙されやすいんだから。あーあ、お姉さんがいなければしばらく遊んで暮らせたのになぁ」
けたけたと笑う少女にオスカーは目を白黒とさせる。
(危うく絆されるところだった)
騙されたとはいえそのような事情があるならば仕方がない。そう納得するところだった。
どうも人を疑うということが苦手だ。
慈悲を乞われたり同情を引くような身の上話をされるとつい「可愛そうに」と憐れみの情を抱いてしまう。
それが例え大金をむしり取られた詐欺師相手だったとしてもだ。
(リーシャには口うるさく言われているが、どうも俺の性根は変わらないらしい)
その実直なところが良いのだけれども、とリーシャは言うが、いかんせんこうして実害がでているのだからそうもいかない。
用心深いに越したことはないのだ。
「で、この腕輪なんだけど」
少女は袖をまくって見せる。
「どの翡翠がどの産地の物か分かる?」
細い手首に巻かれた麻紐には五つの丸玉が通されていた。
一つ目は不透明な白地に鮮やかな薄荷色が混じった玉。
二つ目は全体が薄く透けた紫色の玉。
三つ目は透け感のある青緑色に白い斑点の入ったもの。
四つ目は不透明な濃い緑色の玉。
五つ目は不透明なヨモギ色の玉だ。
「全て違う石のように見えるが、全て翡翠なのか?」
「いえ、四つは翡翠ですが一つは違う鉱物です」
リーシャは五つめのヨモギ色の玉を指さした。
「これはネフライトという翡翠によく似た別の石なんですよ」
「つまり翡翠の偽物ということか」
「偽物というと語弊がありますが、翡翠に間違えられる石の一種ではあります。
古くから翡翠は硬玉、ネフライトは軟玉と呼ばれてどちらも珍重されてきました。
硬い、軟らかいという文字の表す通り、翡翠は硬度が高くネフライトは硬度が低いという特色があります」
「じゃあほかの四つはどう?」
少女の問いかけにリーシャは順に指をさす。
「一つ目は東の国、二つ目はウォルタ、三つ目はアルジバラ、四つ目は偉大なる帝国で採れたものです」
「へぇ、はくしきだね」
「ということは、正解なのか?」
「うん。そうだよ」
(石を見ただけで産地が分かるとは)
オスカーはじっと石を見つめる。
正直、言われなければ四つとも翡翠だとは分からないだろう。
それほどまでにそれぞれ違う色と違う模様をしていた。
「もしや、この色や模様で産地を判別しているのか?」
「はい。覚えてしまえば簡単ですよ」
「簡単」という言葉にオスカーは警戒心を覚えた。
リーシャの言う「簡単」は簡単にあらず。
いわゆる一般人の考えているそれとは全く違う意味を持つからである。
「例えば、東の国の翡翠は光を当てれば透過はするものの見た目は不透明に見える物が多く、ウォルタの翡翠のように全体がガラスのように透けるものは稀です。
アルジバラの翡翠は青緑色が美しく、全てではありませんがこのように斑点があるのが特徴です。
偉大なる帝国の翡翠はこの濃い緑色が目印です。
まぁ、たくさん翡翠を見ていれば自ずと分かるようになりますよ」
「要は慣れだと」
「ええ。物事は何でもそうでしょう?」
「それはそうだが」
(知れば知るほど難しい)
翡翠は奥が深すぎる。
リーシャに聞いて少し詳しくなったからと言って手を出して良いものではなかったのだとオスカーは後悔した。
知ったつもりになっていたが、触れていたのは入り口のほんの浅い部分だったのだ。
「お姉さんになら紹介してもいいかもな」
二人の会話を聞いていた少女がぼそりと呟く。
「紹介? 一体誰に?」
「爺だよ」
「爺というのは、あの翡翠をあなたに寄越した?」
「うん。それと、この腕輪をくれた人。
この腕輪のことを見抜いた人が居たら連れて来いって言われてんだ」
リーシャとオスカーは顔を見合わせた。
連れて来いとは一体どういう意味なのだろうか。
「また騙そうとしている訳ではないでしょうね」
「違うって。爺は目利きを探してるんだ。翡翠を良く知っている目利きを」
「なぜ?」
「それはあたしには分からない。でも、爺の家は凄いんだ。大きい翡翠が山ほどあるんだよ。
あたしたちは爺から石をもらって商売するついでに爺が欲しがってる目利きを探してる訳」
(爺。一体何者なんだろう)
少女の話によるとオスカーを騙した魔工宝石を子供たちに供給している人物らしい。
あれほどの魔工宝石を作れるのだから、造形魔法に長けた人物に違いない。
(それにあの腕輪。産地が異なる石を五つ集めて腕輪にするなんて相当な物好きだ。家に大きい翡翠が山ほどあるのが本当だとしたら、翡翠の蒐集家という線が濃厚だけど……)
蒐集家だとして、どうして詐欺の片棒を担ぐような真似をしているのだろうか。
そしてなぜ子供たちに「目利き」を探させているのか。
謎は深まる一方だ。
「その爺の家というのはどこにあるんですか?」
「採石場の近くにある山の中だよ。ここから繋がる通路を通ってしか行けないし、通路の場所はあたしたちしか知らない」
「危険ではないか?」
オスカーがリーシャに小声で囁いた。
「そんな得体の知れない人物の家に赴くなど……」
「それはそうなんですけど」
(興味がある、という顔をしているな)
少し色めき立ったリーシャの声色からオスカーはそう判断した。
普通なら、そんな怪しい人物の家を訪れるなんぞ危険な真似はしない。
相手がどんな人物かも分からないし、何が目的で「目利き」を探しているのかもはっきりしないからだ。
もしかした犯罪に巻き込まれるかもしれないし、何か悪いことに利用しようと企んでいるかもしれない。
そう考えたら無闇に近づこうなどとは思うまい。
だが、リーシャは違った。
謎の翡翠蒐集家。それもあんな腕輪を作るような変わり者。
(その蒐集物が見たい)
そう思った。
そんな偏屈な相手ならばきっとあっと驚くような蒐集物を持っているに違いない。
それを見てみたい。
犯罪がどうとか、危険がどうとかそんなことは二の次で、翡翠のことで頭がいっぱいになった。
(多少危険でもなんとかなる。護衛もいるし)
魔法の腕には自信がある。
オスカーも一緒にいるなら危険な目にあっても切り抜けられるだろうという自信があった。
「行きたいのか?」
諦めた様子のオスカーが声をかける。
「興味はあります」
「翡翠のことで頭がいっぱいなのだろう。何かあったらリーシャのことは俺が守る。だから気にしなくて良い」
「では、行きます」
即答だ。
「その爺という方のご自宅まで案内していただけますか?」
リーシャが言うと少女は目を輝かせて「もちろん」と頷いた。




