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翡翠売りの少女

 朝の日差しが差し込む中、リーシャはもぞもぞとベッドの中で手を伸ばす。

 伸ばされた手は何かを探すように動き回るが、その手が何かをつかむことはなかった。


「オスカー……?」


 寝ぼけ眼を隣を見ると、横で寝ていたはずのオスカーの姿が見あたらない。


「……?」


 身を起こし辺りを見回した後にベッドの脇にあるキャビネットに設置されている室内灯の足下にメモ書きが置いてあるのを認めると、室内灯の紐を引いて明かりをつけ、そのメモ書きに目を通す。


『用事があるので出かける。 オスカー』


 メモにはそんな伝言が丁寧な字で綴られている。


「出かけるって、どこへ……?」


 寝起きの回らない頭でリーシャは考える。

 ウォルタで見る場所と言えば翡翠市くらいだ。

 その翡翠市だって、素人だけでうろつくのには向いていない。


(あそこの露店、かなり玉石混合だったからな。目が育っていないと簡単にカモにされそうなのに)


 昨日ぐるりと見た限りでは、良い翡翠二割、その他八割といった印象だった。

 翡翠に詳しくないオスカーが見て回ったところで二割を引くのは難しいだろう。

 ああいう露店の歩き方については口うるさく忠告していた。

 そんなことはオスカー自身も分かっているだろうに、どうして一人で出かけてしまったのか。


「仕方ないなぁ」


 リーシャはぐんと体を伸ばすと身支度をはじめた。

 翡翠市はそう広くない。歩いていれば見つかるだろう。


 一方その頃、オスカーは一人翡翠市を彷徨っていた。

 客引きの声に引かれて露店に顔を出しては見るが、店先に並んだ石塊はどれも同じように見える。


(皮に包まれた原石ばかりで正直どれが良いのか全く分からん)


 昨夜リーシャに教えられた「皮」のついた翡翠。

 翡翠市の露店に並んでいるのは加工されていない皮付き翡翠ばかりで、中身が見えないものが多い。

 購入して加工することで初めてどんな翡翠なのか分かるようで、素人が買うにしてはいささかリスクが高すぎるように思えた。


(となると、薄く切ってある板材を購入した方が無難か。置物を作るわけではないし、指輪なら板材で事足りるだろう)


 オスカーは無加工の原石ではなく、原石を薄くスライス加工した物を販売している店に目を付けた。

 これならば「中身」を見て選べるし、透過も試せるので安心だ。

 

 オスカーが一人で翡翠市に赴いたのには訳があった。

 リーシャと約束した「翡翠の指輪」を調達するためである。

 既製品を購入するのではなく、自分が選んだ翡翠で作った指輪をリーシャに贈りたい。

 そう考えていたオスカーは翡翠の村であるウォルタに立ち寄ると知った時からここで材料となる翡翠を調達しようと心に決めていたのだ。

 

 せっかく贈り物をするのだからリーシャには内緒で。その方がリーシャも喜ぶだろう。そう思い、リーシャが寝ている間に宿を抜け出した。

 婚約指輪を渡したときの成功体験が尾を引いているのだ。


(リーシャがあっと驚くような良い翡翠を手に入れて結婚の証を贈りたい)


 イオニアの男にとって「指輪」は特別なものである。

 妻を娶ることが出来る立派な男の証であり、一人前のイオニア人である印でもある。

 兄であるジルベールが妻を迎えた時に嬉しそうな表情を浮かべながら指に光る真新しい指輪を撫でていたのをオスカーはよく覚えていた。

 父も兄も、時間があれば皮布で指輪を磨くのを習慣としていた。

 指輪は己の誇りであり、それが曇ったり錆びたりしているのは恥であると思われていたからだ。

 それほどイオニアの男にとっての「指輪」は大切なものであり、特別な物だった。

 だからこそ、リーシャに贈る指輪は妥協をしたくない。

 とっておきの一本を贈りたいとオスカーは考えていたのだ。


「お兄さん、翡翠をお探し?」


 露店をさまようオスカーの背後から女の声がした。

 オスカーが振り向くと腰に麻袋をぶら下げた幼い少女が立っている。


「何か用か?」

「翡翠を売ってるんだ。探してるんなら見てってよ」

「……」


(怪しい)


 オスカーは疑り深い目で少女を眺めた。

 地元の娘だろうか。よく焼けた肌に着古した服。足元は麻で編んだ草履を履いている。

 物乞いのようには見えないが、こういう場所では子供であっても信用なら無いとリーシャに聞いたことがある。


(まさにこの子供の事ではないか?)


 そう直感が告げている。


「子供だからって舐めてもらっちゃ困るよ。特別な仕入先から仕入れてるんだ。そんじょそこらの露店とは質が違うんだから」

「子供の戯れ言を信じろと?」

「戯れ言かは実物を見てから判断しなよ」


 少女は腰にぶら下げている麻袋から拳大の原石を取り出すと半分に割って見せた。

 どうやら元々二つに切ってあったようで、「皮」の内側に秘められた濃い緑色の断面が現れる。


「これは良い翡翠だよ。こんな緑色、露店ではなかなか見ないだろ?」

「……確かに」

「それに、透過も凄くいいんだ」


 そう言うと服のポケットから魔道具を取り出して断面に当て、光を灯して見せた。


「おお!」


 断面に当てられた魔道具から照射された光は断面をぼんやりと照らし、新緑のような鮮やかな緑色を映し出す。

 滲むような光は遮られることなく石の奥の方まで照らし出し、少女が手に持つ原石の透明度を示していた。


「綺麗だろ? ロウカンって言うんだ。翡翠の中でも一番良い奴でね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だよ」

「そうなのか?」

「間違いないね。お兄さんの指輪も相当良い翡翠だけど、これはそれよりもずっと良い翡翠なんだ」


(この指輪は良い翡翠で出来ているとリーシャは言っていたが、本当にこれよりも良質の翡翠なのだろうか)


 少女の手元で光り輝く若竹色の翡翠を前にオスカーは思い悩んでいた。

 確かに、透明度も高く濃い緑色が美しい。

宝石としての価値もありそうだし、見て回った露店にもこのようなはっきりとした緑色の翡翠は見当たらなかった。

 この石を指輪に加工したらさぞ美しかろう。

 いつの間にかオスカーの目は目の前の翡翠に釘付けだ。


「……だが、高いんだろう?」


 オスカーがおそるおそる尋ねると少女はそっと近くにやってきて耳元で囁いた。


「お兄さんは目が肥えてそうだから、安くするよ?」

「いくらだ?」

「金貨九枚でいいよ」

「金貨九枚?」


 怪訝そうな声を出したオスカーに少女はだめ押しする。


「これでも負けてるんだよ。この質なら宝石の核としても宝飾品としても引っ張りだこなんだから。

 それでも本当にこの翡翠の良さを分かってくれる人に買って欲しくて、お客さんを選んでるんだ。

 お兄さんなら売っても良いって思ったんだけど、高いと思われたんなら仕方ないね」


 そう言って翡翠を麻袋にしまおうとしたのを見て、オスカーは慌てて「待ってくれ」と手を掴んだ。


「それなら半分だけ、半分で四枚でどうだ?」

「半分なら金四枚と銀一山だよ。それ以上は譲れない」

「分かった。それでいい。半分だけ買わせてくれ」


 少女は一瞬、オスカーが気づかないほどの一瞬だったがニヤリと笑った。

 そして何食わぬ顔で金を受け取ると恭しく翡翠の半分をオスカーに手渡し、「良い翡翠なんだから大事にしてね」と念を押した。


「ありがとね。良い取引が出来て嬉しいよ」

「こちらこそ」


 少女の後ろ姿は雑踏の中に消えていく。

 道の真ん中にぽつんと残されたオスカーは手に握りしめた上質そうな翡翠を満足そうに眺めていた。


(思ったより安かったな)


 金貨四枚と銀貨一山。

 正直、想像していた金額よりもずっと安く済んだ。


(半分だけ買う、というのは我ながら良い考えだった)


 きっちり半額取られたが、なぜだか少しだけ得をしたような気分になる。


(若竹色の、まるでガラスのような透明感のある翡翠だ。

 指輪にしたらさぞ映えるだろう)


 これをリーシャに見せたらどんな顔をするだろうか。

 すばらしい翡翠だと喜ぶに違いない。

 そんな想像を巡らせて一人でにやにやとしていると、後ろから肩を叩かれた。

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