指輪の真意
「そうなってくると加工するより原石で持っていたくなるな」
「そうなんですよ!」
力強い返答にオスカーは気圧されながらも頷く。
ウォルタの翡翠と異なり東の国の翡翠は加工をせずとも楽しめる。
それが魅力の一つなのだという。
「原石の状態で飾りたくなるし、産出する川によって特色があるので色々と集めたくなるんですよね」
「こんなに色の種類があるなんて知らなかったぞ」
「そうでしょう。翡翠と言ったら緑、というのが世間一般の印象だと思います」
「てっきりこの指輪のような色ばかりなのかと思っていた」
オスカーはリーシャからもらった翡翠の指輪を撫でた。
緑に白が入った美しい翡翠のくりぬき指輪だ。
「言っておきますけど、それはかなり良い翡翠で作られた指輪なんですからね。
それが普通だと思われては困ります」
リーシャは口を尖らせる。
「透過も良いですし、色と模様が気に入って購入した物なんです。
大きさが合わなかったので紐を通してペンダントにしてはいましたが、高い買い物だったんですよ」
「そんなに大切な物を俺にくれたのか?」
「防御の魔法が付与してあったしサイズもぴったりだったので」
「そうか」
恥ずかしそうにするリーシャを見たオスカーは嬉しそうにリーシャを抱き寄せた。
(それでも俺は嬉しい。……ん? 待て。リーシャは今なんと言った? 紐を通してペンダントにしていたと言っていなかったか?)
それだったら「指輪をはめるのは既婚者だけだ」と打ち明けたオスカーにわざわざ指輪をはめさせる必要はなかったのではないか?
自分がペンダントとして使っていたならばそのまま渡せばよい話だ。
では、なぜリーシャはあえてオスカーに指輪として渡したのか。
「リーシャ、一つ聞いて良いか?」
オスカーはリーシャを胸の内に抱いたまま尋ねる。
「何ですか?」
「この指輪をペンダントとして使っていたなら、なぜ俺にそのまま渡さなかったんだ?」
「え?」
質問の意味を即座に理解出来なかったのか、リーシャは一瞬硬直したあとに自らの行いを思い出して赤面した。
今更失言をしたことに気が付いたがもう遅い。
「なぜだ?」
両の腕でがっちりと身体を固定されたまま身動きがとれない。
「は、はなしてください」
「答えてくれたら離す」
「どうしたんですか。いつもより強情ですよ」
「聞きたいからだ」
オスカーは紅潮するリーシャの顔をじっと見つめたまま言う。
「リーシャの口から、聞きたいから」
「……意地の悪いことを言いますね」
リーシャはふいと目をそらすと観念したように「んっ」と小さく咳払いをした。
「ただの悪戯心ですよ。オスカーからイオニアの風習について聞いていたので、もしも私から指輪を渡されたらどうするか試してみただけです。
強要するつもりはなかったし、嫌だと言われればペンダントとして持たせるつもりでした」
「……本当にそれだけか?」
「……」
微かにリーシャの身体を捕まえている力が強まる。
本当のことを言えと、まるで「答え」を知っているかのような振る舞いだ。
(こういうことには疎いと思っていたのに)
成長したと誉めるべきなのだろうか。
一昔前はリーシャの気持ちをおもんぱかることが出来ずに「指輪をくれ」と催促してようやく意図を理解するほど鈍い男だった。
それがいつのまにやら僅かな心の機微にも気づけるようになっていたなんて。
(こうしていざ責められると恥ずかしい)
こうなったオスカーは強情だ。
リーシャとの仲が深まるに連れ、良い意味で遠慮がなくなったというか我を通すようになった。
年上だからと主導権を握っていたつもりが、気づけばオスカーの手に手綱が握られていた、なんてことも増えた。
それがなんとも恥ずかしく、身体がむず痒くなるような感覚に陥る。
「ただの印付けです」
リーシャは顔を横に反らせたまま答えた。
「貴方に印をつけておきたかった。……それではだめですか?」
これが精一杯の回答だ。
どくどくと心臓が脈打っているのが分かる。
恥ずかしさのあまり顔が上気して首筋に汗が浮かび上がり、つーっと伝った。
「……」
オスカーからは返事がない。
沈黙したオスカーを不思議に思いおそるおそる視線を上げると、顔を真っ赤にして硬直しているオスカーと目があった。
まるで時が止まったかのように瞬き一つせず、動かない。
どうやら思考が停止しているようだ。
(さすがにあからさますぎたかな?)
リーシャがオスカーの頬をぺちぺちと叩くと我に返ったオスカーは優しくリーシャを抱きすくめた。
「俺と同じだな」
「はい?」
「俺が婚約指輪を贈ったときの気持ちと同じ、ということだ」
「……えっ?」
「リーシャが俺の婚約者であるという印を付けておきたかった。ちょっとした独占欲のようなものだ」
「それは……相手が居てのことですか?」
思わぬ質問にオスカーは嫌そうに顔を上げた。
この場合の「相手」とは、もちろんあの人物を指すことくらいオスカーにも分かっていた。
「……そうだな。それくらい分かりやすくしておかないと横からかっさらおうとする奴が居るからな」
「そういえば、そんなことを言っていましたね」
「覚えていたか」
「ええ、もちろん」
リーシャはロダの山中で婚約指輪を渡された際に「悪い虫が付いたら嫌だと思った」とオスカーに言われたことを思い出した。
悪い虫。そう、悪い虫だ。
「心配せずとも、私はオスカーから離れていったりしませんよ」
「それは分かっている。だが……」
「彼に何か言われたんですか?」
オスカーの煮えきれない態度にリーシャはピンときた。
(おそらく、オスカーをここまで不安にさせる何かがあったんだ)
今までオスカーには何度も「心配するな」と言い含めてきた。そのたびに納得したそぶりをみせる癖に、しばらく経つとこうしてまた不安そうな顔をする。
ただ心配性なだけかと思っていたが、もしかしたら何か理由があるのではないか。
そうなってしまう原因があるのではないかと思ったのだ。
「話してください。どんな理由でも構いませんから」
リーシャが宥めるように言うと、オスカーは少し迷ったあとにぽつりぽつりと語り始めた。
「フロリアの夜会の際に、皇帝に言われたんだ。
リーシャは偉大なる帝国にとっても大事な存在だから、いつまでも何もないようならば遠慮なく仕事を依頼すると」
「仕事、ですか」
(つまり、妻にするのは諦めたけれど仕事相手として側に置きたいと発破をかけられたのか。
てっきりダンスの一件を気にしているのかと思っていたけど……)
例え相手が皇帝であっても、「仕事だ」と言われてしまえば謁見に反対する理由がない。
「首輪」の件はリーシャに婚約指輪を渡すことによって解決したが、「仕事」の件はオスカーの心の中に火種としてくすぶっていたようだ。
(正直、蒐集物やオスカーのことが無ければ確かに偉大なる帝国で仕事をするのも悪い話ではないんだよね)
引き抜きの話は以前にもあった。
偉大なる帝国の離宮に行った際のことだ。
「仕事なら山ほどあるし給金も悪くない」とヴィクトールは言っていた。
おそらく本当のことだろう。
偉大なる帝国は産業国家である。
製造業に関わる魔道具の「核」の研究・開発や修理だけに絞っても一生食いっぱぐれることのないほどの仕事があるはずだ。
それに皇帝直々の雇用ともなれば組合の仕事と同等、もしくはそれ以上の給金は保証される。
正直、安定しているし魅力的な申し出だ。
(確か前にもこんなことがあったような。そう、賢者の学び舎で同じようなことを言っていた)
賢者の学び舎に滞在していた頃、オスカーに同じようなことを言われたことがあった。
「リーシャはここで暮らしたいのか」
確かそんな風なことを言われたのだ。
オスカーはリーシャにとって賢者の学び舎がどれほど魅力的な場所なのか分かっていたからこそ、自分との暮らしよりもそこでの暮らす方がリーシャにとって幸せなのではないか。
ついそう考えてしまうらしい。
(オスカーは不安症な節がある。どんなに確証があって大丈夫だと言い含めても心配になってしまう質なんだ)
リーシャを想っているが故だとも言えるが、どうすればオスカーを安心させることが出来るのか、最近リーシャ自身分からなくなっていた。
「確かに、偉大なる帝国からの依頼ともなれば魅力的ですね」
「……うむ、そうだろうな」
「金払いも良さそうですし、正直長期拘束のない単発の指名依頼なら受けても良いと考えています」
オスカーは口元をきゅっと歪ませた。
どうやらそれすらも嫌らしい。
「妻に出来ぬならば仕事相手として、というのはどうも狡いと感じてしまう」
「仕方ないでしょう。組合を通した正当な依頼ならば断る理由もありませんし、皇帝の依頼を無碍にしたら組合にも煩く言われるでしょう」
「そういうところが狡いのだ。断れないと分かっていてそういうことをしようとする。
仕事だからと言えばやましいことはないと、言い訳まで用意して」
オスカーの口からこぼれ落ちるそれは、どう考えてもただの嫉妬だった。
婚約して婚約指輪という印をつけたにも関わらず、「恋慕という感情の外側からいつでも干渉出来るんだぞ」という意思表明を受けたような気がして落ち着かないのだ。
「リーシャとヴィクトールとの間には俺が入り込めない、目に見えない絆のような物がある。
それがなんとももどかしいのだ。リーシャは俺の物なのに」
(俺の物)
普段のオスカーならば絶対に口にしない言葉にリーシャは一瞬目を見開いた。
今にも消え入りそうな、腹の底から絞り出すような声だった。
心の中で渦巻いていた物が、口に出すまいと蓋をしていた隙間から溢れ出てしまった。
そんな印象を受ける。
「実は以前、皇帝陛下から引き抜きの話をいただいたことがありまして。陛下から妻にならないかと言われたのは、その話を断った後なんです。
つまり、彼にとって私は仕事相手であって、妻にしたいというのはあくまでも私を引き留めるための方便なんですよ」
「本当にそうなのだろうか」
「オスカーは本当に心配性ですね。ちなみに、どうやって彼の求婚を断ったのか知りたいですか?」
「ん?」
リーシャはオスカーの頬にぴたりと手を当てにやりと笑った。
「私には先約があり、先に『予約票』をつけたのは私であると。そう申し上げたのです」
オスカーはリーシャの射るような視線に思わずごくりと喉をならす。
「予約票」。
その言葉の意味が分からないほど馬鹿ではない。
「確かに私は貴方のモノですが、貴方だって私のモノなんですよ?
私の婚約者で、私の護衛なんですから。
この指輪は、それを誇示するための印なんです。
オスカーに言い寄る女性を撒くための」
「俺に言い寄ってくる女などいないぞ」
「フロリアのアイリスとか、サイン会の時のナタリアとか。そのほかにもオスカーが気付いてないだけで好意的な目を向けている女性はたくさんいましたよ」
「……」
(つまり、リーシャも俺と同じ思いをしていると)
オスカーがヴィクトールにやきもきしているように、リーシャもオスカーに色目を使う女性たちに焼き餅を焼いていた。
そういうことなのだろう。
「そんなに心配なら、一層のこと本当に首輪でも着けておきますか?」
「いや! そういう訳には……!」
「冗談ですよ。真に受けないでください」
どんな想像をしたのか、顔を真っ赤にするオスカーをリーシャは呆れた様子で眺めた。
「とにもかくにも陛下は仕事相手であって恋人でも伴侶でもありませんから安心してください」
「……うむ」
(おそらく、結婚しても心配になる性格なんだろうなぁ)
いまいち納得出来ていない様子のオスカーを見てリーシャは思った。
どんなに安心するための材料を与えても心のどこかで不安になってしまう。そんな性格なのだろう。
ヴィクトールもそれを分かっていて「香水」や「写真」のようなちょっかいをかけているのだとリーシャ自身分かっていた。
意地が悪いちょっとした悪戯のつもりなのであろうが、オスカーには効果覿面だ。
(あのお方もなかなか難儀な性格をしている。オスカーをからかって楽しむなんて。一度釘を刺しておかないと)
香水の礼をするついでに一筆手紙でも書いておこう。
そう心の中でひっそりと決意した。




