ウォルタの翡翠
翡翠の村。ウォルタがそう呼ばれ始めたのは今よりもずっと昔の話だ。
村の周辺では古くから上質な翡翠が採れ、その翡翠は商人を通じて世界各国に運ばれた。
その翡翠は工芸品や宝飾品に加工され、今でも各地の博物館や美術館で見ることが出来る。
「ウォルタの翡翠って有名なんですよ」
露店で売られている翡翠の端材を眺めながらリーシャは言う。
「他で採れる翡翠とは違うのか?」
「ええ。質が違うんです」
リーシャが露店の店主に「見せて頂いても宜しいですか?」と声をかけると、店主は光の魔道具を薄い翡翠の板の後ろに翳した。
「おお、まるでガラスだな」
光の魔道具の影が翡翠の板から透けて見える。
まるで色ガラスのような透明感にオスカーは驚愕した。
「以前私の故国でも翡翠が採れるという話をしたでしょう?
うちの国で採れる翡翠は不透明な物が多くて、宝飾品の加工には向いていないんです。
宝石としての価値はこうしたガラス質の、透明な物の方がどうしても高くなってしまいますからね」
「それでも翡翠は翡翠だろう」
「もちろん。石の好みは人それぞれ。こうした宝石質の物が好みな方もいれば、不透明で個性的な模様のある原石を好む人もいる。
石の良さに優劣なんて付けられません」
「ふむ」
露店の店先に並ぶ翡翠の端材を楽しそうに眺めるリーシャを眺めながらオスカーは考えた。
(リーシャに贈る翡翠の指輪はどのような翡翠で作れば良いのだろうか)
正直、翡翠の善し悪しはよく分からない。
一般的に透明度が高く緑色の濃いものに価値があるとされているが、リーシャの言い分からすると「石の善し悪しは個人の好み」であり、そうした価値観では計れないものがあるようだ。
(つまり、リーシャの好みを把握しなければならないと言うことだ)
石を選ぶリーシャの視線や指先に意識を集中させる。
手にとって見ているのは真っ白い翡翠、緑の翡翠、紫の翡翠、少し黄色っぽい翡翠……
(待て、紫に黄色?)
見慣れない色に戸惑ったオスカーの口から「翡翠は緑ではないのか?」という心の声が漏れる。
「緑の物も、あります」
リーシャは顔を上げると「そうか」と一言呟いた。
「一度宿に戻りましょうか。翡翠について少しお勉強をしましょう」
「勉強?」
「私の蒐集物をお見せします。蒐集物を見れば翡翠の概念が変わると思いますよ」
いまいちピンと来ていない様子のオスカーにリーシャは「一見は百聞にしかずです」と言い片目を瞑った。
◇
「これが全て翡翠なのか……?」
青、紫、白、緑、黒、黄色。それら単色の物もあれば、二色三色が混じった物もある。
目の前に置かれたあまりに多彩な原石にオスカーは閉口した。
「私が集めているのは主に東の国で採れたものですが、他にも幾つか産地があるんですよ。
一番有名なのはここ、ウォルタですが南方にあるアルジバラや西方のオルミア、偉大なる帝国の一部でも採れるんだとか」
「色々な場所で採れるんだな」
「ええ。ただし、産地によって質や特徴が異なるので同じ翡翠といっても千差万別なんです」
「東の国の翡翠はウォルタの物に比べると質が劣ると言っていたな」
「はい。ただし、それは宝石として見た際の質であって、見た目の面白さは我が国の翡翠の方が優れていると……個人的には思っています」
(我が国)
リーシャからそんな言葉が出るとは意外だった。
普段、リーシャは母国のことをあまり語りたがらない。
実家のこともあり、母国に良い思い出が無いからだ。
そんなリーシャの口から「我が国」という言葉が出た。
余程自国の翡翠に思い入れがあるのだろう。
「これがウォルタ翡翠の原石なんですけど」
そう言ってリーシャが取り出したのはそこら辺に落ちていそうな何の変哲もない拳大の岩だった。
白茶色っぽいガサガサの肌をしており、いわゆる「翡翠らしい」色鮮やかさなどどこにもない。
「これが翡翠?」
「はい。この翡翠を輪切りにするとこれになります」
リーシャは原石の横に薄い板状に切り分けられた翡翠の板を並べる。
「先程露店で見た物と同じだ!」
「そうです。つまりこのただの岩のように見える物の中にはこのような綺麗な翡翠が眠っているのです」
「外側は別の鉱物なのか?」
「いえ。これは翡翠が風化した物で、川石などによく見られます。長い年月を経て表面の翡翠が風化し、このようにまるで違う石のような相貌に変化するのです」
「ほう、おもしろいな」
オスカーはウォルタ翡翠の原石を手に取った。
翡翠らしいずっしりとした重さを手のひらに感じる。
(しかし、どう見てもただの岩だ。河原に落ちていてもこれが翡翠だなど分からんな)
一部が欠けて中身が見えているならまだしも、見える部分の全てが風化してしまっていてはそこら辺に転がっている有象無象の石と見分けがつかない。
「ウォルタの翡翠の多くは川で採れるそうです。村の近くに大きな川があったでしょう?
その上流が採集地なんだとか」
「河原の石の中から翡翠だけを拾い上げるとは、職人技そのものだな」
「そこら辺は知識と経験の積み重ねでしょうね」
「慣れと言うことか」
「はい。翡翠探しは目を養うことが重要ですから」
そう言ってリーシャは目の前に並べた翡翠をつんとつついた。
「東の国の翡翠も川で採れるのか? それにしては随分と綺麗なものが多いが」
オスカーはリーシャがつついている青と白の混じった翡翠に目を落とした。
表面はつるりとしており、風化部分――いわゆる「皮」と呼ばれる物が見当たらない。
まるで磨かれたような面に白地に所々群青色が差した不透明な翡翠だ。
「以前お話したかもしれませんが、東の国の翡翠は海で採れるんですよ」
「海で?」
(海で石が採れる? どういう意味だ?)
オスカーにとっての海とは港町を指す。
内陸部の海がない国で育ったオスカーにとって、「海」というのはリーシャと一緒に立ち寄った港町や漁師町の護岸工事がなされた船着き場であって、石が堆積している石浜があるなんて想像もしていなかったのだ。
故に「海で石が採れる」という言葉の意味を図りかねていた。
「海で石をどうやって採るんだ? 海底に沈んでいるものを潜って採るのか?」
「そういう方法で採っている方もいらっしゃいますね。でも海岸に打ち上げられている物を拾う方が主流です」
「海岸に? 石が?」
「ええ。翡翠が採れる海岸は石浜で、海岸一面に石が堆積しているんです」
「一面に石が? ……そんな海岸があるのか!?」
(そんなに驚かなくても)
とリーシャは思ったが、そこでふとオスカーが「海のない国」の生まれであることを思い出した。
(ああ、そうか。オスカーはまだ数えるほどしか海を見たことがないんだ)
今まで立ち寄った場所に石浜はなかった。
唯一浜辺らしい浜辺といえばロダの砂浜くらいか。
(だからオスカーは砂ではなく石が堆積している浜があるということを知らないんだ)
そう考えるとこの過剰ともいえる反応にも納得がいく。
「海で採れるからと言って海で翡翠が生成されている訳ではなく、元は山にあった翡翠が崩れて川に流れ、大雨や雪解け水で川から海に流された物が浜辺に打ち上げられるんです。
川を流れ、長い年月海で他の石と一緒に揉まれると角が落ちて面が磨かれる。
それでこうした綺麗な状態の石が多いんですよ」
「おお、そういうことだったのか。つまり、このつるりとした面は人の手で磨かれたのではなく、自然の手で磨かれたものだと」
「はい。もちろん、全ての翡翠がこのような綺麗な状態で打ち上がるわけではありませんよ。
海中で焼けるものもあれば風化するものもありますし、川から流れ出たばかりだと角張っていて皮に覆われていたりするので……」
「おもしろいな」
同じ浜で採れる翡翠でもどのくらい海で眠っていたのかによって全く状態が異なるという。
「焼け」と言って茶色く変色している物もあれば、所々風化している物もある。
丸い物もあれば角張っているものもある。
「採れる石の一つ一つがみんな違ってみんな良い。それが海石の魅力なんです」
リーシャは目を輝かせて力説した。




