商隊資料館
チャダルの外れ、人通りの少ない寂れた通りに「商隊資料館」はあった。
古い建物なのか外壁が一部剥がれ落ち、看板の文字は掠れて消えかかっている。
「こんにちは、どなたかいらっしゃいますか?」
無人の受付に声をかけるが返答はない。
館内は照明が落ちていて薄暗く、人の気配を感じない。
(休館日? でも宿で聞いたら今日は開館日だって言っていたけど)
「リーシャ、このベルを鳴らすんじゃないか?」
オスカーは受付の端で誇りをかぶっているベルを指さした。
チーン。静かな館内にベルの音が響き渡る。
「……」
相変わらず物音一つしない。
「もう一回」
今度は強めに、最初よりも大きな音が響き渡った。
「……はい! はい!」
ベルを鳴らして少し経った頃、受付の奥からがたがたという音がして一人の老人が顔をのぞかせた。
老人はリーシャとオスカーの姿を認めると硬直し、目をこすった後に再び二人を凝視する。
どうやら来客があったことが信じられないらしい。
「本日は休館日でしょうか?」
「いえ! やっております! 申し訳ありません、今準備をしますので少々お待ちください」
暗かった館内に明かりが点り、なにやらガサゴソと音がし始めた。
急いで掃除をしているようだ。
「お客さんが少ないのでしょうか」
慌てて掃除をする老人の姿を眺めながらリーシャは小声で呟く。
「少なくとも儲かっているようには見えんな」
察するに、普段は客が来ないので開店休業状態なのだろう。
表の看板や壁も金がなくて直せない、とそんな所だろうか。
「お待たせいたしました」
しばらく経ったあと、老人が額いっぱいに汗をかきながら受付に戻ってきた。
「二名でお願いします」
「かしこまりました。銀貨1枚です」
入館料を支払いチケットを受け取る。少し黄ばんだ、歴史を感じる紙だ。
「つかぬことをお伺いしますが、お二人は何故当資料館に……?」
「チャダルは昔商隊で栄えた町であると伺ったので、その歴史を知りたいと思って伺いました」
「おお! そうだったのですね。いやはや、まさか本当にうちに興味を持ってくださっていたとは……」
「というと?」
「近頃は肝試しだとかなんとか言って冷やかしに来る若者が多くて」
「……それはご愁傷様です」
あの外観だ。想像はつく。
「よろしければ館内を案内させて頂きたいのですが……」
「是非お願いします」
「よろしいのですか!?」
想定外の反応だったのか、老人は乙女のように顔を真っ赤にするとあわあわと慌てだした。
「どうしよう」とか「じゃああれから解説して」とか、そんなことを一人でぶつぶつと呟いた後にズボンのポケットから薄汚れた布を取り出して額の汗を拭った。
(相当客が少ないんだな)
余程二人の来訪が嬉しかったらしい。
あれもこれもと「全てを解説しなければ」という意気込みを感じる。
「では、こちらへどうぞ!」
受付に戻り水を飲んで一息ついたあと、老人は二人を展示室へ案内した。
展示室へ入ると初めに商隊との交易の歴史を綴った展示パネルがあり、その次にどんな交易品が取引されていたのかを示す絵や模型が目に入る。
当時の品をそのまま展示している物もあり、なかなか見応えのある展示だ。
「当時は東方の織物や西方の香辛料、ありとあらゆるものがチャダルを通して流通していたんですよ」
老人は懐かしそうに言う。
「この林檎の酒はうちの国で作られた物だな。こっちにある羊の皮を使った防寒着もそうだ」
ある展示物の前でオスカーが足を止めた。
ガラスの向こう側には古い酒瓶と茶色く変色した外套が展示してある。
「そうですか。これは確か、イオニアの」
「そうだ。だが、そうなると大分古い品だろう。我が国が交易をしていたのはずっと昔の話だからな」
「そうですね。まだ飛行船が飛ぶ前の……百年以上前の物だと思います」
「魔法が普及する前はイオニアにも商隊が訪れていたんですね」
「西方までは陸続きだからな。昔は国の事業として傭兵もしていたというから、商隊の護衛なんかもしていたのかもしれんな」
「あり得ない話ではないと思います。人や交易品を守るために護衛を雇ったという話は珍しくはありませんから。
チャダルにも昔、傭兵用の宿があったくらいです」
「ほう」
(当然だけど、魔法が広まる前は開かれた国だったんだな)
こうして遠く離れた地でイオニアの交易品を見ると不思議な感覚に陥る。
魔法が普及するずっと前、まだ人々が剣を交えて戦っていた時代。
その頃イオニアはどこの国とも変わらない「普通の国」だった。
意識しなければすっかり忘れそうになる、忘れ去られた歴史だ。
「こちらはチャダルの歴史を元に作った模型です」
隣の展示室内には大きな町の模型があった。
模型はいくつかに区分けしてあり、チャダルが発展していく様子が目で見て分かるようになっている。
「チャダルは元々何もない土地でした。そこにある日突然鏡池が現れ、オアシスができあがったのです」
「ある日突然?」
一つ目の模型は簡素だ。砂漠の真ん中に大きな水溜まりがある。それだけの模型だった。
周囲には草木もなく、家もない。
ただ砂場に水を溜めたような、そんな景色だ。
「はい。何の前触れもなく、鏡池は忽然と現れたと言い伝えられています。故に、神が作った聖なる池であると考える者も多く……」
「確か、月の女神が鏡とするために作ったものだと」
「よくご存じですね! おっしゃるとおりです。
不思議な話でしょう。チャダルは雨も降らず、周囲に大きな川があるわけでも海があるわけでもない。
それなのにあんなに大きな池があり、毎日豊富なわき水が湧き続けている。
あの池が出来るまで、ここはただの砂地、チャダルの外にあるような砂漠だったんです。
古い文献にもここにオアシスがあったなんて文言はなく、ある時を境に急に『池』の存在が現れるようになったんだとか」
「なんとも不思議な話だな。神が作ったと言われても納得してしまうような」
「ちなみに、この水が何処から来ているのか未だに分かっていないと聞いたのですが本当なんですか?」
リーシャが訪ねると老人は「ええ」と言ってから「ちょっと待っていてください」と受付に戻っていった。
「これは以前、鏡池の調査をした学者さんが書いた論文なのですが」
そう言って受付から取ってきた古びた紙の束をリーシャに手渡す。
「調査をした結果チャダルの地下に水脈はなく、湧出地点を掘ってもある地点から下には水がない。
わき水はある一カ所から噴出しており、何故そこから水が出ているのか、その水が何処から来ているのかいくら調査をしても分からなかったのだそうです」
数十年前にある学者がチャダルを訪れた。
砂漠の真ん中に突如湧き出たというオアシスに興味を惹かれ、町に多額の金を支払って潜水調査をしたのだそうだ。
しかしいくら調査をしても水の出所が分からず、結局結論が出ないまま調査は打ち切りとなり、学者は町を去った。
その調査結果が「鏡池」の神秘性に拍車をかけ、鏡池は観光の目玉として人気になっているのだとか。
(やはり、魔術によるものなのではなかろうか)
老人の話を聞いたリーシャはそう思った。
話を聞けば聞くほど、あの鏡池がただの湧き水で出来た池だとは思えない。
専門家が調査しても分からなかったのだ。何か自然の摂理を超えた力を感じる。
「この論文、あとで複写させて頂いてもよろしいですか?」
「ええ、もちろん。では、お帰りの際に用意いたしますね」
「ありがとうございます」
(こうなってくると専門家の意見を聞きたくなる)
件の学者ではなく、魔術の専門家だ。
水に関する魔術はラウラの十八番だ。論文と池の詳細を手紙に認めて送れば何かしらの見解を示してくれるだろう。




