出発
その日の夜、ヴィクトールのサイン入りブロマイドを手にしたシルヴィアは感激のあまりリーシャに何度も頭を下げた。
「リーシャさん、本当にありがとう!」
興奮するシルヴィアにリーシャもオスカーも苦笑いを浮かべる。そんなに良いものなのだろうか。
「用も済みましたし、私たちはそろそろクロスヴェンを出ようと思います」
「そう。寂しくなるわね」
「姉上達はどうするんだ?」
「私たちはもうちょっと満喫してから帰るわ。明日はロランがマリーと私をエスコートしてくれるの」
「ロランが?」
「はい。良さそうなお店や劇場をいくつか見繕っておいたのでお任せください」
ジルベールの弟、ロランが胸を張る。
(マリーのためにがんばったな)
ちらちらと目線を送りあう二人の様子が微笑ましい。シルヴィアが同伴するデートといったところか。
「明日はステラと合流するの」
ソファーに腰を掛けて紅茶を飲んでいた王妃が言う。
「ステラというと」
「昔フロリアにいた頃に私の侍女をしていた子よ。フロリアでの宮仕えを辞めてイオニアに来てくれることになって」
「ああ、あの。それは良かった」
「オスカーが報せてくれたおかげです。感謝します」
ステラはフロリア公国滞在時にリーシャの世話をしてくれた侍女だ。
リーシャがフロリアを去る際に薬草袋とレシピをくれた。
彼女が王妃の侍女をしていたということを知ったオスカーは王妃にステラのことを報せる手紙を出し、ステラが今も自分のことを慕っていると知った王妃がイオニアに呼び寄せたのだった。
「私は身一つで嫁いできたから侍女まで連れては来れなかったの。だからずっと彼女たちがどうしているか気になっていて。
またこうして一緒に暮らせるとは思ってもみなかったわ」
「昔のお母様を知っていらっしゃる方ということですよね?」
「ええ。私が子供の頃から身の回りの世話をしてくれた人よ」
「私も会うのが楽しみだわ」
「お母様の昔の話、いっぱい聞きましょうね。お姉さま」
王妃は楽しそうに話す娘たちを複雑そうな顔で眺めている。
(あまり昔のことは聞かれたくないんだろうな)
王妃にとってフロリアでの思い出は楽しいものではないのだろう。「やめてくれ」、そんな感情がにじみ出ている。
「リーシャさんたちはこれからどうするの?」
「そうですね。西の方へ戻ってきてしまったので一度飛行船で東へ向かおうかと」
「オスカーが居るから大丈夫だと思うけど、気をつけてね」
「ありがとうございます」
「ロラン、騎士団のこと、どうか頼む」
「わわ、頭を上げて下さいオスカー様」
ロランは慌てた様子でオスカーに駆け寄ると両手でぎゅっとオスカーの手を握りしめた。
「ようやく憧れの騎士の国へ行けるのです。私に出来ることならば何でも致します。お任せください」
「だが、まだ頭が固い者も多い。苦労をかけると思うが……」
オスカーの言いたいことを察したのか、ロランははっとしたあとに横に首を振る。
「お気になさらないで下さい。覚悟の上です」
「……そうか」
(ジルベールは良い若者を遣わしてくれた)
異国の、それも魔法のない国に行くのにいったいどれほどの覚悟が必要だろうか。
淀みのないまっすぐな覚悟と闘志を宿した目。
その瞳を見たとき、オスカーは安堵した。
(彼ならば大丈夫だ)
そう直感した。
古老や伝統を重んじる頭の固い騎士団連中とも、国王や王妃、そしてマリーともうまくやっていける。
そう確信したのだ。
「ありがとう。頼むぞ」
ロランの肩に手をおいて短くそう言うと、ロランは力強く頷いた。
◇
ふわりと浮き上がる飛行船。眼下に広がるクロスヴェンの街がみるみる遠ざかっていくのが見える。
「昨夜のオペラ、なかなかよかったですね」
小さくなっていく街を眺めながらリーシャが言う。
「ああ。なんだったか、ゲストで登壇した――」
「リリー・フロウンダース、ですか。看板女優と呼ばれるだけのことはある。とても美しい歌声でしたね」
スポットライトを一身に浴びる赤髪の女優。
遠目から見ても分かる圧倒的な存在感にオスカーは魅了されていた。
「ああいう女性が好みですか?」
「あ、いや、そうではなく」
「似ている」
「え?」
「あの赤髪といい、どこか王妃様に似ていませんか?
それにあの、リリーという名前」
「……まさか」
「あの垂れ幕を見たときから思っていました。似ていると」
ラーヘンデルの路面店に掛けられた大きな垂れ幕を見たときに「知っている」ような感覚を覚えた。
どこかで見たことがある、会ったことがあるような……。
「彼女がフロリアの関係者だと?」
「もしかしたら、ですが。だとすると、思ったよりも根深い問題かもしれませんね」
「どういうことだ?」
「フロリアに恨みを抱いている人間は思った以上に多いかもしれないということです」
もしもリリーがヴィクトールと同じだったら。
彼女がフロリア大公家の血縁者で、何らかの理由でフロリア公国に恨みを抱いているとしたら、偉大なる帝国の事業に協力をする理由としては納得がいく。
ただ仕事として引き受けただけかもしれない。だが、もしそれ以上の理由があったとしたら――
「大公妃も面倒な人を敵に回しましたね」
「身から出た錆だろう」
「それはそうなんですけど」
フロリア公国は身内に敵を作りすぎたのかもしれない。
たとえそれが国を維持するために必要な犠牲だったのだとしても、それをそうだと受け入れられない者もいる。
そうした遺恨はいつか必ずフロリアに牙をむくだろう。
(いつか一波乱ありそうだ)
こうして国の稼ぎを奪われ続けてはフロリアも黙ったままではいられまい。
そう遠くない日に物騒なことが起こるのではないか。そんな胸騒ぎがした。
演劇の国編終了です。
次回はちょっと変わった視点から、ちょっと変わった依頼に挑戦します。お楽しみに。
(もし宜しければページ下部より評価やブックマーク登録で応援して頂けると大変嬉しいです。宜しくお願い致します)




