姉と妹
劇場からほど近い場所にある高級宿の一室、そこにリーシャとオスカーの姿があった。
劇場を出る前に従業員に手紙を預けた。もうすぐミアが到着するはずだ。
「これでイオニア王家とは接触せずに直接こちらへ来てくれるはずです」
「随分と熱い視線を送っていたようだが」
「参ってしまいますね」
ミアの視線には気づいていた。
劇中何度もオペラグラスでこちらを覗いていたようだ。
知らぬ顔をしていたが、ああも見られていては観劇に集中出来ない。
コンコン、と扉が叩かれた。
「失礼いたします。お客様がおいでです」
どうやら到着したようだ。
「どうぞ、お入りください」
リーシャが返事をすると扉が開き、目が痛くなるような派手なピンク色のドレスが目に入った。
「姉さん!」
ミアの姿にリーシャは嫌そうな顔をした。
深い紺色の髪に金とピンク色の石がついた髪飾りをつけ、胸元にはダイヤモンドとおぼしき石が留められたネックレスをしている。
フリルが多用されたドレスはまるで少女が身につけるそれだ。
(乙女趣味極まれり、だな)
あの頃から全く変わっていない。
ミアはまだ夢見る乙女なのだとリーシャは辟易した。
「ミア、失礼だろう。まずは挨拶をしなきゃ」
後ろに立っていた男性が注意するとむっとした様子でミアは一礼する。
「ミア・ローズヴェルト。貴女の妹よ。こっちは夫のアダン。姉さんもよく知ってるでしょ?」
「お久しぶりです。リーシャさん。覚えていらっしゃいますか?
小さい頃にリーシャさんのご実家で丁稚奉公をさせていただいていたアダンです」
「アダン? あなたが?」
リーシャは目を丸くした。
(アダンという名前はよく知っている。
近所に住んでいる子供で、うちに奉公に来ていた。
それがこんなに大きく…。数十年経てばそうなるか)
「ミアの名字が変わっていないと言うことは、婿に入られたんですね」
「はい。今は私が店を継いでいます」
「そうですか。そういえば、たまに修復魔法を練習していましたね」
「ええ。リーシャさんにも稽古を付けていただいて」
「そうでしたね。そこの妹と違って貴方は勉強熱心でしたから」
チクリ、と嫌みを言うとミアはとてつもなく嫌そうな顔をした。
「そういうところ、ぜんぜん変わってないのね。外見は若作りしているくせに」
「変わっていないのは貴方も同じでしょう? 相変わらず乙女趣味に没頭しているようで何よりです」
リーシャは見た者が凍り付くような冷たい笑みをにこりと浮かべるとオスカーに「すみませんが二人きりにして頂けますか?」と声をかけた。
「あ、ああ。分かった」
オスカーがアダンに目線を送るとアダンも黙って頷く。どうやら意志の疎通が出来たようだ。
二人が退出するとミアはドカッと椅子に腰を掛けて足を組んだ。
そして懐から煙草を取り出すと火をつけ、煙をくゆらせる。
「単刀直入に言うけど、私と一緒に国に帰って」
ミアは大きくふんぞり返ったままふーっと煙をリーシャに向けて吐き出した。
「お断りします」
間髪入れずにリーシャは切り返す。
「私はローズヴェルトの姓を捨てました。もう国に帰る気も、あの家に帰るつもりもありません」
「そんな勝手なこと許されると思ってるの?
あたしたちがどれだけ苦労したと思ってるのよ!」
激高するミアをリーシャは冷めた目で見下ろしていた。
思わずミアが黙ってしまう、冷たく刺すような目だ。
「そんなの、自業自得でしょう?」
リーシャは一切動じることなく風魔法で煙をミアの方へ吹き返す。
「店の経営が苦しいのですか?」
「そうよ。姉さんが居なくなってから業績は右肩下がり。どうしてくれるの?」
「どうもこうも、あなた方がまともな魔法を使えるようになっていればそうはならなかったのでは?」
「はぁ?」
「おばあさまの修行が厳しいからと泣いて逃げ回って、挙げ句の果てには修練せずに乙女趣味だのなんだのと。
店か傾くのも当然でしょう」
ミアは口をぱくぱくとさせると顔を真っ赤にして立ち上がった。
「姉さんは才能があるからそんなことを言えるのよ!
あたしにはそんな才能はなかった。修行なんてやっても無駄だった!」
「才能才能と言いますが、私がなにもせずに今の技術を身につけたとでも言いたいんですか?
あなただって見ていたはずです。私は寝る間も惜しんで、この身の全てを修練に捧げてきました。
だからこそおばあさまは私に知識や技術を惜しみなく教えて下さったのだと思っています。
貴女だってすぐに放り出さずに努力していれば、おばあさまも認めて下さったのではないですか?」
「そんなことない!」
ミアはひときわ大きな声で叫んだ。
「その髪、その瞳! 姉さんはおばあさまにそっくりだから愛されたのよ。
あたしは父さんと母さんにそっくりだから、おばあさまに嫌われていた。
才能も容姿も優れている姉さんには分からないでしょうけど」
「いえ、分かりますよ。まぁ、それはその通りでしょうね」
「え?」
リーシャが肯定するとミアは間の抜けたような声を出した。
まさか認めるとは思わなかったのだ。
「リューデンという国をご存じですか?」
「リューデン……?」
「ここからほど近い、もうすこし北にある国なのですが。
実はそのリューデンこそがおばあさまの母国であり、そのリューデンの名家であるルドベルト家というのがおばあさまの生家だったのです」
(おばあさまは確か、おじいさまと駆け落ちをして実家から縁を切られたと)
ミアはそんな話を幼い頃に両親から聞いたことがあった。
「それがなに?」
「ルドベルト家は代々灰色に近い銀髪を持ち、それが一族の証であるとされています。
ルドベルトの人間と接する機会があって分かったのです。おばあさまは生粋のリューデン人。
自分と容姿の似た、ルドベルトの証である銀の髪を持った私に愛着を持つのはルドベルトの人間として当たり前のことだったのだと」
「……つまり、なに? 私がおばあさまから愛されなかったのは仕方のないことだと言いたいの?」
「そうですね。おばあさまはそれが当たり前の環境で生まれ育ってきた。そういう価値観の中で暮らしてきたんです。
私たちとは異なった価値観、家族観を持っていた。
魔法に関しても同じです。リューデンは魔法第一主義の国。魔法の才能や魔力、技量が高い人間ほど地位を得ることが出来る。
だからこそ、魔法に関しては厳しい目を……」
「だから私が虐げられても仕方がなかったって言うの?」
(虐げられた?)
ミアの言葉にリーシャは首をひねった。
ミアは両親から愛されて育った。ほしいものは何でも買って貰えて「嫌だ」と言えばそれ以上はしなくても良い。
両親にないがしろにされ、「金の卵を生む鶏」扱いされていたリーシャの方が余程虐げられていたように思える。
祖母であるローナだってミアが修練に来なくなって以降は口うるさく言うことはなくなった。
一体どう虐げられたというのだろうか。
「魔法の才能も容姿も似ていない私だからおばあさまはあんなことを言ったのよ」
「あんなこと?」
「お前はだめだねって」
(ああ、そんなこともあったな)
ミアが物心ついて少し経った頃、ローナはミアに言ったのだ。「お前はだめだね」と、そんなことを。
それ以降ミアは祖母に近づかなくなり、魔法の修練から逃げ回るようになった。
「あんな一言で放り投げてはなにも身につきませんよ」
「父さんと母さんはあんなこと言わないもの」
「あの人たちはあなたを甘やかしすぎたんです。
それに第一、おばあさまが見た目と才能で修行をつける相手を選んでいるというのならアダンはどうなるんですか?」
ミアははっとした表情を浮かべた。
アダンもミアと同じ深い藍色の髪に藍色の目をしている。
それどころか、ローナとは血縁菅家もないし修復魔法を修める家系でもない。
「私が家にいる頃、アダンに教えを請われたことがあります。あの頃はまだ彼も幼かったですし、仕事の合間に祖母に相手をしてもらう遊びの延長のような形でしたが……。
店を継いでいるということは、それなりに形にはなったのでしょう?
アダンと違って貴女は修復魔法を家業とする家に生まれ、膨大な見本や資料にいつでも手が届く環境で育ち、これ以上ないほど優秀な師がそばにいた。
それを人より劣るからという理由で放り出したのは貴女自身ではありませんか。
貴女だって練習をすれば人並みにはなれたはずです。店を回していくならばそれで十分でしょうに」
「その嫌みったらしい言い回し、見た目だけじゃなく中身までおばあさまにそっくり!」
「ええ、自分でもそう思います」
リューデン人の気質を、ルドベルトの質を色濃く受け継いでいる。
そのことはリーシャ自身よく分かっていた。
容姿と同じように祖母の血が色濃く出てしまったのか、それとも祖母の教育の賜なのかは分からない。
ただ、父母と妹とは明らかに異なる性質を持っている。
そのことについてはよく自覚していた。
「思考が似ているからこそ分かるのです。
貴女が逃げなければ、例え技量が劣ると分かっていても努力する気概さえみせれば、祖母は貴女に手ほどきをしたでしょう。
確かに祖母は貴女の容姿を気に入らなかったかもしれない。
しかし、それだけの理由で魔法を学ぼうという精神を否定するような人間ではなかったはずです」
「姉さんは才能のある人間だからそんなことを言えるのよ。あたしはいくら努力しても姉さんみたいにはなれない。
姉さんみたいなきれいな髪も、宝石のように輝く瞳も、おばあさまに応えられるだけの才能もない。
じゃあ努力しても仕方ないじゃない。あたしは一生姉さんを超えられない。
どんなにがんばっても姉さんの下。そんなのつまらないわ!」
ミアは灰皿に煙草の吸い殻を押しつけると恨めしそうな顔をリーシャを睨んだ。
「あたしは今、一流の乙女小説作家になった。
王族も貴族もあたしのサインを欲しがるし、色々なパーティーにもお呼ばれするのよ。
冴えないけど家を継いで好きなことをさせてくれる旦那も手に入れて、毎日好きなことだけをして生きていける。
好きなドレスを好きなだけ買って、うちの客が持ち込むような大きな宝石を身につけて、ついには『明星の箱庭』で劇まで上演されて!
姉さんに勝った。姉さんよりもずっと良い人生を送ってるって信じてたのに……どうして!」
リーシャに詰め寄ったミアはリーシャの胸ぐらを掴むと激しく叫んだ。
「あの時と変わらない若さで、婚約者は異国の王族?
しかもあんな見目麗しい王子だなんてずるいわ!
自分だけ幸せになるなんてずるい! ずるい! ずるい!」
「癇癪を起こさないで下さい」
リーシャは落ち着いてミアを払いのけると大きなため息をついた。
「あたしは姉さんのせいで不幸になった。責任取りなさいよ!
父さんも母さんも姉さんのせいで苦労したんだから!
一緒に国に戻って店を継いであたしたちに詫びなさいよ!」
「嫌です」
はっきりと一言そう言うとリーシャはミアの目をまっすぐ見つめる。
「私はあなたたちに人生を捧げるつもりはありません。それに、店はアダンが継いでいるのでしょう?
窮地を救ってくれたアダンにあまりにも失礼ではありませんか」
「別に好きでアダンと結婚した訳じゃないわ。何の変哲もない奉公人に店を持たせてあげたんだから感謝してほしいくらいよ」
そう言い捨てるミアにリーシャは嫌悪感を露わにした。
(相容れない)
互いに無視している程度がちょうど良かったのかもしれない。
今まで言葉を交わさなかったから気づかなかった。
まさかここまでミアが相容れない考えを持っているとは。
傲慢で我が儘。その言葉に尽きる。
果たして家にいた頃からこんな風だっただろうかとリーシャは不思議に思った。
多少の我が儘は言っていたが、ここまで酷くはなかったはずだ。
「私はあなた方と縁を切ります」
リーシャは落ち着き払って宣告した。
「祖母の実家、ルドベルト家から一族として認めるとの証書をもらっているのです。
今まで彼らの多差受けを得る気は無かったのですが貴女と話して決心が付きました。
正式にルドベルトへ籍を移せるよう手続きをしてもらいます」
「ふざけないで。ルドベルト家だかなんだか知らないけど、姉さんは今もローズヴェルトの人間なの。
父さんと母さんの承諾も得ずにそんなことが出来るわけがないでしょう」
「そうでしょうか」
(案外簡単だと思うけど)
リーシャが籍を移したいといえばルドベルト家――特にマチルダは大手をあげて喜ぶだろうし、積極的に動いてくれるだろう。
リーシャの父母とて手切れ金をちらつかせれば簡単に判を押すはずだ。
金に困っているなら尚更だし、そういう人間だとリーシャは知っていた。
「ともかく、これは決めたことですので」
「またあたしたちに迷惑をかけるの?」
「私の人生は私の物です。貴女に関知される筋合いはありません。
それに、そんなに経営が厳しいなら貴女が助けてあげれば良いのでは?」
「私が? 何で?」
ぽかんとするミアを見てリーシャは思わず「ぷっ」と吹き出した。
「そんなに豪華な服を着て、そんなに大きな宝石を身につけて、あまつさえ王族や貴族がサインを強請ってくるほど有名になったのでしょう?
書籍の売り上げで随分と懐が暖まったのではないですか?
であれば、貴女自身があの人たちに資金援助してあげれば全て丸く収まるでしょうに」
「あたしのお金をなんで店に入れないといけないのよ」
「その言葉、そっくりそのままお返しします。私が何であなたたちの為に犠牲にならなければならないんですか?」
リーシャとミアはしばしの間にらみ合った。
部屋には静寂が訪れ、かすかに耳鳴りが聞こえるほどだ。
「私に勝ったとか負けたとか、今までずっとそんな下らないことに拘って生きてきたなんて、かわいそうな人ですね」
実に哀れみを含んだ声だった。
心からの同情、憐憫の思いが込められた、そんな声色だ。
次の瞬間、何かが破裂するような乾いた音が室内に響きわたった。
目に涙を浮かべながら肩を震わせたミアを、頬を赤くはらしたリーシャが無表情で眺める。
「私は一度も貴女に対して勝ち負けなんて考えたことはありませんでしたよ。
ただ、自分の好きなことをして生きる貴女が羨ましいと思ったことはあった。
両親に愛されて楽しそうにする貴女を見ていると、あの家に自分の居場所なんてないのだと思った。
だから家を出たんです。祖母の遺品を探すなど、ただの方便に過ぎなかった。
貴女は私をずるいと言いましたが、私には貴女の方がずっとずるい生き方をしているように見えますよ」
そういうとミアの横を通り過ぎて廊下へ繋がる扉を開ける。
「もうこれ以上話しても無駄でしょう。私たちは分かりあえない」
「話はまだ終わってない!」
「私は二度とあの家には戻りません。正式に縁も切ります。これ以上私に関わらないで下さい」
立ち尽くすミアを横目にリーシャは扉を閉める。
(さようなら、ミア)
心の中でそう呟くと、オスカーが待つ別室へ向かった。




