思惑
「東の花の乙女」は盛況だった。
開演初日から連日多くの客が訪れ、当初は文句を書き連ねていた演劇人たちも次第に足を運びはじめたほどだ。
この日もまた、歴史ある「明星の箱庭」の大ホールは観劇に訪れた客でいっぱいだった。満員御礼である。
「あれはどう考えても姉さんよ」
貴賓席に座る派手なピンク色のドレスの女性――「東の花の乙女」の原作者、エミリアは憤る。
昨日のサイン会で出会ったどう見ても姉にしか見えない娘が気になって仕方がないのだ。
「でも、あの頃と全く変わっていなかったんだろう?
人違いじゃないのかなぁ」
隣に座っていた男性、エミリア――ミアの夫であるアダンは半信半疑だ。
「リーシャさんが出て行ったのはもう何十年も前のことだろう。他人のそら似だよ」
「でも、リーシャって呼ばれてたわよ!」
「そういうこともあるさ」
「あれは絶対に姉さんよ。どうせ狡い魔法でも使って若作りしてるんだわ。みっともない」
妹だからこそ分かる。直感だ。
(私が姉さんを見間違えるはずがないわ)
祖母に似た灰色に近い銀髪に黄緑色の瞳。
今まで一度たりとも同じような容姿の人間に出会ったことがない。
名前も同じ、声も似ている。そんな偶然があるだろうか。
「仮にその女性がリーシャさん本人だったとして、ミアはどうするつもりなんだい?」
アダンが訪ねるとミアはキッと目を吊り上げる。
「連れて帰って店を継いでもらうに決まっているでしょう?
父さんも母さんもきっと喜ぶわ」
「え? 本気で言っているのかい?」
「当たり前でしょう。姉さんが居なくなったせいでうちの店の業績は右肩下がり。姉さんには私たちを養う義務があるの」
「右肩下がりと言ったって、最近はようやく新しいお客さんもついて安定してきた所じゃないか」
「それでも金払いの良い昔の客は戻ってきていないじゃない。おばあさまが亡くなっても姉さんが居るから安泰だと思ってたのに、本当に迷惑な人」
ミアはふんと反り返ると鞄の中からオペラグラスを取り出した。
「姉さんは……まだ来ていないみたいね」
視線の先にはイオニア王家の貴賓席がある。王妃とシルヴィア、マリーと、あと空席が二つ。
(来ないつもり?)
招待者リストの中には確かにリーシャの名前があった。
昨日の一件で恐れをなして逃げ出しでもしたのだろうか。
そんな事を考えていると開演前のベルが鳴った。
劇場内が暗くなり、舞台にかかっていた幕が上がる。
(演劇の都の伝統ある劇場で私の作品が上演されている。
貴族や王族だって私のサインを欲しがるし、名のある評論家にだって認めて貰えた)
目の前に広がる夢のような光景。
美しい巫女と王子の誰もがあこがれるような甘い恋。
劇場の中にいる誰もが舞台に釘付けになり、うっとりとした表情を浮かべている。
(この物語を生み出したのは私! 誰もが私の物語に夢中になっている!
……それなのになぜこんなに胸がもやもやするの?)
サイン会であの娘を見た瞬間、頭上から冷や水を掛けられたような気持ちになった。
今まで見ていた甘い夢から引きずり出されて無理矢理たたき起こされたような、そんな感覚だ。
(私は全てを手に入れたはず。それなのに)
震える手でオペラグラスを握る。
ふと視線を客席に移すと、よく目立つ銀色の髪が目に入った。
「いる!」
そう叫んだミアにアダンはぎょっとした表情で「上演中だよ」と声を掛ける。
幸いオーケストラの演奏でかき消されて周囲の客には聞こえていないようだ。
「アダン、見て。あれは絶対姉さんよ」
「仕方ないな」
アダンはミアからオペラグラスを受け取ると彼女が指さす方角へ目を向けた。
暗い中でもよく目立つ灰色に近い銀髪の女性が目に入った瞬間、かすかにオペラグラスが揺れる。
(リーシャさんだ)
遠くからでも分かる。ミアは嘘を言ってはいなかったとアダンは確信した。
「どう? 絶対姉さんでしょ?」
「……確かに似ているな」
煮え切らないアダンにミアは業を煮やす。
どこからどうみてもあれはリーシャだと確信していたのだ。
「周りにいるのは……」
「イオニアとかいう国の王族よ」
「隣にいる男性が、例の?」
「婚約者だそうよ。信じられない」
(凄いな。リーシャさんは王族の方と婚約されたのか)
アダンはオペラグラスを下げるとため息をついた。
(俺の手の届かないところへ行ってしまったな)
ちらりと見たが、リーシャの隣に座る男性は「王子」という肩書きにふさわしい出で立ちをしていた。
それこそ、ミアが書く小説に出てきそうな男だ。
それに比べて自分はどうだろう。
小太りな体にさえない顔。魔法の腕もリーシャには遠く及ばない。
リーシャにふさわしいのはあのような男なのだとまざまざと見せつけられたような気がして気が落ち込む。
「でも、姉さんが王族の妻になるって事は、私たちも王族の親戚になれるってことよね?」
そんなアダンの気持ちなどつゆ知らず、ミアは浮かれたような声でそう言った。
「あまり迷惑をかけてはいけないよ」
「今までこっちの方が迷惑を被ってきたんだから、ちょっとくらいわがままを言っても良いじゃない!」
ミアは諭すアダンなどお構いなしのようだ。
(昔からミアはこうだ。リーシャさんが愛想を尽かすのも仕方ない)
我が儘でお転婆で、両親に甘やかされて育ったミアは少女のまま大人になった。
家業である宝石修復の店を継がずに乙女趣味や乙女小説に傾倒し、家業の事は婿であるアダンに全て任せきりだ。
ミアの両親も娘を叱るどころかアダンに仕事を放り投げる始末で、アダンは傾き掛けた店を必死に支え、なんとか立て直したのだ。
(初めはなぜリーシャさんが出て行ったのか理解出来なかった。
先代店主のおばあさまから手ほどきを受けて才能を開花させ、誰もがリーシャさんが跡を継ぐものだと思っていたから。
でも今ならよく分かる。嫌になるのも仕方がない)
リーシャは家を継ぎ、家族を養うべきだ。
ミアも両親もそれを当たり前のように考えている。
店が傾いたのはリーシャのせい。客が居なくなったのはリーシャのせい。
決して自分たちの力量が不足しているからだとは考えず、全てリーシャが居なくなったのが悪いと思っている。
(もしもミアや義父母がきちんと修練を積んでいたら、確かにリーシャさんやおばあさまほどの技術は得られなかったかもしれないけれど、それでも客に愛想を尽かされるようなことはなかった)
常連客は全て分かっていたのだ。
ローナが亡くなりリーシャが去った後も、足を運んでくれる客は大勢いた。
多少技量が落ちても良い。この店に頼みたいと考えてくれた客は確かに居たのだ。
だが、その客の期待に応えるだけの、他の店でも直せる程度の破損さえ彼らは修復する事が出来なかった。
丁稚奉公の合間にローナに頼み込んで修行をつけてもらっていたアダンの方が余程うまく修復出来る。そんな状態だったのだ。
「リーシャが家出をしたせいで」と言い訳を繰り返す両親に客は愛想を尽かし、だんだんと客足が遠のいていった。
『小さい頃から息子さんを知っているけど、あれはだめだね』
去り際に客がアダンにぽつりと漏らした言葉が今でも耳に残っている。
「劇が終わったら姉さんの所に行くわよ」
「え!?」
カーテンコールが始まった頃、ミアはいそいそと帰り支度を始めた。
リーシャに突撃するつもりのようだ。
「他の方に迷惑がかかるから、せめて日を改めて……」
「だめよ。逃げられたらどうするの? 絶対に姉さんを連れて帰るんだから」
アダンが慌てて止めようとしていると、「失礼いたします」と背後から劇場の従業員が声をかけた。
「お手紙をお預かりしております。こちらをどうぞ」
「私に?」
従業員の手から白い封筒を受け取ると、ミアは顔をしかめた。
「終演後、以下の場所でお待ちしております」
そう書かれた便せんにはとある宿の住所が書かれている。
「リーシャ……」
封筒に書かれた送り主の名を読み上げるとミアは鞄を抱えたまま勢いよく立ち上がった。
(もういない)
イオニア王家の貴賓席を見ると気づかぬうちにリーシャの姿が消えている。
「あなた、行くわよ」
「行くってどこに」
「こちらから出向く必要はなかったみたい。姉さんが話があるって」
そういうとミアは転がるような勢いで劇場を飛び出した。




