秘密の相談事
夕食後、シルヴィアとマリーはリーシャとオスカーの部屋を訪れた。
「明晩劇場に着ていくドレスについて相談がある」と伝言を預かっていたからだ。
「こんばんは、リーシャさん。ドレスのことで相談があると伺ったけれど」
「ご足労いただきありがとうございます。どうぞこちらへおかけになってください」
リーシャは事前に準備していたティーセットが置かれたテーブルへ二人を案内する。
ティーポットに入っているのはフレーバーティーのようで柑橘系の良い香りが漂っていた。
「実はドレスの相談というのは建前で、明日観劇するにあたりお二人に話しておきたいことがありまして」
「何でしょう?」
「もしかして、エミリアさんのこと?」
何かを察したのかシルヴィアが尋ねた。
「はい」
リーシャは表情一つ変えずにそれを肯定する。
そして紅茶をゆっくりと口に含むと小さく息を吐いた。
「彼女は私の妹です」
部屋の中に一瞬、静寂が訪れる。
「でも、ロージー先生はリーシャお義姉さまよりもずっと年上の方でしたよ?」
困惑するマリーにリーシャは困ったように微笑むと「これからお話しすることは他言無用に願います」と言って胸元から石榴石のペンダントを取り出した。
端から見ればどこにでもありそうな太陽を象った大降りのペンダントである。
「実は、このペンダントのおかげで歳を取らないんです」
「え!?」
シルヴィアとマリーの目はゆらゆらと揺れるペンダントに釘付けになる。
二人にとって俄には信じられない話が飛び出たからだ。
「それはつまり……そのペンダントには歳を取らない魔法がかけられているということ?」
「厳密には違いますが、おおよそそのような認識で構いません」
「無知な質問で申し訳ないのですが、魔法が使える国ではそのようなものが当たり前に使われているのですか?」
「いえ、そういう訳では」
(まぁ、そう思うよね)
シルヴィアもマリーもまだ「魔法」がどんなものか知らない。
二人が知っているのは絵物語や乙女小説に出てくる誇張された魔法と、クロスヴェンで触れた僅かな魔道具だけだ。
故に、目の前にある「お守り」の価値がどのくらいのものなのかピンと来ていないのだろう。
「簡単に言ってしまえば、このペンダントに付与されている魔法は本来ならば存在するはずのない魔法なのです」
「それだけ希少、ということでしょうか」
「希少というよりも常識はずれな、あり得ない魔法だと言った方が良いでしょうね」
「本来魔法で同じような効果を得るのは不可能だと言うことかしら」
「はい、おっしゃるとおりです」
リーシャは一呼吸置くと二人の目をじっと見つめたまま一言付け加えた。
「だからこそ、王妃様には内密にして頂きたいのです」
(なるほど、だから私とマリーだけをわざわざ呼び出したのね)
不思議だったのだ。
なぜ全員揃っていた夕食時ではなく、わざわざ嘘を吐いてまでシルヴィアとマリーを呼び寄せたのか。
リーシャが「魔法」に関する話をし始めたとき、シルヴィアは「なぜ魔法に関して無知である自分たち」が呼ばれたのか不思議に思った。
正直、魔法に関する相談事ならば魔法に親しみのある王妃の方が適任だからだ。
リーシャが掲げたペンダントの価値も、それに付与されている魔法の希少性も、王妃ならば正しく判断する事が出来るだろう。
(だからこそ、リーシャさんはお母様にペンダントを見せたくないんだわ)
価値が分かるからこそ、知られたくない。
リーシャの言葉からはそんな意図がにじみ出ている。
「理由を聞かせてもらっても良い?」
シルヴィアが尋ねるとリーシャはオスカーの顔を見た。
オスカーは黙ったまま頷く。二人の間にもはや言葉は必要ない。
「不敬な発言をお許しください。王妃様とは魔法に対する考え方が異なるようですので、念のため秘密にしておきたいのです」
「……お母様が信用できないということでしょうか」
マリーが不安そうに呟く。
「正直に言ってしまえば、そうなりますね」
「そんな!」
「マリー、落ち着いて」
シルヴィアは困惑するマリーの肩に手を押いた。
子供とはいえ、マリーはもう15だ。理解出来ない年ではない。
「昨夜の話を聞いてそう思ったのでしょう? リーシャさんの言うことも理解出来ない訳ではないわ」
「お姉さままで!」
「マリー、貴女も思うことがあったんじゃない? あのときずっと黙ってばかりだったでしょう」
「……」
俯くマリーにシルヴィアは優しく語りかける。
昨晩マリーはリーシャと王妃の会話をただ黙って聞いていた。
もちろん、二人の応酬に気圧されたというのもあるだろう。
しかし、きっとそれだけではない。マリーなりに考え、感じたことがあるはずだとシルヴィアは信じていた。
蝶よ花よと育てられた末の妹だ。
誰よりも魔法にあこがれ、夢を見ているマリーだからこそ感じたことがあるのだと。
「……私は、お兄様のように騎士の文化に親しんでいる訳でも、お姉さまのように先見の明があるわけではありませんから」
ぽつり、とそんな呟きが聞こえる。
「イオニアにも魔法が入ってくる。絵物語や乙女小説でしか見たことのない魔法が使えるようになる。
ただそれが嬉しくて、それで国がどう変わっていくのだとか、今までの生活がどうなってしまうのだとか、考えたことがなかったのです」
マリーはオスカーやシルヴィアのように政に関わる訳でもなく、所謂「箱入り娘」として育てられた。
次期国王となる長兄ジルベールには既に跡取りとなる息子がおり、長女シルヴィアは婿をとり国に残っている。
もしもジルベールに何かあっても次男であるオスカーが騎士団長として残っているし、ジルベールの息子を支えるには十分だ。
王妃が歳を取ってから産んだマリーには、他の兄姉のような役割が与えられなかったのだ。
「リーシャお義姉さまとお母様とのお話を聞いて、全て理解出来たかというと……はっきり申し上げて分からない部分の方が多かったと思います。
ですが、リーシャお義姉さまもお兄様も、お姉さますらも、お母様の言っていることがおかしいと思っていらっしゃることだけは分かりました」
肌がひりひりと焼き付くような緊張した空気。
政のイロハが分からないマリーにもそれだけは分かった。
王妃の話が進むにつれて三人の顔が曇っていき、それを全く意に介さない様子の王妃。
自分の母親の知らない顔を覗いてしまったような、何とも言えない気味の悪さ。
早く話が終わりますように。何度そう願ったことか。
「だったら、リーシャさんの言っていることも理解出来るのではなくて?」
シルヴィアがそう諭すとマリーは黙って俯いた。
反論の余地はないらしい。
「はっきり言うと、私も驚いたわ。お母様があんなことを考えているだなんて知らなかったから」
「新しいイオニア人……ですか」
「ええ。ジルベールだってそんなこと一言も言っていなかったもの」
「兄上の苦笑いが目に浮かぶ」
「本当ね。でも、お母様からそんな話があったのならば一言相談してほしかったわ」
シルヴィアはそう言うと口を尖らせた。
「兄上は俺たちに苦労をかけまいとしたのだろう」
「でも、これは一人で抱えてどうこうなる話ではないわ。お父様はお母様の言いなりでしょう?
このままだと本当にイオニアの歴史を塗り替えられてしまうわよ」
「それは困る」
オスカーは眉間に皺を寄せる。
「魔法がない国」としての歴史を捨て去り、「魔法がある国」――新しいイオニアとして生まれ変わる。
聞こえは良いが、つまりは文化の浄化だ。
そんなやり方は到底受け入れることなど出来ない。
「お母様はイオニアがお嫌いなのでしょうか」
マリーは悲しそうに言う。
「嫌いではない、というのは本心だと思います。
ただ、王妃様は根っからのフロリア人なので。お国柄でしょう」
「フロリアって、お母様が生まれた国? そういえば二人はフロリアに立ち寄っていたわよね?」
「はい。フロリアの大公妃――王妃様のお姉さまも似たような考えをされていました。というよりも、フロリア大公家自体がそのような文化をお持ちのようで」
「どういうこと?」
「シルヴィアさんはフロリアへは?」
「行ったことが無いわ。オスカーはあるのよね?」
「ああ。若い頃に一度だけな」
「フロリア公国が薬草や生花の輸出を主な産業にしているのはご存じですか?」
「もちろんよ。イオニアでもフロリア産の香草や薬草をよく見かけるもの」
「最近だと化粧品なんかも良く入ってきますわ」
「化粧品?」
初めて聞く話だ。
マリーは自らの顔を指さすと「私も使っておりますが、とても良いものなんですよ」と力説した。
なんでも、フロリア産の香料や薬草を使用した肌に優しい化粧品なんだそうだ。
「そういえば、クロスヴェンでもフロリアの化粧品は良く見るわね」
「そうなんですか?」
「ええ。この前町歩きをした際にも大通りの一等地に大きな店を構えていたわ」
「この町だけではないぞ。化粧品のことはよく分からんが、今まで旅で立ち寄った国のほとんどでフロリアの薬草や香辛料を見かけた。大きな都市ならばだいたい流通しているのではないか?」
「凄いわね。そんなことが可能なの?」
シルヴィアは首を傾げた。
どこの国、どの町にもフロリア産の香草や薬草が流通している。
それはすなわち、フロリア公国がそれだけ広大な販路を持っているということだ。
お世辞にも大きな国とは言えない、草花だけが取り柄の小さな国にそんなことが可能なのだろうか。